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決意した離島暮らし。不安な気持ちに覆われるのは、行き先や目的のせいじゃない

あけましておめでとうございます 𓊓
1月9日から島に行ってきます。




初めて本土を離れ、初めてのシェアハウス生活へ


私は実家が徳島県なのですが、田舎が苦手です。

田舎特有の文化はとてもあたたかく、素敵で、幼少期を田舎で過ごすことによる感性の伸び方や美しいものを慈しむ目はそう簡単に手に入れられないと思います。
それでも、物理的な面でお店が早く閉まったり、人が早くお家に帰ったり、光のないところは寂しくて本当に苦手です。


そんな私があまりにも心動かされてしまう環境と関わりを持つために、
大都会大阪を離れ、1日2便しかないフェリーに4時間かけて乗船し、3ヶ月という長い期間、島根県の隠岐諸島 海士町へ移住します。

「3ヶ月なんてあっという間だよ」と海外の友人や留学を経験した友人に言われるのですが、3ヶ月って、季節が変わります。

寒い冬が、帰ってきたら桜の咲く春になっているのです。わ〜〜


なぜ島なのか。憧れの東京とは逆?


「行きます」とお返事をしたあとの方が悩んだ気がします。

それくらい、勢いがないと変われない感覚がありました。


私は学生の頃から常に「変わりたい」と口にしていました。

自分自身がもの凄くコンプレックスだった訳でなく、
それに楽しさも見出していたし(変わりたいと努力する人に後転する人をあまり見たことがなかった)、
その口癖によっていつの間にか向上心が育ち過ぎてしまっていました。


東京へは、

  • 単純に光が多い(人が多い)から

  • 多くを得て吸収したい(美容師さんなども、新たな技術を学びたいと思えば東京に繰り出すなど、活動的な人が集まる場であると聞いていたから)

という理由から、いつか生活の拠点にしたいなと思っていました。


そんな中、人口2,262人、チェーンのスーパーもコンビニもマクドナルドもスターバックスもない島で生活するなんて、
20歳の頃なら、ちょうど約1年前の24歳になった頃ですら、想像もしていませんでした。
誘われても断っていたと思います。


前述の「あまりにも心動かされてしまう環境」には、島根県付近に旅行を計画していたときの旅館探しで偶然出会いました。


ホテルから見える素晴らしい景色と建築に、「島に行くならここに泊まろうよ!」と言っていたものの、結局島には行かなくなり。
ここでご縁はなくなった筈だったのです。


それが旅行から帰ってきて数週間、ふと思い出し、頭から離れなくなり、なんだかもの凄く気になって、
気づいたらwantedlyの「話を聞きに行きたい」のボタンを押していました。

当時は日常的な転職活動も長期休暇に近づいていた頃だったので、
単純に「どんな人が働いているのか知りたい」という環境づくりの観点から興味津々でした。


そのときお時間をくださった方がほんと〜〜うに素敵な方で、今度は気づいたら「いつかこの環境で働きたい!働くというかたちでなくとも、一生関わりを持っていたい!」と情熱を滾らせていました。

そうしてお話ししていくうちに、あれよあれよと、これまでの経歴から想定するポジションのためにも、まずは3ヶ月の島体験へ出かけるというところまで行き着いていたのです。


決断につきまとう不安。ついてくるなー!


とはいっても、その後楽しみでしかたなかったという訳ではありません。

現職で関わりを持っていた一部の方には、快く送り出してくれると思っていた想像とは大きく反する言葉をもらい、
いつでも、誰に対しても誠実さを大切に働いてきた自分が実は不誠実だったのかと疑う程ショックを受けたり、
体調を崩したり、
住居が変わるということへの準備は思いのほか大変で、常に迷いがありました。


そしてそれと同じくらい、

20代の折り返しの一年、この決断なしに迎えても後悔しないか
節目の25歳の誕生日は海士の景色の中で過ごしたい
株海士(かぶあま)って素敵な響きだな(Entoを運営している会社)
「人生の番狂せ」
「ないものはない」
「地球に、ぽつん」
(私が海士町を調べる中で好きになった言葉たち)

こういった思いが頭の中を反復して、どうしてもこの1月〜3月期で行きたいと思う気持ちもありました。


私らしく泣けるようになりたい


渡島を後押しした理由がもう一つあります。


私の特技は、映画の予告だけで泣けることです。

一つ一つに感情移入してしまう性格で、よく言えば、幼い頃から感受性が豊かだと言われてきました。
結婚式のプロデュースや、コーチングの前段階のカウンセリングなど、それゆえにこれまで上手くいったお仕事もあります。


そんな私が、お家で映画を見ていたとき、一切涙が出ず瞳が空っからであることに気づきました。

新しく考え始めた事業のために現実をシビアに見なければならなかったり、
決してマイナスなものだけではないのですが、職場環境でのプレッシャーなどを絶えず感じていたり、
驚いて、泣ける映画で泣こうと試しても、砂漠でした。


私は自分の感情表現を一つの個性だと捉えていましたし、性格や習慣の中には変化するうちに元に戻らないものもあると原体験から感じていたので、泣こうとして泣くのではない素直さのようなものが、このまま自分らしさが失くなってしまったらどうしようと軽くショックを受けました。


そんな中、並行して事務局の方と面談を重ねるうちに、zoomでお話しするどの方もとてもあたたかく、そこに住まう方たちの人となりが見えるようで、ここなら本当の自分を取り戻せるかもしれないと思いました。


不安な気持ちに覆われるのは、行き先や目的のせいじゃない


田舎だから。
本土から離れた離島だから。
どんな関わり方になるか予想ができないから。

不安になる要素は実際沢山ありますが、薄々気づいていることは、その不安は行き先や目的のせいではないということです。


事務局の方との面談の際、不安な気持ちを正直に打ち明けたことがありました。

事務局の方からすれば、自分の住んでいる場所に来ることを重く吐露してしまう程不安がっているなんて、少し不快な気持ちにさせてしまったかもしれないと思う反面、
「まずはここに来ることを決断した自分を褒めてあげてください」
と仰っていただき、込み上げるものがありました。


行く前から、この島にはあたたかくて、心の綺麗な人が多そうだということは想像できますし、
輝かしい3ヶ月として心の思い出になりそうです。


行き先や目的のせいで不安になっているのではなく、私自身の決断を何度も検討する性格や、心配する気持ちにある波、人生において住む場所が変わる程の大きな決断に不慣れであること。
それもすべてがよくない訳でなく「今回のケースに対して」であり、
もう少しだけ、柔軟に動けたり、どんと構えられるようになりたいな、と気づけたことも、渡島前の成長です。


実はまだ体調を崩してしまった残りのせいで、検査等のために9日よりは少し遅らせての参加となってしまうのですが、それでも無事到着した後には楽しめたらいいなと思っています。


私が心打たれた海士町の一枚。う〜〜ん、美しい


'240109 noah


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