映画『ウォール街』を観て、内なるゴードン・ゲッコーの声を聞け
今日は2023年12月11日だから、日付にちなんだ話をしてみよう。
12月11日と言えば。今を遡ること36年前、1987年に米国で歴史に残る映画が公開された日であることをご存じだろうか。オリバー・ストーン監督作品、”Wall Street”(邦題:『ウォール街』)だ。サクセスを希求する若手証券マンと、貪欲かつ貪欲な投資家による、企業買収をめぐる金融サスペンスである。
本作は、今やMoney映画の古典と言ってもよいだろう。ただ、日本では最近あまり話題にされなくなった気がしている。2010年に続編である”Wall Street: Money Never Sleeps”(邦題:『ウォール・ストリート』(*1))が公開された際に多少紹介記事が作成された形跡があるが、その後はかなり少ない。念のためyoutubeもさらってみたが、よくある解説動画のようなものすら日本語ではあまり見当たらない。地上波でも最近はほぼ放映されない(*2)し、最近の人はこの名作に触れる機会が少なそうである。これは由々しき事態だ。
そこで今回おれは、この素晴らしい映画のことを微力ながら後世に語り継ぐべく、会計系ACを勝手に好機ととらえて(*3)筆を取ることにしたというわけだ。会計というのは多かれ少なかれMoneyに関わる仕事だし、会計人たる者、自分が片隅を支えている証券市場、投資家、そして資本主義社会に対する解像度を高めておく必要があるだろう。こ、こじつけなどではない。
令和の現代においても、依然、Moneyは成功の証のひとつとして君臨している。絵に描いたように強欲(Greed)を前面に出してるやつは昨今めずらしいが、なんだかんだ年収を気にしたり、高級車や高級レストランにあこがれたりする人間は多い。おまえにも多少はそういうところがないだろうか?『ウォール街』は、そんなMoney=成功に魅せられた人間たちの栄枯盛衰を描くことで、おまえにMoneyの光と影、そしてGreedのパワーと毒性を再確認させてくれる作品のひとつだ。
■ 会計人はMoney作品を履修すべきだ
「会計というのは多かれ少なかれMoneyに関わる仕事である、ゆえにMoney映画などを見るべきだ」という点について、最初に少しだけ、同ジャンルになじみのないヤング向けの補強をしておきたい。
おれの知る限り、一般に会計を生業とする人間はたいていの場合、強欲に目がくらんでヤバい橋を渡るようなタイプではない(*4)。たまに使い込みに走るやつもいるが、たいていのやつはそういう危なそうなところがないから、会計の仕事を任されているはずだ。
しかし、だからといって我々は強欲とまったく無縁というわけにもいかない。おれたちは誰のために数字を扱っているか。投資家、銀行家、経営者、だいたいそんなやつらだろう。慈善事業のようなものを除けば、ほどんどの場合、会計のあるところ営利を追求する誰かがいるはずで、そいつらがとても魅力的に見えたり、下衆に見えたりすることがあるはずだ。
基本的に、自分でガンガン事業を作っていく立場でない以上は、誰と組むか、ということが会計人にとっては結構大事な要素だとおれは思うわけだ。となると、邪悪なやつとエネルギッシュな人をちゃんとかぎ分ける必要があるわけだが、カネ持ちや事業家というのは基本的になんかアヤシイオーラをまとっているものと相場は決まっている(偏見)ので、意外と難しい。ホイホイ金の匂いにつられるようなことでもいけないが、香りが強いゾーンを潔癖に避けてばかりいては、普通にチャンスを逃す事もある。
おまえも、もしかするとこの先、ベンチャー企業みたいなフィールドに進出し、行儀の良い大企業の連中とは異なる、気合の入った経営者や成り上がり投資家のような連中と対面する機会があるかもしれない。その懐に飛び込むにせよ、遠ざけるにせよ、Moneyの世界の住人について理解を深めておいて損はないだろう。「敵を知り己を知る」事がサクセスの秘訣だとソンシも言っているのだ。
『ウォール街』をはじめとするMoney系映画や経済小説みたいなものは、もちろんエンタメ作品として成立するように、多少デフォルメされている気はするが、ちゃんと取材に基づいて作られていたりもするので、まったくのファンタジーというわけではない。おれの知る限りでも、映画に出てきそうなGreedyなナゾの富裕層のようなやつは現実に普通に存在するし、知り合いが経済小説の取材を受けてた事もある。
つまり、こういった作品はエンタメとして楽しみながらも、Moneyやビジネスの世界の雰囲気を感じ、一定の情報や教訓を得られるリスクフリーでお手軽なソースなのだ。世の中にはとんでもないやつがいるんだな、などと安全に免疫力を高めたり、スゴイビジネスマンの熱量に感化されてファイトが湧いてきたりと、色々得るものがある。機会があれば、この手の作品を積極的に摂取してみると良いだろう。
■ 『ウォール街』は不朽。いいね?
