アメリカ留学日記 Vol.10 DCひとり旅 前編
アメリカ留学日記もついに第10弾になりました!早いもので留学に来てから半年が経過しており、気が付けば帰国までの折り返し地点を過ぎていました。
今回は7月の頭に一週間一人でアメリカの首都ワシントンDCに行ったのでその時の様子を残しておきたいと思います。(アメリカにはワシントン州と首都のワシントンDCがあるのでごちゃまぜになりがちですね。アメリカ人はワシントン州のことはワシントン、首都のワシントンDCのことはDCと呼んでいるので僕も郷に入っては郷に従えの精神で今後ワシントンDCのことはDCと呼んでいきたいと思います!)
人生初のファーストクラス
何と今回のひとり旅で人生初のファーストクラスに搭乗してしまいました。しかもエコノミークラスの料金で!
どういうわけかというと、アメリカでの飛行機移動はなるべくユナイテッド航空を利用しているのですが(日本-アメリカに来た時もユナイテッド航空を使いました)、ユナイテッド航空のマイレージ会員のクラスをプラチナムシルバー以上に上げるとチェックイン(出発24時間前からアプリで可能)時にエコノミークラスより上のグレードに空きがあると無料で座席のアップグレードが可能になります。(ユナイテッド航空の国内線の座席構成はエコノミークラス、エコノミープラス、ファーストクラス機体によってはビジネスと呼ばれるという構成です)
僕はプラチナムシルバー会員なのでアップグレード先はエコノミープラスと言うエコノミークラスの一つ上の座席へのアップグレードとなります。しかし、チェックインをアプリで行ってみるとなんとエコノミープラスは既に満席。あーあ、エコノミークラスかぁと思っているとユナイテッド航空からメールが!メールの内容は簡単に言うと…
まじか。
測らず下人生初のファーストクラス体験をここですることになるとは。登場する順番ももちろん一番。搭乗手続きを優先的にしてもらったり、誰もいない機体に乗り込む優越感を味わい早速搭乗。
普段載っているエコノミーやエコノミープラスの座席とは圧倒的に違う座席のふかふか感!子供なら2人一つの椅子に座れてしまうんじゃないかと思うくらい広い座席!こんなにものを使わない!と言いたくなるくらいのポケット数!デカすぎるテーブルと肘置き!凄すぎました。
どうやら隣の座席に座ったおっちゃんも同じ条件でファーストクラスにアップグレードされたようで、二人で
「テーブルってコレどうやって出すの?」
「コンセントどこ?座席の下なんだろうけど…」
「ご飯とかって出てくるのかな?お酒は無料でしょ?」
などと話していました。落ち着きは全くありません笑
ちなみに、テーブルの出し方とコンセントの場所は分かりましたが料理は日付をまたぐ深夜便かつ、23時以降の出発機ということで出ませんでした。(離陸後一時間経過時くらいにワインもしくはシャンパンのサービスがあったようですが寝てしまっていました)
その後、シカゴを経由してDCに無事到着しました。(シカゴ-DC便はエコノミープラスでした)
How America Is Made
DCでいかなければいけないところと言えば間違いなくナショナルモール!
世界最大の博物館群であるスミソニアンと、国立美術館や国立記念碑など様々なモニュメントや庭園が入っている東西およそ3キロの大きな国立公園です。といっても、自然!みたいな国立公園ではなく、どちらかというと街中にある公園の超巨大バージョンといった感じです。
僕の旅のポリシーとして歩いているときはグーグルマップを見ないという信条があるので、今回もそれに従って行動しました。たまたまナショナルモールを訪れた日が7月4日、そう、アメリカの建国記念日だったこと、ナショナルモールで夜になれば花火が行われると言うこと、当日シカゴで行われた建国記念日で銃撃事件があったことからナショナルモール付近は超が付くほどの厳戒態勢。警察官はほとんどが両手持ちのライフルの銃を抱えていて、ホワイトハウスの周りは5ブロック(交差点5つ)先から交通規制でクルマは乗り入れできず、歩いて入るしかありません。また、ナショナルモールの入り口も全部で4か所に制限され、その全てで持ち物検査がありました。
とりあえず入り口を見つけて、手荷物検査を受けてナショナルモール内へ。まず向かったのはトマス・ジェファーソン・メモリアル。アメリカ合衆国第三代大統領で、「アメリカ独立宣言」を起草した一人としてアメリカ建国の父の一人として数えられています。中はドーム状になっていて、壁にはアメリカ独立宣言の文章やトマス・ジェファーソンの名言が彫られていました。
