久々に「教わる」をした話
2月に入ってから、わたしは1つ目標を達成しようと積極的に努力していることがある。それは、運転の独り立ち。
現在我が家には恋人の車があって、それを使って運転を練習させてもらっている。
免許を取ったのは昨年の7月だったのだが、それからコロナ禍で出かけるところもあまりなく、わざわざ車の1日保険に入るのも面倒くさい!ということで、ほとんど運転をしてこなかった。
でも、車の保険を恋人が見直したところ「1日保険に入る」のと「保有者以外の人が運転しても保険が効くようにする」のだと、後者の方が安いということが発覚。というわけで、積極的にわたしが運転の練習をしているのだ。
最初はお互い教えるのと教えられるのが下手すぎて、ことあるごとに喧嘩に発展。
「ねえ、黄色信号見えてた?」「見えてたよ!見た上で行かなかったの!」
「駐車の練習する?」「ううん、もう今日は怒られるの嫌だからしない…」
「口出されると集中できない!」「何言われても焦んないようにするのが大事なの!」
こんな会話を永遠にしていたが、最近は教えるのと教えられるのが上達して、そんなこともなくなってきた。
2人とも気をつけながら教えて教わってをしてきたのだが、振り返ってみるとわたしの立場では「教わり方」を無意識で工夫していたかも…と思った。
恋人の場合「なんでわからないの?」「これはこうじゃん!」という教え方から、わたしの初心者具合を汲み取って「こうするといいよ」「こう運転すると上達するよ」とアドバイスしてくれる教え方に変えてくれた。
わたしの場合は、指摘されてから「だってわからないんだもん!」「そんなの知らないよ!」と言われてから言い返すスタイルではなく、わからないことがあったらその場で聞くようにした。
「この場合はこれでいいんだよね?」「こっちの車線走っててOK?」など、先回りして聞くように心がけていたかもしれない。
あと、「運転の上手い下手を事前に教えてくれ」と頼んだ。運転初心者からすると、前の車が上手いか下手かによって運転のしやすさがめちゃくちゃ変わる。ついでに言うと、何かハプニングが起きた時に自分が悪いのか相手の車が悪いのかの区別がつかない。
例えば、前に突然割り込みされた時に「自分が間を開けて走っていたから割り込みされたのか」「相手の車が何も考えずに入ってきたのか」とか運転が下手のことを自覚しているが故に、咄嗟に判断ができないのだ。
なんだか少し話が逸れてしまったが、教わり方・教え方は、お互いにちょっとずつ改善しており、喧嘩は最初と比べて格段に減った。
要するに仕事でも運転でも言えることだけど、自分のわからないところを先に示すこと・分からないことはその場で聞くことはとても重要って話。
自分で学ぶことはよくあるけど、相手がいて教えてもらって…という流れは、久しくしていなかった気がしたので、初心に帰れたような気分になった。
ちなみにわたしが独り立ちできるのは、恋人からキーの授与があった時と約束している。
恋人に認めてもらえるまで、運転の上達はりきってやっていこう〜〜!
彅野アン(なぎのあん)
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