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熟達 あるいは、「めあての星とカヌー」。ーー高橋照美の「小人閑居」(4)

没頭型の人間は、「才能」というコトバをさほど信じない。あっという間に一万時間(実践密度としては約三年)を使い、そこそこレベルの熟達をする。
必要なことは多くない、チャップリンのいう「勇気と想像力とポケットの中の少しのお金」ぐらいだ。

必要なことは……たとえばこんな項目やガイドライン。

大目標。五年後に直木賞とか、そういうやつ。

動機。目標をクリアすることでどうなったらいいか。「現実が少しつらくてエンタメに逃げこんだ読者が、読むことでリフレーム(解釈変更)かかりまくって、寝て起きたら職場や家庭がちょっと居心地よくなってた。みたいな、ビルドゥングス・ロマン(成長小説)を日本国中に届ける」とか、そういうやつ。

でー? というヴィジョン。「書きに書いてシリーズを貪るように読んでもらったらば、理解しよう、とか自己対話、とか男と女のコミュニケーション、とか自己犠牲のない能動的な働き方とは、とかを楽しみながら見直していくことになって、中高年はキレなくなり出生率は上がり離婚率はちょびっと下がり、なにより幸せを感じる力が個々人の中ではぐくまれるといい」的なやつ。

動作。脳内にあるものを、ことごとく言語化する。とか。
デッサンや構想から。……江戸時代においてさえ、尾形光琳は一人で屏風絵を描いてたわけじゃない。たぶんもう分業制。
テニスの壁打ちの壁に向かって、延々とアウトプットを続けること。そのためには、平日と休日の起床時間は一律にし、「切りのいいトコまでだらだら仕事」するのではなく、三時間に一度運動をはさみ、食生活に気をつけ、夜十時には就寝すること……つまり、納品体力を養っておくこと。たとえばそんなこと。


「最大値の2割」ぐらいで構わないから、ご機嫌でいたい。いろいろあって、いろいろ重なって、とてもご機嫌でいられない時の「逃げ場」であってほしい。そういう書き物を書けたら幸せです。ありがとう!