そしてジェファーソンが見つめる先にはホワイトハウス。ジェファーソンが現職大統領の行動を常に監視しているというコンセプトらしく、木々もジェファーソンの目線に合わせて切り込まれていて芸が細かいなと思いました。
次に向かったのは、第二次世界大戦時の大統領であったルーズベルトと原子爆弾を投下する決断を下したトルーマンの名言や演説の切り抜きが彫られているエリア。第二次世界大戦を西側諸国の目線から見ることはなかなかない経験。戦時中の日本のプロパガンダ広告を見ると「鬼国米国」なんていう文章もチラホラ見かけますが、一方のルーズベルトは「I HATE WAR」という有名なスピーチを残しているなど好きでやっているわけではないと言うことが伝わってきました。一方で原子爆弾投下に関しては小さな看板が一つあるだけでその点に関しては受け取り方が大分違うように感じました。
その近くには日本を感じる塔も。DCの姉妹都市である横浜市からの寄贈らしいです。
なんだか日本を感じるのは久しぶりな気がして、しばらくじっと見つめていました。
その後は公民権運動の指導者であるキング牧師の像を見ました。こちらは完成がまだまだ最近のこと(リフォーム?)だそうで、今後周りの岩に色々説明を掘ったりするらしいです。本当に像が広場にポツンと設置されているだけでもう少し何かあってもよかったのに、と思ったりもしました。しかし、キング牧師の像の周りには心なしか黒人の方の割合が多く感じられ、今でも心のよりどころのような存在になっているのだな、と感じたりもしました。
そしてその後にいよいよアメリカ合衆国初代大統領であるエイブラハム・リンカーンの像があるリンカーン・メモリアルへ!
このリンカーンメモリアルの周りはキャプテンアメリカやナイトミュージアム2のロケ地として使われたこともあり、映画好きの僕はこの角度は!と興奮していました。
そして、リンカーンメモリアルからは…
スパイダーマン:ホームカミングの撮影でも使われ、DCの象徴ともいえるワシントンモニュメントが見えます!リフレクティングプールと呼ばれる手前の池がいい味出してる!ちなみにワシントンモニュメントの高さは169mで、DCではワシントンモニュメントを超える高さの建造物の建築は禁止されています。なんだか京都みたい。
なので、アメリカの首都と言いながらも東京のように高層ビルが乱立している雑多な感じではなくどちらかというと落ち着いた街のような印象を受けました。道路も日本と比べて広い分圧迫感も無くて本当に過ごしやすいぞ、と思ったりもしました。ビルの高さで言えばサンフランシスコやヒューストンの方が高い建物がいっぱいあります。
とこんな感じでゆったりナショナルモールを回っていると(他にもいろいろ回りました!)夕方に。この日は建国記念日の花火を見るために夜もう一度ナショナルモールに来ると言うこともあり一旦休憩も兼ねてホテルへ。ホテルで軽く昼寝とシャワーを浴びて夜の8時過ぎ、もう一度ナショナルモールへ。リンカーンメモリアルの近くに場所取りをして…
花火だぁ~!!!
なんだかんだ2年ぶりくらいの花火!まさかアメリカで見るとは…!しかも建国記念日の!25分ほど怒涛の花火ラッシュ!日本みたいに花火の風情だとか、打ち上げた時の「ドーン」っていう音の響きを楽しむみたいな感じは全くなく兎に角間髪入れずに打ちまくれ!みたいな感じでした。上空に煙が溜まろうがおかまいなし!25分間日本の花火大会のクライマックスが続くみたいな感じで、日本の花火大会に慣れていた自分は少し疲れました。うるさい。
そして帰宅、5ブロック先まで交通規制が掛かっているのでみんな地下鉄やウーバーで来ています。そしてアメリカ、地下鉄が時間通りに来るなんてことも無く、一本でも早い地下鉄に乗るべく最後の花火が終わったら争奪戦です。幸い交通規制のおかげで歩道だけじゃなくて道路も通ることが出来るので、みんな道路を足早に地下鉄駅に向けて歩いていきます。それにしても、煙おかまいなしで花火を打ち上げまくっていたお陰で地下鉄駅までの道もなんだか煙ったい…
余談:
DCの地下鉄駅、めっちゃカッコいい!
飛行機
別日にはスミソニアン航空宇宙博物館の別館であるスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターへ!入館料無料!
DC市街からは電車とウーバーの乗り継ぎで大体1時間程度かかる場所にあるのですが、ここはトランスフォーマー:リベンジやナイトミュージアム2の撮影地の一つでもあり、どうしても来たかった所!また、中学生までは航空自衛隊の戦闘機のパイロットになることが将来の夢だった時期もあり、行く価値があると判断しました!
手荷物検査を受けていざ中へ!