数々のMoney系作品がある中『ウォール街』は36年前となかなかに古い作品だ。しかし、古い映画であるにも関わらず、Moneyの世界の魅力とアブナさ、そして現代社会のひずみについての示唆はほとんど古びていない。後の作品にも影響を与えているし、やはりベーシックとして押さえておくべき作品だとおれは考える。
本作を不朽の名作たらしめている要素のひとつが、映画史に残ると言っても良いヴィランを造形して見せたところだろう。それが、今日話す「ゴードン・ゲッコー(*5)」というキャラクターだ。ゲッコーは、未だに色褪せない魔力を放っている。彼のことを知らずに殺伐としたMoneyの世界に飛び込むなど、人生のおよそ10000%を機会損失していると言っても過言・・・過言ではない!
また本作は、映像作品として見ても、クオリティの高い、つくりの良い作品だとおれは思っている。一見古臭く見える部分もあるかも知れないが、あなどってはいけない。今回おれは都合3.5周分ぐらい作品を鑑賞したが、お話は・・・少々シンプルではあるものの、ゲッコーはヴィジュアルも含めアウトロー映画めいてなんかカッコいいし、ときおり場面転換に挟まれる摩天楼の遠景みたいなものには情緒があるし、衣装や小道具からも様々な情報が読み取れて意外と飽きない。証券市場の活気とスピードを表現する画面分割+モンタージュのような演出もキマっている。ときたまドヤ顔で鳴り響くシンセサイザーサウンドやナゾのSUSHIマシーンのような小道具から80年代の空気を感じてみるのも悪くない。つまり、ストーリー以外の部分にも十分見どころがある作品だという事だ。
今回は、今後増えて来るであろう、『ウォール街』は知ってるけど実際には見たことないな、というヤングに紹介することを想定して話を進めているつもりだが、既に知ってるよ、という諸兄にも、多少は見どころが伝わるものになったらと思って書いている。とにかく、だまされたと思って一度見返すことをオススメできる作品である。
ウォール街 (字幕版)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00IIYWJ9K/
■ 映画の概要
・時代背景
映画の舞台は1985年のアメリカ、ウォール街。新自由主義、市場原理主義のイデオロギーが台頭し始める空気の中、時の大統領ロナルド・レーガンはレーガノミクスの名の元に規制緩和や減税を進めた。それは結果として、双子の赤字を拡大させ、高金利・ドル高から国内製造業の空洞化を助長する。その一方で、進められてきた金融規制緩和により金融経済は発達し、産業資本主義から金融資本主義(*6)へのシフトにより社会構造にさらなる変化がもたらされた。
アメリカの1980年代は、後に「強欲の10年(the decade of greed)」などと言われることになる時代である。今に通ずる、自由な競争を基本原理とした市場経済の発展やグローバル化が進み、M&Aはブームとなり、マネー・ゲームは過熱していた。
・オープニング
映画は早朝のニューヨークから始まる。薄暗い時間から動き出す生鮮市場。朝焼け。シナトラのシブい”Fly me to the moon”をバックに摩天楼は朝を迎える。満員電車に詰め込まれる人々。無言。メトロを出て、足早に都市を歩く。今と変わらない大都市の出社風景とそこに暮らす生活者たち。カメラが雑踏の中から若きビジネスマンを捉える。豪華なエントランスを抜け、窮屈なエレベーターへ。フロアは33階まである。高層ビルだ。よそよそしく文字盤を見上げる身なりの整った人たち。
エレベーターの扉が開くと、そこはジャクソン・スタイナム社のフロア。若きビジネスマンは挨拶を交わしながらブラウン管型ディスプレイが並ぶ雑然としたフロアに足を進める。「今日もうかる株は?」「それが分かればここにはいないよ。」愛すべき証券労働者たち。夢は客の側になること。
