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国際会議(アジア)に出席しての学び(2)~真の幸せを目指して。脱Materializm (物質的主義)~

5月15日に行われたアジアでの国際カンファレンスでの学びの後編です。
前半はこちらをご覧ください。

1週間東南アジアにいて、改めて感じたことは、Materialism(物質主義)やCapitalism(資本主義)だけの世界からの脱却、という動きです。

出席した会議のスピーカーのガラ・ディナーでもこの話題になりました。

私自身がそこに関心があるからか、世界も注目しているからか、この動きに関して関心を持つ人が増えてきたように思います。

成長や利益だけを成功の基準にしてきた世の中への問い。

どれだけ成長したら、満足できるのか、それで幸せを感じているのだろうか?という問い、です。

会議当日の夜にシンガポールで行われていた新首相就任式を見ても、あの「成長と経済発展こそすべて」と言わんばかりの道を歩んだシンガポールでさえ(そしてその成功は素晴らしかったと思います)、成長+アルファ(個々人の幸せ)に意識を向け始めました。

今後の経済発展・成長を否定しているわけでは全くありません。それだけではない豊かさとは何かを考え始めている段階にきていると感じました。

人生の豊かさを、経済成長・貨幣価値・経済価値「だけ」に求めても、それは必ずしもイコールでないことは、気づいている。

しかし一方で、「非」貨幣価値、「非」経済的価値とは何かということについては、そもそもそれが何なのか明確に定義しにくく、どのように測ればよいかもわからない。だからこそ、測るのが簡単で、わかりやすくかつ明確に測れる「経済価値」「貨幣価値」という尺度を使ってきたのだと思います。

人は、わかりやすいものを好む。
そうでなければ周囲を説得もできません。そこにおける、「経済価値」の役割はとても大きいと思います。

そして、人は、わかりにくいもの、測りにくいものは、避ける。

非経済価値というのは、そもそも1人1人の心の中にあるものともいえるので、そもそも明確な尺度で測れないない側面があるものだと思います。

測ろうとすること自体が、資本主義の考え方なのかもしれません。

その「何でも測ろうとする」「数値で表そうとする」こと自体からの脱却が、本当は必要なのかもしれません。

幸せとは、人と比べるものではないし、数字で表現するものはないし、自慢するものでもなく、自分の心にあるものだから。

資本主義的尺度と、非「資本主義尺度」というのは、どちらが正しかという問いではなく、そしてどちらかを選択しなければいけないということでもなく、共存させるその道をどう考えるのかということの方が大事な問いなのではないかと思います。

無理にはかろうとしない。良い悪いの議論ではなく、共存の道こそ意味があるように思います。

そう思うと、共存させるという考え方は日本が昔から持つ文化に非常に近いわけで、日本文化がこの動きに貢献できる部分は非常に大きいのではないかと思わずにはいられません。

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