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新しい技術との出会いと戸惑いと(2018年1月)

学生時代に使っていたのは、持ち運ぶには重すぎる兄からのおさがりのノートパソコンだった。卒論の保存先はフロッピーディスク。電話回線がつながるまでの長い時間をボンヤリと待った。ハイレベルな議論が交わされているパソコン通信の掲示板に参加する勇気など、もちろんない。インターネット以前の話だ。
今ならスマートフォンで大概のことができるようになった。じゃあその次は?
これからの30年を示唆するのが『インターネットの次に来るもの』(ケヴィン・ケリー著 服部桂 訳 NHK出版)だ。人もモノもすべてがつながり、善悪・要不要に関係なく「そうならざるをえない」未来を、12のキーワードで読み解く。ここで描かれる未来への不安は、自分の勉強不足が原因だと頭では分かっているけど、やっぱり少し怖い。

レコードからカセット・CDへと変わり、今はストリーミングが主流になりつつある。テクノロジーやメディアの進化が、音楽の聴かれ方だけではなく、音楽そのものをどう変えたのかを記したのが『ポップ・ミュージックのゆくえ』(高橋健太郎 著 アルテスパブリッシング)。
ボーカルを取り除いた音源に、様々な加工を加える「ダブ」。ジャマイカのレコードエンジニアだったキング・タビーが1968年ごろに発明したとされているこの手法が、世界中の大衆音楽に変化をもたらすことになる。パンク以降のロック・ヒップホップ・ハウス/テクノ・ワールドミュージック。国やジャンルや人種にだけこだわっていては見えてこない音楽の在り方が聴こえてくる。音楽的な知識が全くないまま、節操なく気になったものを聴いてきた自分の音楽遍歴に、少し自信が持てた。

思い返せば、新しいテクノロジーとの最初の出会いはゲームだった。任天堂の成長を支えた天才開発者・横井軍平の集大成が『横井軍平ゲーム館』(横井軍平・牧野武文/著 ちくま文庫)。すでに広まっている技術を新しい視点で捉え直すという、今ではすっかり有名になった「枯れた技術の水平思考」は、それなりに年を重ねた我々世代にこそ、必要な考え方かもしれない。

この文章を書いているスマートフォンが、子供のころに夢中になったゲームウォッチと重なってみえる。テクノロジーの移り変わりを知っていることを、前向きにとらえよう。


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