惣領さまのためなら死ねる、という心情。--秋の月、風の夜(27)
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明朝六時。刻限三分前。高橋がたずねると、康三郎は二時間まえから居ずまいを正していたような顔で出てきた。
(あああ。……四郎に熱が入っちゃうの、ツカサに見せないでやって、って言ったじゃん……)
嘘がつけないというのは、いたずらに人を傷つける性質だな、と高橋は思った。
「……康さんさあー」
高橋は寝不足の顔。半分あくびをしながら運転だ。居眠りしないよう、店で作ったエスプレッソと、会話が頼りだ。
「ツカサとはうまくいってんの」
「すっごい合う」
「うわどんだけラブいわけ?」
うっかり高橋がきいたとたん、無口なはずの康三郎が、堰をきったように話しだした。
「いやもう着くとそわそわして、朝の寿美さんにばれんように昼飯食いながら、ちらちら様子見て。照があそこまで真剣に守っとる店を、俺会社勤めと兄貴の道場しか知らんもんやで、あれほど時間あたりの売上に命かけとんさるとは知らずに申し訳なかったけども、寿美さんが“あとよろしくー”てって出やしたら、五分ぐらいは待って外に準備中かけて、お客さんがおらんようにならしたらもう、何というか……ほんでまあ、あっという間に時間が経ってまって、夜もお客さん来てまわした後やと、俺、奥から出れやへんやん、ひたすら気配のないように奥におるしかなかった日もあって、あれはこまった」
どこが無口なのですか康三郎先生!
この一族は先祖代々親戚一同、恋の衝動への歯止めがききづらいのではないか。
もしも、こういう自制心のなさから、「エサ」として女殺しを繰り返すご先祖さまの趣味性癖がまっすぐエスカレートしているとしたら。それは容易にうなずける話だ。
似たような傾向、似たような衝動性、似たような過去志向を代々かさねてきたならば、いったいご当代の四郎は「これからどうするか」に徹するにあたり、どれだけ積もり積もった負債を越えねばならないのか。
さらに面白半分につっこもうとする高橋をさえぎって、康さんはいきなり別の話へと、矛先をねじまげた。
「なあ、助手席、よく四郎……が座るんやろ」
「わああー」高橋はあくび半分おののき半分のリアクションをした。「今呼び捨てにできないのを、ムリして呼び捨てした、ほんとは四郎さまって言いたかった、わああー」
「そういうとこ、つっこむの禁止」康三郎は助手席のシートに深く腰かけ、なにかを吸いこむように呼吸した。
「このシートええなあ、皮がやわらかて高級やなあ。奥の惣領さまにもたれたような……いのちくれ……なんてって言わっせるしさあ」
生身の四郎がおじを避けに避けているのと逆に、渦のごとき「奥の人」は、康三郎を翻弄して取り込みにかかるので、始末が悪い。
「やめてーーー。変に生々しくて受け止められないーーー」
冗談半分に盛り上がりながら、ふと高橋は、組手の再現がアヤシくならないか、不安を持った。
「ねえ、康さん。四郎にはどんな風に、服従したり支配されたりしちゃいたいわけ?朝っぱらからナニなハナシですが」
「え、ただひたすら、命令されるまま振り回されたら、幸せーな感じ。奥の惣領さまが言わっせるように、いのちくれ、てって四郎に言われたら何でもする……ああ、あかんなあ、俺思い切らなあかんて……」
絶望的に忠誠一途だ、どうしようもない。
口先だけで、いっこうに思い切る気がないではないか。
「現実には絶対ないから、空想なわけだよね?」
「そう」
(似ている)と高橋は思った。四郎の中で四郎が押し込めてみせないようにしている底抜けの寂しさと、安心感や安堵感の欠損具合が似ている。まるで母親から離された赤ん坊が、求めて得られない愛着の対象を探してはひっついていくような。
一族郎党、全員似た者同士か。
愛着の欠損した家の子郎党とカリスマ性のある頭領が組み合わさると、孫子のいう「死兵」は、たやすくできあがる。
高橋は、おじに対する四郎の避けっぷりを思い出して、暗澹たる気分になった。さっさとあの家から出してやらないと、同じ屋根の下で妄想をかきたてられてはたまらないだろう。
その意味で、康三郎が週一回という非常識な頻度で岐阜の家を空けてくれることには、感謝すべきかもしれない。
「……ツカサは、どんなふう?あいつ割と受け身で康さん見上げてる感じじゃないかな」
「そうやなあ」
「四郎とツカサじゃ、違うわけ?」
「違う」
「そうなんだ」高橋は不意に、昨晩店を出て行きしなのツカサの、戸惑うような表情と引き止め方とを思い出した。
「……しまった……僕が対応をあやまった、ゆうべ」再びの青信号にぎゅんとアクセルを踏み込みながら、高橋は呆然とつぶやいた。
「え?」
「康さん、あのあとアツアツだった?それともいまいちだった?」
「そらなあ……やっぱり、いろいろ反省点あるまんまやとな。これからどうするか、ツカサ考えこんでまって。俺もよう相談せしと」
「僕があそこに泊まって、これからのことをよく話さないといけなかったのか……出てきちゃまずかったか……。
ツカサもツカサだよ、モヤモヤしたままじゃ困るからちゃんと話そうって言ってくれりゃあ……。
いや、僕がとちった。恋愛がらみだと、仕事もミスる」
「俺らが口下手でよう説明せえへんのやで、照がトチったわけやないがね」
「康さん。店長でも明確に自分の心情とやるべきことが、いつもわかるわけじゃないんだ。答えを導き出しやすいよう問いかけたり、説明しやすくするのって、雇う側の課題だ」
高橋はため息をついた。「ああ、すっげえ煙草吸いたい……せっかくやめたのに……。ドンマイ、今できることしよっと」
高橋はスマホを康三郎に渡して、
「ごめん連絡先からツカサ探し出して、電話かけて、スピーカーで三人で話せるようにして」と頼んだ。
既視感たっぷりだ。非常に顔の似た甥とおじについて、同じことをしている。
そもそもどうして、他人の恋に体半分つっこんでる状態が、二件重ならなくてはいけないのだ!?
「くっそー、どっかで発散したい……」高橋はイライラした口調で、ハンドルを指でトントントントン……と叩いた。
電話に、ツカサが出た。沈んだ声だった。
「ツカサごめん、気をきかせるつもりで僕、お前と話さずに出てきてごめん」高橋が語りかけた。
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「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!