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好きをシゴトにする考え方

「好きを仕事にした方が良い?」それとも、「好きと仕事は分けた方が良い?」

就職や転職など、仕事やキャリアを考える際、誰しも一度は考えたことのある、もしくは聞かれたことのある問いなのではないでしょうか。

先に私の結論を言うと・・

「好きは仕事にしてもいいし、しなくてもいい!」

と、なんともはっきりしない答えを提示しておきます。じゃあ、なぜはっきりしない答えになるのでしょうか。

私の中では当然だと思っていることですが、一人ひとり仕事や好きなことは違います。仕事や好きなことに対する思いや考えも違います。当然、上記の問いをどのように解釈するかも違います。

そして、どちらを選択したとしても、これは良かった!あれは悪かった!とメリデメは言い出したらきりがない。さらに、うまくいかないことがあれば、あっちを選択すればよかったと、隣の芝生は青くみえるものなんじゃないかなと思っています。

ただ、私自身はどちらかというと「好きをシゴト」にしてるタイプなんじゃないかと思っています。(・・あれ?急に「仕事」が「シゴト」になりました。詳しくは後ほど触れます。)

ちょうど先月、「好きとシゴト」をテーマにしたトークイベントに登壇したので、この記事はその時のお話をベースに、冒頭の問いに対して一つの視点・見方として参考になればと思っています。


自己紹介&現在のシゴト

まずは簡単に自己紹介と現在のシゴトをサクッとイベントで使ったスライドを貼り付けます。

ここの結論としては、このコロナ禍の3年間で、仕事の領域が広がってきたと感じています。ちなみに、登壇したイベントでは「好きとシゴト」ともう一つ、「地域複業」も入っていたので、自己紹介は地域でのシゴトをメインで紹介しています。

仕事やキャリアにおけるよくある問いとバイアス

仕事やキャリアにおけるよくある「問い」

ここからが本題になりますが、はじめにキャリアを歩んでいる中で、会社の上司や先輩などから以下のような問いを投げかけられたことはありますか?

学生時代:「将来、何をやりたいの?」
20代:「どのようなキャリアを歩みたいの?」
30代「何をやっている人?何ができる人なの?」

この問いを投げかけられた時の私の正直な思いとしては・・

将来なんて先のことは誰にもわかるわけないし、どのようなキャリアを歩みたいかってまだまだ経験の浅い20代の時の私に問うたところで、当たり障りのないことしか言えないし。一方で、最近の私だと、いろんな領域に関わるようになって、何をしている人間なのかよくわからなくなっているわけです。

なので、私にとってそのような問いは考えるだけ無駄で、そもそもどうでもいいことなわけです。いや、将来どうなりたいか、何ができるのかをはっきりさせるのは大事でしょう!という考えをお持ちの方はここで記事を閉じてください。この先は読むだけ無駄で、どうでもいいことが書いてあると思います。

仕事やキャリアにおける3つの「バイアス」

続きを書いていきますが、そもそもなぜ私はそのように思うのか。そこには先入観や固定観念といった「バイアス」がそのようにさせている気がしています。

私なりにそのバイアスを整理すると・・

つのことに絞らないといけない
本のレールに乗らないといけない
つの型や肩書きを持たないといけない

という3つが「正しい考え方である」のように思われている風潮がある気がしています。私の経験的には、新卒から20代にかけてはそのバイアスが強くかけられるような気がします。

そのようなバイアスという沼にハマってしまう原因は、以下のスライドのような視点で物事を見ているからだと思っています。

好きを次々にシゴトにする

他人と比較するという意識が働く

私の中では「何を=WHAT」や「どのように=HOW」は言語化しやすくて、わかりやすいものであると思うのですが、そのわかりやすさが沼にハマってしまう方向に進めている気がしています。

その原因に「重複」と「比較」の2つがあって、わかりやすいから相手とやっていることが「重複」するケースが多くなります。当たり前ですが、自分がいる業界にはおのずと自分と同じことをやっている人が多くいるので、WHAT単位では重複するわけです。さらに、大きな会社であれば同期がいるので、ほとんどが同じようなキャリアを歩んでHOW単位も重複します。

本当にそうかな?と思った方は、おそらく転職などをして違う業界に行く経験したことがないか、そもそも人に興味がなく人付き合いをあまりしないかのどちらかだと思いますが、自分がいる業界や所属する会社が変わると普段接する人も変わります。

そして、重複が増えれば増えるほど自分と相手を「比較」して、どっちが優れているといった意味のない競争心が出たり、逆に自分は相手よりキャリアもスキルも劣っているといった、さらに意味のない劣等感に襲われるわけです。

わかりやすいものというのは理解できるから安心できて、心地良いものですが、それが要らぬ方向にまで解釈や妄想ができてしまうのではないかと思います。

自分に意識を向けてみる

WHATとHOWを出した時点で、あるワードが浮かんだ方もいると思いますが、それが「WHY」です。この「WHY」こそ、好きを次々にシゴトにする考え方の根幹にあるものだと私は思っています。

最近は、このWHAT・HOW・WHYが3点セットになって浸透している実感がありますが、その中でもサイモン・シネック著の「WHYから始めよ」のゴールデンサークル理論が有名なのではないでしょうか。

