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もうここにいない

~汚い言葉遣いを含みます。ご容赦ください。~

大切な友人がこの世を去った。

病気でも、事故でも、自然災害でもない。自ら命を絶つことでこの世を去った。


3週間ぶりくらいにラインをすると、彼の父親から彼がこの世を8月の末に静かに去っていたことを伝えられた。ラインを父親が見れる状況にあったり、彼の父親から彼がいないことを伝えられた後数回やり取りをするうちに彼が計画的にこの世を去ったことが明らかになり、なおさら苦しくなった。

僕と同じく、いじめられて不登校になった境遇を持っており、7月にその時の記憶がフラッシュバックさせられる経験があり、それが辛いと8月中頃に連絡を受けていた。電話もした。その時は笑っていたし、「お互い幸せになろうぜ!」「9月発売のスプラトゥーン3一緒にやろうぜ!」なんてことを冗談も交わしながら話していた。スプラトゥーン3、やってるぞ。

彼にとっての「幸せ」はこの世から自ら退場することだったのだろうか。否。断じて違う。

自殺が悪いことだとは思わない。彼に残された家族や友人、俺の気持ちを考えろよと問いただしたい気持ちも全くない。彼に自殺以外の選択肢を選べなくさせたこの世の中が悪い。憎い。特に今回は電話もしていたこともあり彼が何故ここまで追い込まれたのか、誰にどう振舞われて追い込まれたのかも自分なりに理解しているつもり。だからこそ、彼をここまで追い詰めた人間、それも一人の人間に対して無限の怒りが湧いてくる。滅多にこんなことは思わないし、思ったからと言って公の場で口にするべきではないとも理解しているが、彼を追い詰めた人間には一生幸せになってほしくない。笑ってほしくもない。今回ばかりは。彼を絶望の淵の向こう側まで追い込んだ人間が許せない。


トルストイが『戦争と平和』で言っていた。

「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。」

この言葉を思い出す。

自分なりにこの言葉を解釈するのであれば、他人を不幸にすると他人は自分に対して他人は憎悪や憎しみの感情を生み、それはスパイラルとして他人の中に留まり続ける。だからこそ、他人を不幸にしてはいけない。その不幸は一生その人の中に留まり続ける。

彼の死を無駄にしてはならない、だからといって行動したいとも思わない。行動したくないのは自分も同じ思いを過去に経験していてそれに向き合うことが怖いからかもしれない。昨年所属していた学生団体や留学中の勉強のことを話すと「ダルい!」「マジメきしょい!」なんてことを言ってたなぁ。だからそんな高尚なことはゲーム好きのあいつは望んでいないと思う笑(望んでたらスマン)

ただ、目の前の、隣の、手の届く範囲の人を大切に大切にして生きたい。話し合っていきたい。そんな当たり前のことを強く意識させられた。

もしかしたら、彼を今回絶望の向こう側まで追い込んだ人は一時の感情に任せただけかもしれない。話し合うことが面倒で、突き放しただけのつもりかもしれない。誤解があったのかもしれない。もしかしたら、相手も絶望に立たされていたのかもしれない。ただ、謝罪したいと思ったその時に彼はいない。そしてそれは、誰にでも起こりうること。そんなシンプルなことになんで僕らは気づけないんだろう。いや、気づいているけど見えていないふりをしているだけかもしれない。

どんな相手でも大切にして、話し合いたい。過去に遡れるなら遡りたい。話し合いたい。そして、傲慢であることは知っていながらどうかこれを読んでくれている人も、目の前の、隣の、手の届く範囲の人を大切に大切にして欲しいし、話し合ってほしい。少しだけ、ほんの少しだけ世界が良くなると思う。そんなことを思った。大切な人と、無為に時間を使うことにこそ愛があるんじゃないかとも思う。

もっともっと書きたいことは沢山あるけど、彼に「意識たっか!!!えっぐ!!!きっしょ!!!」って言われそうだからこの辺で止めておく。今日も明日も、彼がいるはずだった。きっと今週末くらいにスプラトゥーンで遊んでたはずだった。

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