当時の経済情勢が説明される会話劇を経て、9時30分。活気溢れる証券市場がオープンする。開始約5~6分で、物語の時代背景と舞台、そして主人公を過不足なく紹介してみせる奇麗にまとめられたオープニングだ。
・登場人物
物語は以下の登場人物を中心に展開する。
「バド・フォックス」(チャーリー・シーン)
証券会社のセールスマン。主人公だ。年収はそこそこある。しかし、ニューヨークは税金も高いうえに家賃を始めとする生活費も高く、度々航空機の整備工である父親に借金をしている。仕事はしんどく上司はアテにならない。
バドの部屋にうず高く積み上げられた資料や当時はまだ高価であったであろうコンピュータから、こいつが高学歴で勤勉な人間であることが語られる。そして、そんなエリートが決して少なくはない給料をもらっているのに豊かに暮らせない都市ニューヨーク。「東京で年収1000万は貧乏」みたいな話だろう。つまり、こいつは「オレはこんなもんじゃない」と、現状を打開したくてしょうがない状態のヤングだ。
バドは、営業成績を上げるため、飛ぶ鳥落とす勢いの投資家「ゴードン・ゲッコー」に接近しようとする。
「ゴードン・ゲッコー」(マイケル・ダグラス)
投資家だ。こいつは並外れた野心を原動力にBIGなサクセスをキメている。気合の入ったオールバック。高級スーツにシャツ、そしてサスペンダー。スタイリッシュだ。派手な女と高級レストラン。郊外の豪邸。大物を集めたパーティー。蒐集した一流の美術品。
ゲッコーは、過密なスケジュールの中、あちこちに電話をかけ、世界中で資金を動かし、人生を楽しむタフな人物。カネを儲けるためなら手段は問わない。ハングリーで冷酷。母親でも売り飛ばす、歩くGreed。妻はレプリカントのレイチェルだ(*7)。
ゲッコーは、59日間連続でアプローチしてきたバドのガッツを買い、サクセスの手ほどきをする。しかし、その方法は・・・。
「カール・フォックス」(マーティン・シーン)
バドの父親で、ついでにチャーリー・シーンの父親だ。厳しい経営状態にあるブルースター航空で労働組合を束ねながら、航空機を整備している。カールは、当時マドンナが歌に歌った「Material World(*8)」な風潮に疑問を抱くタイプの素朴な人間だ。いつも会社のジャンパーを着ていて、仕事に誇りを持っている。その一方で、物語の端々から、いわゆる仕事人間であり家庭や健康、つまりWLBのLifeのほうは、さほど顧みて来なかった事がうかがわれる。決して家族を思ってないわけでもなさそうだが・・・まあ、ショーワのおやじみたいなものだろう。
カールはバドとの会話の中で、昨年に起きた墜落事故の調査の結果、責任がブルースター航空にはなかった事が明らかになった、という未発表の情報を漏らす。
・バドの成長と2人の父親的なもの
ブルースターのインサイダー情報を提供したことをきっかけに、ゲッコーとバドの関係が始まる。ゴードン・ゲッコーに魅了されたバド・フォックスは、やがてタガが外れたようにヤバいことに手を出し始め、サスペンダーを装備し、成功への階段をひた駆ける(*9)。そして、物語は、バドの悲願であるブルー・スター航空の買収そして再建をめぐって大きく転換する。
物語の構造としては、成長過程にある若者である「バド」が、「ゲッコー」と「カール」2人の父親的なもの(*10)の間で揺れる、というものになっている。そして、「ゲッコー」は、所有、富、競争、革新、美、奸智といったものを、「カール」は、労働、清貧、連帯、保守、実、誠実といったものをそれぞれ表している。
物語としての結末は存在するが、いずれにより重きを置くべきなのか。結論は最終的に観客にゆだねられるところだろう。