ゴールデンサークル理論は、「WHY(なぜ)」→「HOW(どうやって)」→「WHAT(何が)」の順序で物事を伝えることで、相手に共感を得ることができるというような考え方です。

ただ、私の中では相手だけでなく、WHYから始めることで自分に対して意識を向けることができるので、自分自身を納得させたり、行動を決断するところまでできる魔法の言葉だと思っています。

自分の「WHY=何のためにそれをやるのか」を明確にすることができれば、自然と「WHAT=何をするか」「HOW=どのようにするか」は見えやすくなるはずです。

その時に、人とWHATやHOWが重複したところで自分の芯となる「WHY」が根底にあれば、WHYに立ち返るはずです。そうすると、比較が起きないので、競争心も劣等感といった余計な感情も存在しなくなるはずです。

ちなみに、私のWHYは「見えないものを見えるようにする」という言葉です。そのために必要であると思ったこと、やりたいと思ったことを一つ一つ選択して実践してきたにすぎないと思います。「企画」という仕事はビジネスパーソンの多くのWHATだと思いますが、私の企画は「見えないものを見えるようにする」というWHYのためにやる企画なので、重複しないWHATなのです。

自分自身を建築として型をつくる

では、WHYをどうやって言語化すれば良いのでしょうか。自分のWHYをどうやって見つければよいのでしょうか。

「それは、私には知りません…。」

その答えも冒頭の問いと同じで、結局は自分の中の感覚的なものだと思っています。

私のWHYである「見えないものを見えるようにする」は言語化しようと思って言語化したわけでも、見つけようと思って見つけたわけでもなくて、ある時、急に頭に降りてきた感じで、自分の感覚的にフィットした言葉でした。そのため、自分の経験上言えることは自分の感覚的なものと向き合う時間をいつもより意識してみるという感じになると思います。よくいう「考えるな、感じろ」的なものに近いかもしれません..。

とはいえ、あまり感覚的なことを伝えても仕方がないので、一つヒントになりそうな私が整理しているメソッドをお伝えします。それが「点・線・面で自分の型をつくる」という建築的な考え方です。

点・線・面というのが先ほどのWHAT・HOW・WHYにあたるのですが、この3つのパーツを組み合わせて一つの建築をつくってみる感じで自分自身を整理してみると、何もない状態で考えるより、少しだけ発想が柔軟になって、考えるというより感じるんじゃないかと思います。ただし、点・線・面じゃなくてもいいと思います。

ここで言いたいのは、
①テキストだけでない何か(できれば「形」があるもの)
②置き換え/言い換えができる(私であればWHAT・HOW・WHY→点・線・面)
の2つで考えてみて、感じれるかがポイントだと思っています。

ちなみに、私はシゴトが複数ある=複業(デュアルワーク)をしているので、面が複数できて、しかもそれぞれが独立しているというより行き来している感覚なので、型は箱になっていきます。さらに感覚的に表現すると、それぞれのWHATは1つの面に固定化しているというより、いろんな面で登場するので、まるでルービックキューブを扱っているのような感じなのかもしれません。これが私の型です。

シゴトとは何か?

シゴトも捉え方で変わる

はじめの方に急に変わった「仕事」という言葉から「シゴト」という言葉。
私なりの答えを伝えると、「好きを仕事に」は存在しないが、「好きをシゴトに」は存在するということです。

なぜなら、「仕事」は誰かのために仕えることであり、自分の好きという都合だけでは事は動かないものであるからです。

では、「シゴト」をこう変換してみたらどうでしょうか?

「仕事」ではなく「私事」にすることで、自分の好きを前提にスタートできるのではないでしょうか。それはスライドにある通り、「定数」と「変数」のどちらにアプローチするかとも言えます。

ここで2年前に書いたこのnoteを思い出しました。

ここで、一つだけ勘違いしてほしくないのは「仕事」がよくないことで、「私事」がよいことという意味では決してありません。誰かのために仕える「仕事」がなければ、これまでの社会経済は成り立っていないかもしれないからです。そこで、私はどちらにも捉えることができる「シゴト」という言葉を採用しています。

「好きを仕事にした方が良い?」それとも、「好きと仕事は分けた方が良い?」

冒頭の問いをもう一度ここに持ってきましたが、先ほどのどっちでもいいというドライな答えではなく、改めてここまでの流れを踏まえてもう少し柔らかく言うと、

「自分の中でシゴトをどのように捉えるかによって変わる」

最後にまとめになりますが、「好きをシゴトにする」なら以下の3点が私の考え方とメソッドになります。少しでも多くのビジネスパーソンに参考になる視点・見方がこのnoteにあれば嬉しく思います。

マルチ・ポテンシャライトとワーキッシュアクト

以下は余談ですが、好きを私事にしている人がなぜか自分の周りに多くいるのですが、「マルチ・ポテンシャライト」という本を読んで、私自身も含めあてはまるなと思う点が多々あったので、ご興味がある方はこの本も読んでみることをおすすめします。

また、少し視点が変わりますが、リクルートワークス研究所が今年出した「Works Report 2023」の中に「ワーキッシュアクト」というキーワードが出ています。このレポートを読んだ時にも、好きをシゴトにするに通ずるものが示唆されていたので、ご興味ある方はこちらレポート(の「ワーキッシュアクト」の部分)も読んでみることをおすすめします。