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本当の私の声②~気づき~



今日は、仕事中、なぜかずっと心身重く感じていました。なかなか自然に癒されるタイミングもなく、
先日丁寧に感じきろうと思った罪悪感を、その後なかなかきちんと感じきれないままいましたし、
そして、朝、母親に感情的に反論した明晰夢を見た事が、なんだか重く心にのしかかっているように感じました。


いくら夢でも、あんなに自分が感情的になっていた事にショックを受けていました。
夢に見るという事は、自分の中に、普段と違うあんなに激しい自分がいるなんて、と感じ、自分を自分で怖いと思ったりしてしまい、気持ちがどんどん沈んでいきました。

怒りを出していた自分を(夢でしたが)目の当たりにし、普段滅多に怒る事がない自分なので、たぶん余計に動揺したのではないかと思います。
そして、なぜか今日は、もっともっと自分の奥から怒りのエネルギーが出てしまいそうになるシチュエーションが脳内に再生され、疲弊すると共に、自分自身その時全く怒っていないという自覚なのですが、自分の内側で怒りが膨らみ過ぎていく感覚がして、あ、これはいけない、と思いました。

自分の内側で怒りが膨らみ、現実に強い力で出てしまいそうな、それをコントロール出来ないような、今日の自分の中に不安定さを感じてしまい、落ち込み、仕事から帰宅する時には、もうこの向き合いは1人では出来なくなりそうだと、ストップするか、継続するには専門の誰かを頼らなければ、と冷静に真剣に考えました。


罪悪感に向き合ったために、今日の事は起きてしまったのかなと思いました。
今なら向き合えると思って、乗り越えたいと思って、向き合いましたが、長い間自分の心の奥に封じ込めていた罪悪感でしたから、大丈夫だと思っても、安易に向き合ってはいけなかったのかもしれない、そう思いました。


帰宅後、落ち込みながら、今日を振り返り、
改めて、自分の感じてきた罪悪感を考えたり、静かに感じながら、いつも通り夕食を作り、ひと口食べようとしたその時、
自分の内側から、ぶわっ と何かがこみ上げて来ました。


「わたしは、なんにも、わるくない...!」

そう言って、泣き出してしまいました。

その時声を出そうとした訳ではなく、
自分の内側から、突如こみ上げて来て、自然に発せられた声でした。

まるで、小さい子が駄々をこねて言うように、

繰り返し、

「わたしは、なんにも、わるくない...!」

その時に、私は、 はっ!! としました。

そうだ、私は、なんにも、悪くない、と。

私は、なんにも悪くない、なんにも悪い事してないじゃない 。
悪いのは虐待した父親で、言葉で傷付けた母親で、
2人を身体を張ってでも止めてくれなかったまわりの大人達だ。
そう、思いました。

私は子供で、それらから逃れたくても逃れる術がなかったんだから、誰も守ってくれなかったんだから、私はなんにも悪くなかった、泣きながら気づきました。

「ごめんね、ごめんね、本当だよね
私は、なんにも、悪くなかった、悪くなかったね 。

ごめんごめん... 、ごめんね、本当にごめんね、
そうだよね... 、そうだよね... 、
私はなんにも悪くなかったね。

ごめんね、ごめんね...
辛かったね、ほんと、辛かったよね。

ごめん...ごめんね...

なんにも悪くないよ... 、悪くない... 、

気づかなくてごめんね...本当にごめんね...