■ ゴードン・ゲッコーという人物
この映画の見どころは何と言っても「ゴードン・ゲッコー」の魅力だ。Moneyのためなら手段を選ばない悪人であるが、欲望のスケールは大きく、モーレツに働き、孫子を諳んじる策略家であり、一方で美しい夜明けを愛する繊細さも持っている。
ゲッコーは、特定の人物をモデルとして生み出されたキャラクターではないそうだ。ゲッコーは、ウォール街の実際の投資家を寄せ集めて造形された、いわばイデアルな存在である。悪役として描かれていることは誰もが知っているが、多くの若者をインスパイアし、バンカーやトレーダー志望者を動機付け、みんなにサスペンダーをつけさせた(*11)。
・ゲッコーとGreed
彼が体現する「強欲」すなわち「貪」は我々の親しんでいる仏教でも、瞋(じん:勘定に振り回されること)、痴(ち:道理をわきまえず愚かであること)、と並び、心のポイズンTOP3に数えられている。およそ、この手の伝統的宗教で悪役にされている欲望というのは、人間の本能に関係するものだ。それゆえ、克服することが難しい。
体に悪いものほど美味いように、心に悪いものだって美味い。道徳だけで空腹が満たせる聖人ばかりではない(*12)。成功や成長を求め、日々の活力を得るために、多かれ少なかれ我々はGreedの助けを必要とする。
ゲッコーは、乗っ取ろうとしているテルダー製紙の株主総会において、このことを語る。本作の名シーンのひとつだ。
ゲッコーの言葉は、道徳の教科書的には間違っているかも知れないが、力強く響き、さながらタフなアクション映画の主人公のように、我々を勇気づける。
ゲッコーは言う。40万ドル(当時)を稼いでファーストクラスに乗る程度ではなく、自家用ジェットに乗る人生を目指せと。
そうした際限のない人間の欲望が、社会の発展に寄与してきたことは確かだろう。しかし、誰もがゲッコーのように、デカい野望を抱き、手段を選ばず猛進できるわけではない。強欲は長年悪徳とされてきた。人をハメてまで競争に勝とうとは思わない。デカい勝負にはリスクもある。躊躇するのは当然だし、それが常識人というものだ。
だが、ゲッコーは平然とやってのける。まず我々はそうしたゴードン・ゲッコーのストレートな強さにシビれ、あこがれる(*13)。
・アンチヒーローとしてのゲッコー
そして、さらにゲッコーの魅力を増すのは、施された陰影だ。
ゴードン・ゲッコーは成り上がりだ。父親は馬車馬のように働き、49歳の若さで死んだ。この国の富の半分は1%の金持ちが保有し、その3分の2は相続によるものだと作中でゲッコーは指摘する。今も昔も、正直に努力しているからといって全ての人に必ずチャンスが訪れるわけではないのが現実だ。残念ながら、格差は再生産される傾向があり、人類は未だこの問題を克服していない。
いつの時代も、働けど働けど、その暮らしが楽にならない労働者たちがいる。その一方で「持ってる」やつらはさしたる苦労もなく安泰な生活を送り、あわれな動物を守ろう、などと言っている(ように見える)。すぐそばに助けを必要とする隣人がいるのにだ。そしてゲッコーのような良くも悪くも才覚のある者は、何も創り出さず、金をあちらからこちらへ動かし、富を得る。多くの者はそうしたことをただ見ているしかできない。
すでに成功をその手にしておきながら、産業スパイ的な手法まで使ってさらにマネーゲームに勝とうとするゲッコーは明らかにやり過ぎだ。彼のような人物が跋扈すれば証券市場もむちゃくちゃになるだろう。しかし、見方によっては、少数の者に富が集中し、格差が再生産されるこの世界は・・・すでに壊れているようにも思える。身分制度、地主と小作人・・・世界はある意味大昔からどこか歪だった。そして、民主政治がメジャーとなり、人々が自由で平等であることが大原則のようになっても、それが逆に自己責任の自由競争市場、適者生存といった、天国/魔境を生み出してしまう。
