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身体を哲学する。

我々は身体によって世界に臨んでおり、
身体でもって世界を知覚する以上、
我々に現れるがままの世界の経験を、
再び目覚めさせなくてはなるまい。
しかし、こうして身体ならびに世界との触れ合いを取り戻して
再び発見するもの、
それもまた我々自身なのである。

                メルロポンティ(フランスの哲学者)

西洋哲学は、そもそも無知=0から始まり、知を積み上げていって、
色々考えてみんなでもっともっと賢くなっていこう!が前提の学問。
知を重視するため、古代ギリシャ哲学からずっと、
身体よりも魂や精神を重視し、身体は第二義的に扱われていて、
霊魂こそが生命の源だとされていた。
(心身二元論:雑にいうと、心と身体は別々のもの)
次にデカルトが、心や、心が絡むような科学的に扱えない心の問題を
科学から切り離し、人の本質は意識の主体、心にあるとした哲学を提唱していき、主に心のほうで西洋哲学は発展してきた。
しかし、

身体のこと忘れすぎじゃね?

と疑問を投げつけたのが、皆さんご存じのニーチェ。
そしてその後、冒頭のメルロ=ポンティが執筆した「知覚の現象学(1945年)」によって、ようやく一元的に考えられるようになった。

一方東洋哲学はというと、そもそも最初に、悟りを開いた!という人間の、
その言葉や考え方を、後世の人々が頑張って学問の形にまとめ上げたものを言う。
ブッダとかそうですよね。
つまりいきなり最終回から始まるドラマか、死体発見から始まるフーダニットや、ホワイダニットのミステリみたいなもの。
また、西洋哲学の心身二元論の対極、

心と身体はそもそも1つだよ

という、日本人の精神に根付く武士道の根本でもある、心身一元論による身体論に支えられている。

本書は、哲学最大のテーマでもある「幸せとは何か」を探る本
齋藤先生は、
      幸せとは豊かさに気づくことである。
と、まず定義する。
そして、そのためにどうすべきかを論じていくが、
多くのそれらの本とは違い、本書はそれを身体に求めた。
詳しくは第3章をぜひお読みいただきたいが、
それを理解するには第1章、第2章の、心と身体は別でっせ!
という考え方だった西洋哲学から、その心身二元論を克服しようとしたメルロ=ポンティまでを読むと、より理解が深まると思う。
4章辺りからは齋藤先生らしく教育についての持論展開もある。
こちらもかなり面白いので、まぁ、全部読んでみてください笑

本書内では、デカルトのわれ思うゆえにわれありや、神は死んだと言ったニーチェ、プラトンが用いた「洞窟の比喩」、フッサールの間主観性など、
様々な哲学者たちの様々な考え方が列挙されているが、哲学は如何せん目には見えないものを扱っているため、難しいと思われがち。
けれど、そこは齋藤先生、非常にわかりやすく端的に、それでいてきっちり説明がなされているので、しり込みせずに読んでほしい。
万一わからなくても、ゆっくりじっくり、それこそ身体の五感を使って、
哲学を感じながら読んでみて欲しいと思います。

コロナ禍によって、ただでさえ情報氾濫時代だったところに、バーチャル、オンラインなど実体験を伴わない機会に接することが爆発的に増えた。
これは、従来なら触れることのない世界に触れられる貴重な機会であると同時に、一つであるはずの私たちの心と身体を、二元するやもしれない側面をも持っている。
恐らくその危険性を既に、なんとなく肌で感じ取っているはずだ。
だってやっぱり会って触れたい、対面でやり取りしたい。
自分の足で歩いて、乗り物に乗って、目で見て耳で聞いて、肌で風を、その土地を、季節を、その人を私たちは感じたいのだ。
しかし、今後も継続的にこの状況は続くだろうし、たとえコロナ禍が終了したとしても、オンラインやバーチャルはもうなくなりはしないだろう。
その時、薄れていく自分の幸せの感じ方を知っていれば、どんなに素晴らしいか。なぁに、そんなに難しく考える必要はない。
それには、自分の体1つがあればいいのだ。

この本と自分と一緒に始める実践型哲学。

良い身体に良い精神は宿る
良い精神は良い身体に宿る

ジャンル 哲学 身体論
齋藤孝
生きることの豊かさを見つけるための哲学
トランスビュー

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