悪くないよ...、私は悪くない...、

悪いのは、父親と母親とまわりの大人達だね。

ごめんね...ごめんね...本当にごめんね...」

泣きながら、自分で自分をさすって、
自分で自分に謝り続けました。

本当に、私は、なんにも、悪くない。
私は、なんにも、悪くない。

本当に、なぜ、今まで気づかなかったの、と
泣き続けました。
謝り続けました。

実家を出てから、自分で罪悪感を作り、
罪悪感を感じて、自分を苦しめてしまっていました。

親や親戚、まわりの大人から言われた言葉から、
私が勝手に思い描き、
私が勝手に作り出した、
私が勝手に思い込んでいた、観念。
それが世間的に普通で、世間の常識的に1番良いと言われている、そういう一般常識。

3月にそれに気づいたはずなのに。
(note記事'私の過去'⑰)

普通の事、当たり前と言われる世の中の一般常識を良い事だと思い込み、私はそれが出来ないから、行えないから悪いと思い込み、内心辛く感じ、勝手に苦しい苦しいと自分で自分を苦しめていた...。
その勝手な思い込みをして、ずっと苦しい苦しいと言っていたのは、私のエゴ...。
その事に、観念に、先日3月始めに気づいて手放せた、手放せていると思ったのに、私の中にあった、罪悪感という気持ちは、その時には気づかず、手放せず、私の心の、長年居た場所に当たり前のように居座り続け、まだ、心の中に残っていました。

私が、今まで私を、ずっと大事にせず、守って来なかったからだ。そう思いました。

自分が自分を本当に1番に大事にして来なかったから、そう簡単に変われない、変わりたくても変わる事が出来ない。自分の心が辛くても、押さえつけ、普通を装い、当たり前に我慢させて、いつも自分の心、気持ちを無視していた自分。
そんな心持ちが日常で、普通の日々だったから、自分の心の苦しさに鈍感になってしまった。自分の本当の声を聴き取れなくなってしまった。

私に寄り添い、守れるのは、私だけだったのに!
どれだけ、長い間、内側の自分を1人にして、痛めつけて来たんだと思いました。
どれだけ長い間、本当の自分の声を聴かず、自分で自分を苦しめて来たんだと思いました。

私はまたわかったつもりになって、また、まだ、全然わかっていなかった。

謝り続け、泣き続けました。
その後、だんだん落ち着いていきました。

「ごめんね、ごめんね、私は悪くないのに...

ずっと罪悪感を感じてたけど、

違っていたね...。

罪悪感なんて、感じる事、なかったね...

罪悪感なんて、そもそも、なかった...

罪悪感自体が、思い込みだったんだね...」

そう思いました。

罪悪感、これは、私の中に居た、変わらないままで居たい自分、エゴが感じていたもの。

私はなんにも悪くない、これが、私にとって本当の事で、私の内側から湧き上がってきた、私の本当の声でした。

私があまりにも気づかないから、
きっと、今朝の夢で訴えかけ、今日1日中、身体の内側からずっと怒りのエネルギーを感じさせ、
いい加減に気づいて! これが、本当の、気持ちでしょ!と、自分の中からの叫びだったと思います。

本当に、まだ、全然、全然、自分の本当の声が聴けていない、私でした。
全然、自分の事を大事に出来てない、愛せてない、私でした。
どんな感情を感じても、私はそのままの私で、それが本当の私なのに。
今日の怒りのエネルギーを感じる私も、出す私も、どちらも本当の私です。私自身が怖いと思うなら、それも含め、両方、大事に受け止めないといけないのに。
今日の昼の私は、自分の怒りの感情を怖いと思ってしまい、その気持ちを受け止めようとせずに、認めず目を背けようとした、否定してしまったから、自分自身の内側が怒って、気持ちを込み上げさせて、泣き叫んで訴えてくるのも無理はなかった...と思いました。
自分が、その時感じている感情、それが何か、なぜそう感じているのか。
そこに本当の自分がいました。
この事は、もう、忘れません。

罪悪感を感じた(感じようとした)後、気持ちの整理がなかなか進まなかったのは、本当の自分、が感じていない気持ちだったからだ、と納得しました。

私の内側からの叫びを聴いて、気づいて、
内側の私と、外側の私、謝って一緒に泣いて、
その後、落ち着いた時には、
内側にあった怒りのエネルギーが、すっかり
消えてなくなってしまっていた感覚でした。

夜には、心が楽になりました。



お読み頂き、ありがとうございました。



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