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手癖で即興曲を弾くことは、人生を惰性で生きることと似ている

わたしはアドリブが苦手な人間でした。
ながいこと鍵盤を弾いていたけど、自分が一番映えるのは、自分のソロパートではなくて、誰かのソロの裏でバッキングをしているときでした。

ソロ裏ってね、いかにソロを弾きやすく、主役としてのソロを立てるかっていうすごく重要なミッションがあって。誰が何をしようとしているかきっちり把握しながらバックを演奏する能力は結構重要で、かわるがわるソロをとるような演奏形態だと本当に、バックの質でソロの質も変わるんですよね。

そんな自称ソロ裏師のわたしから見た「ぐっとくるソロ」と「ぐっとこないソロ」は明確に違いがあります。

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もうタイトルにばっちり書いてあるのでお分かりかもしれないんですけど。笑
ぐっとこないソロ、の代名詞は「手癖で弾くアドリブ」です。

以前ね、プロの演奏家が即興で曲を作るところに密着したテレビ番組がありました。映画音楽の作曲の依頼があったんですけど、そのプロの方はクラシック畑の方で。即興演奏は専門じゃない。クラシック界ではものすごく有名で、最前線にいる方なんですが。

その方、ピアノの前に座ってさらさらときれいにピアノを弾いていくんですが、監督から全然OKがでない。テレビの前のわたしですら、OKだと思えない。笑
それは明白で、彼の弾く曲は「彼の手癖」だったから。
監督はね、「もっと表現してください」って言ったんです。そしたら彼は、「彼の手癖に表現をつけた」んです。監督は頭を抱えちゃった。結局「もういいです」って。

もっと表現してください、の意味。
それはね、癖で弾くのをやめて、もっともっと何を表現したいのか考えろ、自分が何を表現したいのか感じろ、っていう意味だったんです。少なくともわたしにはそう思えました。

ぐっとくる表現って、手癖じゃ絶対にできないんです。
表現ってね、生ものだから。そのときそのときの自分のコンディションと、自分の感性と、表現対象への関係性、思いや理解度の深さ、そういうものでまったく変わってくるからです。
手癖って、そういうのをまるまるすべてすっ飛ばして、すでに昔作った作品を「これどうですか」って持って来ているようなものなんです。

たまにそういうものすっ飛ばしているように見える憑依型イタコ型表現者の方もいるけど、あれは手癖じゃないんです。出てるのは手癖じゃなくて、魂です。手癖はね、表現したいものが本人にないとき、本人によくわかっていないときに出てくる小手先の技術なんです。でも憑依型の人たちは、表現したいことがダイレクトに体から出てくる。そういう違い。

むかしの彼女が喜んだからって、今の彼女に同じアクセサリープレゼントしないでしょ。前の年に彼女が喜んだからって今年、その色違いの誕生日プレゼントあげないでしょ。
手癖って、ちょっとそれに似てる。
いろんなこと放棄して、「とりあえずまあこれでいいでしょ」って選択する。
結局なんのためにその行為をするのか、見失っちゃってる気がする。

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わたしはね、アドリブが苦手でした。
わたしは、表現したい対象とじっくり向き合わないと、表現ができないタイプだったから。イタコみたいに体に直接おろせないから。体を道具にして表現するには、脳みそでストップがかかりすぎる。あと技術も足りない。笑
でも相手を見ることはできるから、相手の意図を汲むことはできるから、ソロ裏でバッキングをすることはできる。相手の表現を見て、道を整備することはできる。

たぶん、そのクラシック奏者の方も、即興演奏じゃなければよかったんだと思う。じっくり曲と向き合ってから完成させる演奏なら、彼本来のすばらしさが出るんだから。そればっかりは相性もあるし、本人の向き不向きの型もある。

わたし、むかしはアドリブのきかない自分が嫌なときもありました。でも今はね、自分の特性と「表現したいことと向き合いたい気持ち」の折り合いがつかなかったからだなって納得しているんです。
手癖のストックを増やしてそれを順々に出す、っていうソロの取り方もあったかもしれない。でもわたしは、それは嫌だったんです。そのときそのときで向き合いたかったから。表現の醍醐味って、習得した技術のストックを出していくことじゃないから。生きた何かを体におろすタイプじゃないわたしにとって、「向き合う」がなかったら表現の意味がないから。

決して捨ててはいけないものってあると思う。表現において。あと、人生においても。

惰性で生きるってね、切ないよ。
惰性で表現するって、切ない。
すっごく空虚だし、乾いてると思う。
心が動かない。心が動かないってことは、体が揺さぶられるような体験もない。

いや、べつに小手先で生きたければ、ぜんぜん構わないけど。フリーズドライみたいな人生だなと思う。
ウェットな人生、傷みやすいし腐りやすいし変化しやすいけど、おいしいし心が揺さぶられるし、感動するんだよね。美しいものを美しいと、きちんと感じられる。


わたしはね、なまものでいたいです。
表現においても、人間関係においても。自分の人生においても。

惰性で生きる人間って、AIよりよっぽど乾いてると思うよ。
たぶんね。



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