うどん文化の担い手になりたい。創業90年のうどん屋の後継ぎ息子が、想いを紡ぐ。

2020年3月末、新卒で入社したソウルドアウト株式会社を退職した三好陽季。実家である、創業90年のうどん屋・日の出製麺所の四代目となった。「いつか家業を継ぐ」と言って入社した三好に、家業のこと、これからやりたいことを聞いた。

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インタビュイー:三好陽季
ソウルドアウト 2018年新卒入社。一年目から大阪営業所に所属し、一年目の夏、新人賞を受賞。

インタビュアー:宮武由佳
ソウルドアウト 2017年新卒入社。実は三好と高校が同じ。同級生。実家の鍋の〆は絶対に日の出うどん。

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「日の出製麺所は、『まちのうどん屋さん』というより、『製麺所』のイメージが近いと思う。ひいじいちゃんが戦前の1930年に創業したらしい。学校の先生をしていたけど、何を思ったかうどん屋さんになったみたいで」

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日の出製麺所は、三好のひいおじいさんが、香川県坂出(さかいで)市の民宿の食堂でうどんを打ち始めたところからスタートする。今の建物は、その民宿の場所から変わっていないそう。店が、日が上る東側を向いているから「日の出製麺所」。名前はひいおじいさんが付けた。

「そのあと高度成長期に入ると、近くの埋め立て地に『番の州工業地帯』ができて。二代目のじいちゃんは、一日に一万食、社食としてそこに卸していたらしい。もう死んでしまったけど、朝の3時から夜12時まで、ずっとうどんを打ち続けるという生活を40年続けたって言ってた。自転車で近くのまちに売りにも行ってたっぽくて」

社食への卸しが始まり、だんだんと事業が大きくなっていった日の出製麺所。今でも香川県内のスーパーや学校の給食には、日の出製麺所のうどんが並ぶ。

「三代目のおやじは、小さい頃から、学ランを小麦粉で真っ白にして学校に行ってたみたい」

何も戸惑うことなく、代々、日の出うどんは引き継がれていく。1988年に本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が開通すると、県外からお客さんがやってくるようになった。それに合わせて、三代目のお父さんの代から、お土産用に日持ちのするうどんを作るようになったそう。


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「おやじは、卸しだけじゃやっていけないって思ってて。お土産のうどんを作って、自分で値段を決めて、自分で売りに行ってたらしい。坂出には、うちと同じような卸しのうどん屋は何十件もあったけど、だんだん潰れていった。ひと玉10円の世界じゃ、そりゃ続けていくんは厳しい」

2000年代、讃岐うどんブームがやってくる。この頃から店を開いて、お昼の11時半から12時半の一時間だけ飲食もできるようにし始めた。

「昔から、地元の人がどんぶりを持ってきて道端で食べる、みたいなことをしてて。それがうどんブームで、どうしても食べさせてほしい、という人が増えて店を開けるようになった。俺が小学生のときは、夏休みに店の手伝いしてたなあ。言い方は悪いけど、将来うどん屋になることを洗脳されてたのかも(笑)」

おじいさん、お父さん、そして自分。何の疑いもなく、ただ「うどん職人」の道があって、手を抜かずに続けてきた結果、今の日の出製麺所がある。それから、中学・高校では、日々野球に打ち込む。両親には高校3年生のときに、うどん屋を継ぎたいと伝えたそう。お母さんからは、「香川に帰ってくるまでは好きなことをしなさい」と言われ、東京の大学に進み、留学も経験する。

「就活は、うどん屋といえば製粉会社とか、経営のことを学ぶために会計の会社とかを最初は見てて。でも、うどん屋に戻ったら、そういうことは嫌でもやるようになるし、だったら、うどん屋に帰ってできないことで、活かせることをしようと思って。それでソウルドアウトに出会った。うどん屋を継ぐからいつか辞めます、って言って受け入れてくれた荻原さんには感謝しかありません」

入社して2年半ほど経った2020年9月。辞めることを決意したきっかけがあったという。

「おやじが、ちょっとこけただけで肋骨が3本折れたらしくって。それで、はよ帰らな、って思った。もうおやじは55歳。全力で働けるとしてもあと5年。うどん屋を継ぐのって、一緒に麺を打つとかそういうことだけじゃないんよな。

『事業継承』は、ただただ事業を引き継ぐだけじゃあかん。もっと、創業者の想いとか事業への向き合い方とか、そういう、言葉で伝わらんことも受け継いでいかなうまくいかんって調べる中で気づいて」

お父さんの年齢を意識し、自分のタイムリミットを考えたという。帰ったらまず5年は、現場。3時か4時に起きてお店にも出る。昼はEC関連の業務を担当する予定だそう。

「俺は、文化の担い手になりたい。店は100年も続いてきて、金儲けより、文化を残していくフェーズにあると思う。これからもお客さんに喜んでもらえる、想いが伝わるECを目指していきたい」

人口減少の進む中、全国どこにいても、地球上のどこにいても、香川の坂出にある小さな製麺所を思い出してもらえるように、うどんをインターネットで届けたい、と言う。そして、インターネットで買ってくれるお客さんに直接会うこともしていきたいと、おもしろい夢を語ってくれた。

「サーカスみたいな感じで、海外キャラバンをやりたい。人に任せるんじゃなくって、俺がやる。ほかの誰かが作ったうどんじゃなくて、自分が作ったうどんでみんなを喜ばせたい。その結果、文化を広めて、あとに続いていったらすごくうれしいし、そういうのをやりたい。俺が海外に文化を伝えていきたい」

そこにしかないもの、自分しか持っていないもの、の価値を伝えていきたいと言う三好。ほかにも、小麦から自分の手で作って、ブランドの深い、こだわりのうどんを作りたいらしい。最後に、ソウルドアウト卒業にあたっての想いを残してくれた。

「中小企業支援って、めっちゃ難しい課題。そういう仕事をさせてもらったことが本当に感謝しかない。これから会社がまた進化していくタイミングで、退職するのは残念やけど、ベンチャーで働いた経験は一生もの。

一番の学びは、いろんな業種のお金儲けの仕方が分かったこと。たくさんの経営者に会わせてもらって、どういうこと考えてるか、どういう想いで会社を背負ってるか。税理士とか、オーダースーツとか、うどん打ってたら会えてなかった」

辞めてしまうのは正直寂しいし悲しい。けど、思ったのは、かっこいいな、ってことと、最後に話が聞けてよかった、ということ。

次にうどんを食べるときには、きっと何か違う気がする。


<編集後記>
香川に帰って日の出製麺所のうどんを食べるときには、私の家族にこの話をしてあげようと思います。
がんばれ、三好!!!

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