ゲッコーは、上級国民が君臨し続ける社会も、何をしているのかわからない官僚めいたVPが報酬を掠めたり続ける企業も、ただカネを動かし「所有」することで成功者になれる自由市場も、全てが狂ったバカげたものだと認識している。にもかかわらず、いやだからこそ、ゲッコーは、ヨットを何艘持とうがこのゲームをやめない。世界がいかにふざけていようとも、行けるところまで行き、必要があれば壊し、自らがルールとなることを望む。どんな手段を使っても。
持たざる者にとって、既存のシステムや秩序は言ってみればどうでもいいものだ。だからと言って、それを「だったら無茶苦茶にハックしてやろう」と行動するほどの胆力も能力もモチベーションも普通はない。ただなんとなく不満やストレスを抱えながら、日常を過ごしているのが素朴で善良な生活者の姿だろう。「こんな世界、いっそ転覆してしまえば・・・」ゲッコーは、そんな行き場のない気持ちを代弁してくれる存在なのだ。
そしてゲッコーは、自ら「すべてはカネ、他は皆ごたくだ」などと言っておきながら、バドにかつてのハングリーな自分を重ね、特別に目をかけ、それが遠因となり最終的に足元をすくわれる。
徹底したリアリストであるべきゲッコーの、そういった(屈折してはいるが)ロマンチストな部分を描いて見せることにより、造形に奥行きが加わる。これにより、ゲッコーはより魅力的な「アンチ・ヒーロー(*14)」となり、そして観客はどこかゲッコーに共感してしまう。秀逸なデザインだ。
■ おれが『ウォール街』に感じたこと
最後に、おれが『ウォール街』を観て改めて考えたことを書こう。
・Moneyに関わる仕事の悩ましさ
Moneyが円滑に循環する市場のようなものが機能する事は、現代の経済社会を支えるうえで、言うまでもなく非常に重要だ。会計や財務報告に関わるという事は、そうした社会インフラの整備・運用・改善に関わるという事であり、意義深い仕事だ。だがしかし、発展した金融システムの上で、Moneyだけではなく同時に膨大な欲望がトレードされる事を忘れてはいけない。我々の仕事は、ゴードン・ゲッコーのようなヴィランを産み出す土壌を肥やすことにも繋がっている。
テクノロジーそのものは善でも悪でもないという言葉は、貨幣や金融にも当てはまる部分がある。例えば、リスクマネーの供給はチャレンジングなビジネスを次々と舞台に登場させ、社会にあらたな活力を与える一方で、数多くの失敗案件を世に送り出し、ツキのない投資家の財布からMoneyを奪い去る。そして、円滑な金融環境は、社会の隅々に様々なサービスをいきわたらせることに寄与する一方で、所有するものとせざる者の格差を拡大するようにも作用する。そう、善でも悪でもないが、中立でもないのだ(*15)。
自分は、会計というものに関わる者のはしくれとして、常にこうしたモヤモヤを抱えてきた。全てのクライアントが、世のため人のためになる成果を上げるわけではない。現実のビジネスはなかなか「三方よし」とは行かないものだ。今、パッと見で素晴らしく思えるものだって、十年も経てばどうなるかわからない。おれは一体誰のために何をしているのか、考え出すときりがない。
・何をなすにもリソース、なにより活力が必要だ
だからと言って、そんなことを悩んで、膝を抱えてうずくまっていても仕方がない。おれは学者でも思想家でもなく、実務家であり、多少タフであろうとも「現実」に暮らす市井の生活者だからだ。なんしか家族に余裕のある暮らしもさせたい。高邁な理想を抱いても、日々の暮らしに汲々としていては何も始まらない。
そうしておれは、自問自答を何周もした挙句、シンプルな再発見に至る。
”Greed is Good.”
