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人類は元々、女性優位だったのかも知れない。そして未来も。

今日はとても天気がいいですね。気分の良い日です。
こんな日は、ちょっと発想の訓練というか、
頭の体操をするには向いている日だと思います。

ですので、最近、思いついた勝手な自説を書いてみたいと思います。
それは、今風にいうならジェンダーの話です。

まず皆さん、日本の歴史を学校で習ったときに、
いちばん古い時代は何時代だったか、覚えていますか? そしてその次は

はい。縄文時代と弥生時代ですよね。
縄文時代は狩猟生活で弥生時代から稲作が始まった、
という感じで教わっていたと思いますが、
最近では新しい事実がどんどんわかってきて、
縄文時代から稲作があった、ということが言われているみたいですね。

で、その縄文時代と弥生時代ですが、
同じくらいの知名度ですが、長さは全然ちがうんですね。
縄文時代は今から13000年前から2300年前までの約1万年!
それに対して弥生時代は、2300年前から1700年前まで。
つまり600年くらい。

全然ちがうんですよ、長さが。

つまり何を意味しているのか、というと、
人類の進化の度合いは指数関数的に変化していて、
縄文時代の変化はものすごくゆっくりしていた、ということだと思います。

その後、稲作が行われるようになっていくのですが、
これはすなわち人々が「定住」したことを意味し、
また食料の備蓄というものが「富」となって、貧富の差が生まれ、
人々の間にヒエラルキーができていった、ということを意味しています。

逆に言えば、狩猟採集生活をしていた間は
ヒエラルキーがなかった、ということですね。平等だったのです。

現代を生きる我々からは信じられませんが、
ルトガー・ブレグマンの著書「Humankind」にもあるように、
人類は元々は争い合う性質ではなく、何でも平等に分け合い、
互いに助け合うという暮らしをしていたようです。

そしてこれは、今でもプリミティブな生活様式を守り続けている民族や
部族の人々の文化を見ても同じことが言えるようなんですね。

要は、人間は本来は平等主義であるのだけれど、
あるときからそれが変わったということ。
そのトリガーを引いたのは「富」であるということです。

で、先日、読了したクリストファー・マクドゥーガルの著書
「Born To Run」の中にも山間の中でひっそり暮らす
タラウマラ族という人々が出てくるのですが、
彼らもまた争いを好まず、女性を大切にするそうなんですね。

それと、毎週土曜日にBS-TBSでやっていた
関口宏の「もういちど近現代史」という番組が終わって、
新しく「いちばん新しい古代史」というのが始まったのですが、
これが近現代史と同じくらい面白くてですね、
先日の第2回目の放送では土偶が特集されたのです。

その中であったのが、土偶はすべて「女性」を象っている
ということだったんです。
そして土偶は、長い長い縄文時代の間に様々に変化しながら
ずっと存在しつづけていたのに、
弥生時代に入ると、姿を消すんだそうです。

そこで私の頭の中に仮説が閃いたわけです。

その前に、もう少しだけ歴史の話をしておきますね。
同じく「いちばん新しい古代史」の中で、
日本では考古学の発掘調査が
あまり行われないということを言っていました。

なぜだと思いますか?

まず、今を生きている私たちから見た時に、
江戸時代から明治時代への転換はそれほどしっかり教えられませんよね。
実は今、私たちが「古くからの日本の伝統だ」と言われているものの中には結構、明治時代になってから明治政府がつくったものが多いのです。

それはつまり、それまでの武士が納めていた幕府の時代から、
天皇が神である一神教の近代国家を作ろうとした明治政府が、
様々なことを「もともとはこうだったのだ」と、新しく始めたのですね。

それらは天皇が神であることの正当性を日本国民に理解させるために
作りあげられたものです。

そしてその頃に作りあげたものをベースに、
我々の現代社会はできています。
考古学の発掘をなぜしないのか?ということの原因はそこにあります。

つまり、日本の国土をいろいろ掘り返してみたら、
実は明治政府が言っていたこととはちがう
科学的な史実が出てきてしまったりすると
日本の近代史は根底から崩れるし、皇国史観に基づいた思想も
科学的には嘘だということになってしまう。