ナイトミュージアムとトランスフォーマー
博物館内にはたくさんの航空機が展示されていました。第二次世界大戦に向けて研究で使われたプロトタイプの戦闘機から、ボーイングの初号機、日本で言う「鳥人間コンテスト」に向けて作られた飛行機など空を飛ぶものであれば何でもといった感じです。ヘリコプターも少ないですがありました。
その他にもベトナム戦争時に使われたアメリカ軍のヘリコプターや真珠湾攻撃時に港に停泊していて唯一原型をとどめていた水上飛行機、世界最速の旅客機であるコンコルド、ライト兄弟が作った飛行機のレプリカ、ナチスドイツの航空機など航空史に未来永劫名を遺すであろう航空機が間近で見ることが出来ました!すごい…
そして写真を撮った戦闘機やスペースシャトルに圧倒されてそれらの写真をほとんど撮っていない…これもある意味ですごい…
ナチスドイツエリアはリフォーム中で、バリケードの隙間から覗くくらいしかできず残念。ただし、航空機の部品がバラシて置いてあったりしてそれもそれで貴重だぁ!と興奮していました。また、ライト兄弟の飛行機(レプリカ)も訪問時は他の博物館に貸し出し中だったらしく見ることが出来ず断念。
スティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターを代表する展示航空機・スペースシャトル ディスカバリーの写真をどうぞ!
余談ですが、トランスフォーマーで警備員を倒して隠したトイレも見てきました笑
ヒロシマ
そんなスティーブン・F・ウドヴァーヘイジー・センターには時代を象徴する航空機として第二次世界大戦時に使われた航空機が多数展示されています。航空機は皮肉にも第二次世界大戦時に各国がしのぎを削る中で発展してきた歴史があるからです。電子レンジやホッチキスなどが元々戦争のための兵器開発や戦地で素早く治療するために元は開発されてきたのと同じような歴史を航空機も辿ってきたからです。空を飛びたいという人の純粋な好奇心や想いがいつしか兵器のためと化けてしまったのです。
その中でも個人的に一番心に残っているのは、日本人だからでしょうか。旧日本軍が作った航空機の数々です。
日本でも見ることが出来ない旧日本軍の兵器が大量に展示されていました。写真は撮っていませんが、紫電改なんかも展示されていました。なんで軍国主義国家であった大日本帝国といえども日本が作ったものなのに日本にないのだろう、日本で見ることが出来ないのだろう、と不思議な気持ちになりました。今はアメリカと日本は(少なくとも表面上は)同盟国や友好国と言う言葉を用いて平和的な関係を築いていますが、この展示を見ている時間だけはどうしても戦勝国と敗戦国と言う位置づけをしてしまう自分が居ました。そして展示の説明を見ても大体「GHQの日本占領時に取り上げてアメリカに研究分析などのため移動された」と書かれています。水上戦闘機 青巒なんかは現存している機体はこの博物館に展示されている一機だけです。日本で見られるはずがありません。他にも月光も現在4機が現存していますが、4機全てアメリカ国内で保管されています。怒りとも悲しみとも違う、不思議なネガティブともポジティブとも取れない気持ちが浮かんできました。
そんな中で特に第二次世界大戦で敗戦した国に生まれたということを意識させられる航空機がありました。爆撃機B-29を原子爆弾を投下するために特別に改造された「エノラゲイ」です。
所狭しと並べられた航空機の中でも一際目立っているように感じました。しかし、B-29 エノラゲイの展示プレートは非常に質素なもので、B-29を原子爆弾投下に耐えられるように特別に改造したこと、この航空機が広島に原子爆弾を実際に投下したこと、の大まかにまとめると2点しか書かれておらず、原子爆弾投下に至った背景や、原子爆弾のもたらす被害の悲惨さなんかには一切触れられていませんでした。どうしてもこの展示方法には批判的にならざるを得ません。もしかしたら、いや、間違いなく歴史上もっとも人を殺した航空機である航空機がこのような展示方法でいいのでしょうか?
そしてエノラゲイを見ている人たちの態度にも疑問が湧きました。
少なくともアジア系では無い見た目の人がエノラゲイと自撮りをしていたり、グッドポーズをしながら写真を撮っていて「あぁ、この人たちにとって原子爆弾だったり、その背景にある被爆や犠牲となった人たちは笑顔の自撮りやグッドポーズで済まされてしまうのか」と悲しさと虚無とが混ざったような感情を抱きました。しかし、それが世界の被爆への現実でもあるのかとも思います。
なんだか残念な気持ちになりました。
ただ、今年のNPTでは興味深い働きかけを日本政府が行いました。そちらにも注目していきたいです
DCその他
DCではその他にも
ナショナルジオグラフィック博物館
国立美術館
国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館
にも訪れていましたが、このnoteの文字数が6500字を超えていてカメラで撮った写真も大量に追加している関係でめちゃくちゃ重くなっているので、こちらは「アメリカ留学日記 Vol.11」で紹介したいと思います!
次回に続く…!
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