それはそれで答えの一つなんじゃないか?
拝金主義とまでは行かなくとも、充実した衣食住、ゆとり、物質的豊かさを全く必要としない者などほとんどいない。何をなすにも、まずは生き抜くリソースの確保が必要だ。また、地位、名誉、評価などにこだわることについてdisってみるのは簡単だが、心地良い居場所を見つけたり、影響力を身に着けたりして初めてできるようになることもたくさんある。軽んじることはできない。
そしてなにより、Greedは人間にとって間違いなく重要なエネルギー源だ。対象はカネとは限らない。誰にだってどうしても欲しいものや、大好きなものがあるだろう。よりソフトに、自分なりの幸せに対してGreedyであれ、などと言ってみれば、それは他人をアレしない限り(*16)、誰も否定し得ないモダンな権利のひとつに他ならないと気づく。
世の中は、深く考えるとあっているか間違っているかわからなくなることだらけだ。結局は、自分がやりたいと決めたことをやるしかない。その原理は正しさなどではなく、実はGreedなんじゃないだろうか。
だから、時には自分の内なるゴードン・ゲッコーに問いかけて、その声を聞いてみよう。きっとシンプルに、力強く答えてくれる。「おまえが思い悩んでいることなど、皆ごたくだ。」
『ウォール街』を鑑賞することにより、観客の内なるゲッコーは力強さを増すだろう。そのエネルギーが人生に役立つ時がきっとくる。
Greedとは、うまく付き合え。以上だ。
【注、または余談】
*1 邦題が狂気の紛らわしさだが、今日話をするのは『ウォール街』のほうであり『ウォール・ストリート』(続編)の方ではないので注意深く区別する必要がある。
*2 おれはキッズの頃、おやじと一緒に金ロー的な何かで観た。余談だが、近年の名作マネー映画(バカ映画という説もあるが)であるデカプリオのやつ(『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013))も素晴らしい作品だ。しかし、こいつは放映時間が3時間もある上に、お下品(R15)で、お茶の間を気まずくさせること請け合いなのでまずTVでは放送されない。だが、観客になぜだか無限のパワーを与える名作であるのは間違いない。機会があれば見て欲しい。おれは今回こっちも1回通しで観たがやはり良かった。
*3 おれは間違いなく「なんでもあり」という旨の説明を受けたのだ。これまで開示されてきたPROっぽいSUGOI記事の数々を見て、おれは完全に出る場所を間違えたと確信している。
*4 会計士のような人種の中にもMoneyの魅力に魅せられ、途轍もなくGreedyで、とんでもないカネを稼ぐ代わりに、ヤバいぐらい波乱万丈な人生を送っているやつもたまに存在する。
*5 ゲッコー・・・月光・・・Moon light。なぜだか体が闘争を求める。(フロム脳)
*6 論者によって「経営者資本主義」から「新金融資本主義」だったり、「グローバル金融資本主義」だったりと様々であるが、ここは雰囲気ということでご容赦願いたい。
*7 女優ショーン・ヤングのこと。『ブレードランナー』(1982)を観ていないやつは、すぐさまブラウザバックして観てこい。こんな記事など読んでいる場合ではない。
ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00UMB9MBA/