天皇の国を守るためという大義名分で戦った先の戦争だって、
まったく正当性がないことになってしまいます。

それはちょうど天動説から地動説になったときに、
この世は創造主がつくった、というキリスト教の根幹が科学的ではない、
ということになってしまったことと同じだと思うんですね。

なにぶん明治政府は、
この日本という国の起源を「神話」に求めていますから。
ここ、わかるでしょうか。

これはあくまでも私の個人的な考えですが、
日本の国の起こりが神話であるはずはないと思っています。

日本の歴史を記す記録が西暦700年代の古事記と日本書紀しかなく、
それ以前のものがまったく存在しないわけですが、
私はこんなふうに想像しちゃっています。

その間の歴史は闇に消されたのかも知れないと。

つまり、天皇の支配者としての立場の正統性を確保するために、
そのときの国の状態がどのようにしてなったのかということを
都合よくストーリー化するために、神話という形にしたてた。

もちろん、当時は神事は今よりもっと日常的なことだったとは思いますが、本当は天皇ではない有力者もいたであろうこととか、
その辺りのことをうまく神話の中にインクルードしてしまって、
「こうして今に至るってわけよ!」という
支配のための道具として歴史ストーリーが書き上げられたと。

民を支配するのに、君臨の正当性があるのだという
ストーリーが必要なのはどこだって同じですからね。

言ってみれば、明治政府もそれと同じことを
もう一度やったということですね。
その前までの歴史を闇に消すことも含めて。

だから下手に地面を掘り返せないんですね。
まったく日本という国は、何から何まで歪んでいます。

私はそんなことなんじゃないかなぁと推測しているわけです。

今まで2000年ほど天皇による男社会が続いてきたという日本ですが、
ここで縄文の話に戻るわけです。

狩猟採集生活=みんなが平等な生活が終わり、
女性を象った土偶が終わり、
稲作による富がヒエラルキーをつくっていく時代になり、
その風習が今も続いているということは・・・

社会の男性性という言い方があるかわかりませんが、
人間社会は長いこと男が中心で、その社会はヒエラルキーがあり、
かつ争ってばかりいた社会だったわけです。

ここで男社会=闘争の社会という定義が可能だったとすると、
もしかするとその前までは女性が中心の社会だったのではないか?と。
土偶が女性ばかりなのも、お守りとか、そういう風に考えず、
ただ社会の中心を象っただけのものということもありうるわけで
(スターのブロマイドみたいに)
人類は元々は女性が中心の女性社会だったものが、
稲作&定住&ヒエラルキー&闘争という男社会に
とって代わられたのではないか。

だとすると、男性が女性の立場を虐げたり、
頑なに対立と闘争を繰り返すのは、
もしかしたら社会の権力の座を女性に返したくないからなのでは?

そういうバックボーンがあって、例えば天皇の男系の話とか、
そういうものも生まれてきたのかも知れない。

こう考えた根拠がもうひとつあって、
それは中央アフリカのコンゴ共和国にすむ野生の猿、
ボノボのことを思い出したからです。

ボノボは見た目はかなりチンパンジーと似ているのですが、
攻撃的で男性優位の社会をつくっているチンパンジーに対して、
寛容で優しく、平和的な女性優位の社会を作っているのです。

女性優位社会は攻撃性が少ない、ということと、
狩猟採集生活をしていたころの人類は平等で寛容であったということ。

その後、富が人間と絡むことによって社会が男性化し、
攻撃性を増していったのではないか、なんて考えたんですよね。

最近、世界中でジェンダーの考え方が問い直されていますよね。
地球温暖化の危機を乗り越えて、共生の道を辿っていった人類は、
数百年後には、今からは考えられないほどに様子が変容し、
女性優位の社会になっているのではないか?と想像するのです。

そうなることで、社会の価値観の大転換も起こる。
いや、そのことが大転換そのものなのかも知れません。

皆さんは、どう思いますか?

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