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家族の介護と仕事で悩んだ3年間

こんにちは、やっちーです。

今日は父の日。なんだか急に天国の父への思いを書いてみたくなったので、お付き合いいただけたら嬉しいです。

約5年前に旅立った父は享年74歳。60歳で長年勤めあげた会社を退職してからは、趣味や地域活動で毎日忙しく動き回っていました。
父が亡くなる3年前、私たち家族の生活は一変しました。

何の前触れもなく、突然の病気の発症。
医師から告げられたのは、「余命半年」という宣告でした。

当時、父と母は二人暮らし。私は少し離れたところで、夫と1歳の息子を育てながらのフルタイムワーママでした。

家族の介護と仕事は両立できるのか

当時、私はケアマネジャーという在宅介護の相談の仕事をしていました。そんな私が家族の介護なんて。。。

父は、なるべく家で過ごしたい。
母は、父の希望を叶えてあげたい。

娘として私は。。
できるだけ父と母の希望を叶えてあげたい!介護の専門の私ができることを、精一杯やろう!!

そんな思いで、夫を説得して、実家の近くに転居を決めました。
同時に、私の転職活動や保育園の転園など。。
いや~もう、当時の記憶がないくらい、忙しかったですね。
その時の転職経験は、詳しくはこちらの記事にも書いています。

家族の介護と仕事と子育てと

30代で突然家族の介護に直面した私。
でも、もう迷っている時間はない。。やれることをやろう!

朝と帰り、休日には、当時2歳の息子を連れて実家へ。
孫の力は大きくて、父は痛みと戦いながらも、少しずつ病気を受け入れていっていました。
体調の良い時は、自分の部屋を整理したり、母に引き継ぐことを伝えていたり。今思うと、あんな風に自分の最期と向き合っていた父は、本当にすごかった。

一時は外を散歩できる程に元気になって、余命宣告された半年を過ぎて、1年が過ぎ、2年が過ぎ、3年が過ぎました。

家族の介護 最期の時

覚悟はしていたけれど、ある朝父の状態が急変。
今日、明日が山だと。。
もう、わけがわからなくなって、夫や会社に泣きながら電話をしていたのを覚えています。。

そして全員が集まった時、父の意識が奇跡的に回復。
家族一人一人に、最後の言葉を一言ずつしっかりと伝えてくれました。

そして、食事も水分も摂れない状態でしたが、危篤の状態で奇跡的に10日間も家族と一緒の時間を過ごしました。
最期の瞬間は、父が母と二人になった、ほんの一瞬でした。
娘や孫には最期の姿を見せずに旅立ったのも、父らしいな、と。

家族の介護を終えて 仕事への思い

父が旅立ってしばらくは、介護の仕事をしていても、感情移入して泣いてしまう日が続いていましたが、1周忌を迎える頃になって、やっと気持ちの整理がついてきました。

父が私に教えてくれたこと。それは、
「人の命はいつかは終わる。最期の時まで精一杯生き切る」
そんな生き様、死に様を身をもって教えてくれたと思っています。

それまではなんとなく続けていた仕事でしたが、私はこの仕事や経験をとおして、
「後悔しない人生を送れるように、最期まで自分らしく生きることを応援しよう」
そんなことを思いながら、介護の仕事にプラスして、終活やエンディングノートで大切な人に思いを伝える活動も始めていきました。

それまで何となく生きていた私の人生は、父からのメッセージのおかげで、自分のベストを尽くして生きていく人生に変わっていったようです。
これからも、天国の父に負けないように、精一杯生きていきたいと思います。

父の日に突然思い出して書き綴った乱文乱筆でしたが、最後までおよみいただきまして、ありがとうございました。

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また、次の投稿でお会いしましょう。

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