*8 物質至上主義的な社会。ちょいちょい歌に出てくるフレーズであるが、マドンナの代表曲のひとつであるMaterial Girl(1984)の歌詞が印象的。初期マドンナの声質が最高に80'sって感じがする。
*9 バドはちょっと不気味に素直すぎたりするし、物語の結末のアレなどから、少々人格に問題があるような気がおれはするが、清掃業者にアプローチして共同経営を持ち掛け、自ら清掃人を装い、弁護士事務所に忍び込んで機密情報をハンディゼロックスするなど、行動力のヤバさは評価に値する。
*10 より正確に言うと、バドのパイセンである、ルー・マンハイム(ハル・ホルブルック)も父親的役割を与えられており、ベテラン証券マンとして、格言めいたシブい助言や忠告をバドに与える(まったく聞かないが)。こいつは、オリバー・ストーンの父親である証券ブローカー、ルイ・ストーンをモデルにしていると言われている。
*11 映画の衣装予算の5分の1はゲッコーの衣装に充てられたなどと言われている。本作の見どころの一つだ。
*12 もっとも、昨今では、マーク・ベニオフが『トレイル・ブレイザー』(2020)で記したように、善行と成功は一致する、つまり社会課題に向き合う事が利潤獲得にとっても良いといった考え方も出てきている点も忘れてはいけない。
*13 なんだかんだ、今でも不定期に取り上げられている人気者だ。
*14 アンチ・ヒーロー(またはダークヒーロー)と言えば、トッド・フィリップス監督、ホアキン・フェニックス主演『ジョーカー』(2019)の舞台も1980年代である。ゴッサム・シティは架空の都市であるが、「ゴッサム」(衆愚の町)はニューヨークの異名であったことが知られており、『ジョーカー』ではニューヨークをモチーフとしたと言われている。
なぜ我々はアンチヒーローに惹かれるのか。その問いは興味深いが、おれは「アンチヒーロービジネス」のように、どちらかというと、「違いの分かるおれ」でありたい人の欲望みたいなものを貪欲にビジネス化していく現代消費社会の恐ろしさのほうにむしろ興味がある。おれもその魔の手を逃れることはできない。
アンチヒーローが適度にガス抜きをすることにより、逆に個人は社会に適合するのだ、という論もある。裏の裏のそのまた裏みたいなせんない話だが、こういう話を延々と掘り下げられるのは、人類の愛すべき点のひとつではないかとおれは思っている。
*15 クランツバーグの技術の法則より。「中立でもない」は端折られがち。テクノロジー自体は功罪を評価される対象なのでその点では「中立」ともいえそうだが、社会に及ぼす影響から考えると、良い影響も悪い影響も両方及ぼすのが当たり前で、何の影響も及ぼさないということはなさそうに思える。
*16 ゲッコーが言うように市場はゼロサムゲーム。誰かが儲かれば誰かが損をする。これは、他の幸福のようなものにも当てはまる部分がある。誰かが仕事にありつけば、誰かは仕事にありつけなかった可能性がある。誰かが仕事で良いパフォーマンスを示せば、誰かが物足りなく見える。つまり、真の意味で他人を害さずに幸福を追求する事が可能なのか、ここにも深い問いが眠っている気がするが、あまり考え過ぎないほうが良いだろう。とりあえず、やり過ぎて公共の福祉に反するとぶち込まれるので、いかにゲッコーに刺激を受けたとしても、「わきまえ」は必要だ。
誠にありがたいことに、最近サポートを頂けるケースが稀にあります。メリットは特にないのですが、しいて言えばお返事は返すようにしております。