見出し画像

売って、売って、売り上げて早めに閉めた夜。--秋の月、風の夜(26)

#5  見分

客たちと一緒に写真に写ったり、絵葉書や画集にサインと落款を入れながら手売りしたり、葉巻だのワインだのホームパーティーにおすすめのシャンパンだの家のみ用のレシピつきカクテルを出してきたり、昼カフェでよく出るジャスミンティーだの特撰焙煎コーヒー豆だの名古屋で自家製を作って冷凍便で送っておいたゆずシャーベットだのあまおうアイスだのを手土産品として保冷剤とともにクーラーバッグに詰めたり、生ハムとナッツのセット品を即席で作って持たせたり、スペイン風オムレツを焼き上げて包んだり。

時計が、午後11:46になった。

「ありがとうございました、お気をつけて。おやすみなさい」
最後の客がいなくなった。高橋はツカサと康さんに告げた。「早いけど、閉めよっか」

ボウタイを外した。洗い場を高橋が引き受け、ツカサがレジをしめる。

前代未聞の売上額。
夜の部単体の最高額より、さらに二十九万二千円多い。

「っしゃあ」高橋はツカサとハイタッチをした。

「照、申し訳ない」
康さんがカウンターに両手をついて、立ち上がって頭を下げた。「ごめんなさい、すいませんでした」とツカサも言った。

「今日の僕見てて、何か感想を持ったと思う。教えて」高橋は笑いを含みつつも、康さんにたずねた。

「昼、言われた“再来月閉めなきゃ”というのが、どんだけ深刻な話かわかった。この子がてきぱき働けるはずのところを、俺が足ひっぱって、営業時間が短こうなるようなことして、迷惑かけた。申し訳ない。損金は払わせてもらう」
「四郎がさ、迷惑かけたらあかんよって、言っといてって」
「すまん」

「店は持ち直させる、それは行けるし、やる。大事なのは、康さんがツカサと、息の長いつきあいをしてくれることだよ。ツカサは朝昼の寿美ちゃんとツートップで、ここを支えてくれてるでしょう。でも、どれだけ優秀だろうと、専門学校出たてだ。康さんがツカサに本気になってくれているのは嬉しい。だからこそ、まじめな中年が恋に狂っちゃったらこうなるよーなんて手本みたいなこと、してほしくはないな」

康三郎は黙って聞いていた。

高橋はさすがに絵描きの本能で、ツカサに対して康三郎がさほど本気ではないことを見抜いている。惣領の四郎には、部屋住みの穀潰しが、あらゆるものを捧げて滅びてしまうがごとき奇妙な昔風の執着。抑えてもそらしても、何かの折に戻ってきてしまう。康三郎じしんどうしようもないのを、さきほどの反応から知った。
嫌がる四郎から自らを遠ざけるべく、康三郎が京都へ溺れこみにきているのだと、高橋は見抜いている。

見抜いたその上で、ツカサを悲しませないよう、あたかも康三郎がツカサに惚れてぐだぐだになったような話の運びにしてくれている。

「ツカサ、明日アサイチで、康さんを滋賀に連れてかなきゃなんない。日報とお礼状書きと寿美ちゃんへの引継ぎは、今夜はすっとばしていい。……いつも、ツカサの家にいくの、ここに泊まるの」
ツカサが答えにくそうにした。高橋は康さんに目配せした。(ここでしょ?泊まるの)
康さんは嘘はつかない。すいません、という顔で小さく頭を縦にうごかす。

「六時に迎えに来る、おやすみ」
言って高橋は背広をかかえた。ドアを出ようとする高橋を、ツカサが引き止めた。「待って照さん、今夜どこに泊まるの」
「バード・グラフィックの吉田んとこか寿美ちゃんトコか、だめならよそか、車の中であたる」
「決めてから出れば」
「バカだなツカサ、二人きりの時間は惜しいだろ。六時間しかない、僕はさっさとふける」

おやすみなさい、というためらうような声を背に聴いて、高橋はとぼとぼと階段をおりた。


次の段:惣領さまのためなら死ねる、という心情。--秋の月、風の夜(27)へ
前の段:そうだ、親友のおじさんに手伝ってもらおう。ーー秋の月、風の夜(25)へ



マガジン:小説「秋の月、風の夜」
もくろみ・目次・登場人物紹介



「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!