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元氣とは

時間やペース、道順などに制限されずに歩くことは心を自由にする。素足に近いワラーチがいい。何だかそれを避けていたのは、鍛錬のために必要と考え制限をかけようという心が働いていたのかもしれない。こんなに気持ちのいいことを避けていたとは。氣がまっすぐ通る感じでただ歩く、すると、ハッとした氣づきが得られた。昨年11月までの十数年は、花子が生きていたから朝晩の散歩で何度も心身を救われていたと思い出した。

そうしてあること、どこにいても出来るといいのかも知れない。
limitless…freedom
無制限とは軽く速くなるのだと勘違いしていた。遅々として見えても無制限でいられるのだ。

元氣、氣を元に戻すとは、そういうことか。

どこにいても、そう言ってはみたが、やさしい陽光、心地よい風、川のせせらぎ、与えられた場にあって生きる木草や生き物、命に満ちた場の中を歩いていた。家から数キロの散歩道を。
そこに身をさらす必要があった。
そことつながる必要があった。
私がそれらと一つになれれば愛と一つになれるのかも知れない気がした。

愛の定義、無害・無変・無条件を私に教えてくれたアサイゲルマニウムを世界中に広める役に立ちたいと願う時、様々な障害を思って後ずさりしようとする心がある。でも、アサイゲルマニウムと愛が一つとして私の心にある限り、その導きによるあらゆる結果は愛となる。ただそれだけなのだ。私が、相手が、その道から逸れたときには正しい道に戻るよう啓される。ただそれだけなのだ。私が自分を相手を憂い、疑い、裁く必要はないのだ。

今日の35分ほどの散歩が元氣とこうした気付きを与えてくれた。

ありがとう。

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