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【自己紹介】まったく考えていなかった経営者としての人生。

みなさんこんにちは。
合同会社ゆたか代表の東海林温(しょうじゆたか)と申します。
現在は、イベント事業、キッチンカー事業、キャリア支援事業、クラフトビール開発事業を展開しています。
また、事業を通じて食品ロス削減やアップサイクルへの取り組みも行ったり、経営者育成にも携わっています。

今日は会社が新しい期を迎えたこともあり、改めて自分の人生の振り返りと想いをnoteに書きたいと思います。


1、田舎で過ごした幼少期

私は、秋田県の農家の息子として生まれました。
両親共に共働きで兼業農家のため、父は朝早くから田んぼや畑に行き、
会社から帰ってきても田んぼや畑にいく毎日だったことを覚えています。

好奇心旺盛な性格なので、やってみたいことは何でもやってきました。
小学校では習字やそろばんを習い事で始めました。
また、昔から体を動かすことは好きで、小学校は野球、中学高校はバスケットボールに夢中になりました。

習い事やスポーツを通じて自分を高めること、仲間と一緒に勝利を掴むことの楽しさを学ぶことができました。

2、人とのつながりの大事さを学んだ海外経験

大学3年の20歳の時にオーストラリアのメルボルンに1ヶ月の留学をしました。
この時のホームステイの経験が僕が海外が好きになり、人とのつながりを大事にすることへのきっかけとなりました。

ビクトリア州フランクストンというメルボルンシティから1時間ほどの街にある大学に通い、
トニーとサラという70歳のご夫婦が住む家にホームステイをしました。
フランクストンは海がとても綺麗で街並みも穏やかでとても素敵な街でした。

平日は大学に通い、土日は留学仲間のホストファミリーとBBQをしたり観光したりと予定をぱんぱんに詰めて遊んでいました。
BBQは4家族で集まって近況報告やゲームをして過ごしたり、たまたまその場にいたご家族とも一緒に遊ぶ経験をしました。
この時、「人が集まる場があれば、人と人がつながるチャンスが増えるんだ」ということを学び、今のイベント事業につながっています。

ホストファミリーと過ごした4週間を通じて、
国籍が違い、肌の色が違い、文化が違い、言葉もロクに通じず、コミュニケーションもなかなか取れなかったとしても、
僕は確かに人とのつながりを感じることができました。
それからの人生は自分からご縁を紡いでいくこを大事にしようと決めました。

3、人生の転機、社会人〜立ち上げ準備

海外の経験とゼミで脳波の研究をしていたこともあり、海外転勤ができる医療機器メーカーに就職しました。
最初の3年間がむしゃらに働き、毎年ある会社の今後のキャリアシートにも海外に行きたい!とだけ書いた記憶があります。
そして、3年目に会社で海外での新プロジェクトが発足しました。
日本の技術とサービス力を海外に伝えるためのプロジェクトだと聞き真っ先に手を挙げました。
上司の推薦も頂き、無事に4年目からの海外転勤を掴みました。

いよいよ夢だった海外転勤だと心躍っていた時に人生の転機がありました。
今お世話になっている社長の方々との出会いです。
皆さんに共通していたことは「仕事が面白い」と話されていたことでした。
また、立ち上げのきっかけをお聞きしたところ返ってきた言葉は「幸せになりたいから」とシンプルなものでした。
起業=特別な人がやるものと思っていた私にとっては衝撃の答えでした。

その方々との出会いから、自分の人生を真剣に考え始めました。
自分には何もないと思っていたところから、本当はどうなりたいの?と聞いていただいてからは、
自分で働く時間と場所を選びたい。何かに頼る人生ではなく、自分で自分の人生を切り開くことを決めて立ち上げの準備に入りました。

4、独立

30歳にフリーランスになり、その約2年後に法人化しました。
今ではイベント事業、キッチンカー事業、キャリア支援事業、クラフトビール開発事業を展開しています。
2024年にはクラファンにもチャレンジしたりとさらにチャレンジしました。
いくつかの取り組みをご紹介させて頂きます。


5、最後に

私はご縁がきっかけで、自分の人生の目標を明確に決めて今があります。
先輩の経営者の方々にたくさん学ばせていただき、今もなお背中を追いかけています。

ずっと大事にしていることは、自分と自分の関わる人の豊かさに貢献するということです。

企業理念である「地球と人々の豊かさに貢献します」

このビジョンを達成し続けるために、
日々、自分の目標達成のためにチャレンジし続けます。
最後までお読みいただき本当にありがとうございます!

https://yutakacompany.com/


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