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わたしなり解釈の「良い文章」

文章を書く仕事をしているが、いまだにどうしたらウケる文が書けるのか、どんな文章が上手いのか言語化できる自信はない。もともと感覚で良い悪いを判断するわたしなので、「ここの文章が気持ち悪いんですよね〜わかります?」なんて言われても「・・・はて?」と返すしかできないのである。

こんな感じで文章の良し悪しに疎いわたしだが、高校生の時に「この人の作る文と言葉はすごく好きだ!」と胸を張って言える人に出会った。その人は高校の先輩で、ものすごく口下手な人。普段は感情を表に出さないのだが、その先輩が卒業する時に手紙を書いたらLINEでその返事が来たのだ。


わたしは手紙に「生徒会長になった時に、ダメ出しをしてくれたのが印象的でした。はっきりと自分の悪いところを指摘してくれてありがとうございます」「わたしは周りにダメ出しをしてくれる人がいないので、すごくタメになりました」といった内容を書いた(と思う)


そのLINEの返事に書かれていたのはこんな内容。


ダメ出しをしてくれる人がいないって言うのは、もしかしたら彅野さんが周りを信用していないからなのかも。

もう少し周りを信用して、意見をぶつけ合える仲を作ってごらん?

ダメなところをみせてごらん?

そうしたら、もっといい関係を君達なら築けるはず。



いつでも読み返せるようにコピペしてiPhoneのメモに貼り付けているのだが、当時も読み返す時も心がぐにゅっとなる感覚に襲われる。わたしのことを理解してくれている上に、核心をついていてくる文章に心が持っていかれる感覚になるのだ。


手紙とライターの仕事として書く文章はちょっとジャンルが違うけれど、受け取りやすいのは読み手(手紙の受け取り手)に寄り添った文章かどうかに尽きるのかもしれない。自分にあてられた手紙の文章の方が気持ちがこもっているように感じ、ネットにありふれている記事やコラムがどこか他人事のように感じられてしまうのは、読み手への理解が深まっていないからだろう。


ネットの記事に関しては、導入文(ディスクリプション)でどれだけ読者の興味を引きつけられるかが最初のポイントとなる。(タイトルはちょっと置いておく)

どうやった良い文章や読まれる文章が作れるのだろうと考えた時に、わたしがまずしなければいけないのは読者の感情に寄り添うことだろう。どこまで当事者目線で考えながら文章を構成できるのかが、わたしには必要な気がする。



そんなのライターの基本だろ!と思われるかもしれないが、日々記事やコラムを量産していると、不意に寄り添うことが作業と化してしまうことがある。忘れないために、今日このnoteから意識を持っていこうと思う。パソコンの脇にメモでも貼っておくとしよう。

では本日はこの辺りで。






皆さん一日お疲れ様でした!

天気がパキッとしなかったので洗濯物が自然に部屋干しになってしまい、明日は晴れるといいなあとふんわり思っています。(天気予報は確認しないスタイル)


月曜日憂鬱ですが、生きてるだけで偉いと言い聞かせましょう。

皆さん、良い夜をお過ごしください。


彅野アン





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