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学級システムについて考える

これまで、6年間教員をやってきて意識していなかったことを今年"ふと"意識するようになった。それは、「学級システム」だ。当番活動、係活動、朝の流れ・・・などなど。1日の中で様々なシステムが各学校であるいは学級であるだろう。今までの自分自身の学級経営を振り返ってみるとシステムがうまくいっているなという経験がほとんどない。その原因を探るためにこの本を読むことにした。

本を読みながら、ここに実践を掲載されている先生方と私の学級のシステムを比べてみる。
私の学級システムがうまくいかない原因は、大きく以下の3つになるのではないかと考えた。

① なんとなくのシステムになっている

本を読んで衝撃を受けた文章がある。

 自分の今やっている実践をパズルのピースだとしたら、それらをはめ込んでいくとどんな絵ができるでしょうか。(中略)
 なぜ学級目標をつくるのか。その学級目標も、なぜ、教師が決めるよりも子どもたちが決めた方がいいのか。なぜ、係活動をするのか。その係活動もなぜ、グループ分担方式よりも、会社方式がいいのか。なぜ、教科指導中に話し合うのか、助け合うのか、学び合うのか、などなど、それまでつぎはぎだった実践が、パズルのピースとしてパチッ、パチッとはまり始めました。

赤坂真二,2017,「学級を最高のチームにする極意 教室がアクティブになる学級システム」
明治図書

と記されていた。今まで、そんな実践の一つひとつの意図を考えたこともなかった。それに、自分がどんな子どもに育てたいかをその実践とつなぎ合わせることもしていなかった。つまり、「なんとなく」のシステムを行っていたのである。これでは、子どもたち何も身につかない。一つひとつに目的を持って行う。例えば、

・なぜ、番号順で並ぶのか?
・給食当番をなぜ、輪番制でやっているのか?
・なぜ、朝の時間に連絡帳を書くよう、子どもたちに伝えているのか?

ざっと思い出しても、この事を質問されると私はすぐに答えを出せない。つまり、これらのシステムが「なんとなく」になっているのである。そんなシステムなら、もうやめよう。どんな子どもを育てたいか。そのためにどんなシステムが目の前の子どもに適しているかを考えなければならないなと本を読んで感じた。



②「教師のため」のシステムになっている

「私が学級経営をしやすいようなシステム」

これまでの学級経営のシステムを振り返ってみると、この言葉が一番適しているように感じる。主語が「教師」になっていたのである。つまり、システムを使って、子どもたちをコントロールしようとしていた。教師として恥ずべきことである。

今一度、学級のシステムは誰のためにあるのか考えたい。それは、子どもたちのためである。子どもたちが安心・安全に過ごしていけるようにするためではないかと考える。では、なぜ安心・安全であることが大切なのか。

このことに関して、栃木県で小学校教諭をされている須永先生のご著書「6月からの学級経営」の学級経営についての考えを記されている内容が大変参考になる。


 子どもたちが安心して過ごせる環境をつくる、これが最優先です。
 マズローは、「欲求五段階説」で、欲求の改層を低次から「生理的欲求」「安全の欲求」「社会的欲求」「承認の欲求」「自己実現の欲求」と設定しています。しかし、あなたの学級はその前段階である「安全の欲求(安全な居場所の保証)」「社会的欲求(集団への所属意識)」を十分に満たすものでしょうか。
 家庭・地域教育が十分に機能していた時代は、これらの欲求の満たし方を子どもたち自身が身につけており、ある程度は子どもたち自身で満たすことができていました。
 しかし、今は違います。教師が指導者としてしっかりと満たさなくてはならなくなりました。新採教師の学級だけでなく、ベテラン教師の学級においても学級崩壊が頻発するようになったのは、この変化に気がついていないためではないかと思います。

須永吉信,2019,「6月からの学級経営」明治図書

上記の記述から、クラスに安心・安全が確保されることの大切さがわかると思う。安心な環境があって、初めて子どもたちは主体的になれると思う。その環境を創りだすための「学級システム」である。主語が「子ども」になっているかを2学期、常に自分に問うていきたい。



③ 子どもたちの思考は「やらなければならない」

「やらなかったら、先生に怒られるから・・・・。」
「面白くないけど、みんなが困るから仕方なく・・・。」

これは、子どもたちに何かを強いている状況である。私の学級システムも現在このようになっているのではないかと感じる。子どもたちが主体的でない。もちろん、学校の様々な状況の中で「やりたくなくてもやらなければならない状況」は多くある。でも、私が目指していきたいのは、子どもたちが「やりたくなるシステム」にしていくことである。

なぜ、「やりたくなるシステム」に私が変えていきたいか。それは、こんな「学校・学級にしたい」という願いがあるからである。
1年前のこと。私(私)と先輩教師(先)との会話である。

(先)○○先生って、昔学校好きだった?
(私)いや、あまり好きではなかったと思います。
(先)俺もそうなんよ。だから、「学校」を「楽校」にしていきたいと思っとんよ。学校を楽しい場にしていきたいんよな。

「学校」を「楽校」へ。そうなれば、素敵だなと思う。「楽校」にしていくためには、「やりたくなる」ような場面を学級のシステムでも授業でも増やしていくことが必要であると感じる。


以上の3つが、私の学級システムの課題である。正直、うまくいっていないことを言語化して振り返ることは苦しい。しかし、「振り返る」ことで見えてくるものがたくさんある。気付いたこと。それは、1学期は子どもたちをコントロールするためのシステムになっていたことである。

2学期、目指していきたいのは「つながり」である。教師と子ども、子どもと子どもが学級システムの中で自然とつながれる。そうしていくためには、どんなシステムにすればよいかを逆思考でこの夏休みじっくり考えていきたい。

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