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熱が出ると思い出してしまう


熱が出た。
とても大切な日を控えているのに喉が痛い。
体が弱ると、心も弱る。そして思い出してしまうのだ。

小学6年生の最後の学芸会で
ソロパートがある主役の女の子はオーディションだった。
4人受けて3人が受かる。
学年全員の投票で決まる。
落ちたのは私だ。1人、落ちたのは私だ。

落ちるとは思っていた。
オーディションのあの日、声が出なくなった。
緊張してたわけじゃない。
あの日、あの日だけ
喉がガラガラに掠れて声が出なかった。
神様のいたずらかと思ったほどに、あの日だけだった。
練習しすぎていたわけでもない。
今は体が弱いが、あの頃は元気いっぱいだった。
しかし、声が出なくて歌えなかったなら
落ちるのは当たり前だ。

それとは別に、私は
嫌われていたのであろうとも思った。
元々一年生の頃から入学してすぐ、男子にはいじめられていた。
大人はよく可愛いからだとか言うが、
そんな生優しいものではなかった。
何をしても書いても揶揄され、詰られ
5、6年生の頃は毎日、校舎の端から端まで追いかけられていた。
服を脱がされたこともあった。

誰も助けてはくれなかった。
女子の友達がいないわけじゃなかったが
「構うから悪いんだよ」と一言。
構いたいわけじゃない。
無視しても何しても、何かをされる。
逃げるしかない、反論するしかない。

幼稚園までは世田谷にいたから、
小学校入学の時に都下へ引っ越し
言葉は悪いが民度の差に驚いた。
子供ながらに、明らかに幼稚園の頃と親も含めて人種が違うと思った。

今は普通になってきた中学受験すら、学年に3人受けるかどうかだった。

いじめられるのは、可愛いからではない。
価値観が違うと、子供同士本能で感じとり
本能で異分子を排除するためだと大人になってから考えた。

私の家はすごく裕福と言うわけではないが
何不自由なく育ったのは確かだ。
それは、父が頑張ってくれたからだ。
具体的に何かを自慢したわけではなくとも
身なりや何かが、家の経済力の違いはあったのはわかる。

でも、やはりそれは父が頑張ったからだ。
私のせいではない。
私の親のせいでもない。

これはこの件だけでなくとも、
多くの人に訴えたいのは
妬むなら
他人ではなく、自分の親を恨めと私は思っていた。
遺伝子を恨め、他人を恨み虐げるな。

だが、一つ親のせいかなと思うのは
引越し先を間違えたことではないか。
私のせいかなと思うのは
価値観の違いを言葉にしなくとも態度に出ていた、のかもしれない。

でも、やっぱり
私の父は頑張ってくれたからで
私も厳しい母の元で塾へ行き勉学に励んだ。
何もかも努力あってこそ手に入れたものだった。

だから、追いかけられることも服を脱がされることも
決して私のせいではない。
学級崩壊が起こるほど粗暴な同級生と巡り合ってしまったせいだろう。

37年の人生で、一番運が悪かったと思うほどだ。

だから私は、成人式も行かないし地元には絶対帰らない。

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