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東京のサラリーマンが米農家に!?(中編)

前編は、東京の監査法人から岡山の環境ベンチャーへ転職&移住、そして会社を辞めてプー太郎に。次なる目標を、カフェ開業と有機農業の融合!というところまで書きました。

僕たちのいた岡山の備前市吉永というところは、かつてはレンガの街として栄えたものの、活力を失いつつあり、街から店が撤退して過疎化が進んでいく状況でした。

それでも吉永という街は人にやさしく、娘が生まれて間もなかったこともあり、僕たちはここに残り、自分たちでできることで明かりを灯せないかと思っていました。そこで、僕がずっとやりたかったカフェと、妻がやりたかった農業(当時は菜園レベルでしたが)を一緒にやろうと準備を始めました。


畑と田んぼを借りて、DIYでカフェ準備も

そんなわけで、ご近所に「畑をやりたいんです」と言いまわっていると「ほなやってみぃ」と望みを叶えてくださり、1反(1000平米)の畑と2反の田んぼを貸してもらえることになり、先輩農家さんから無農薬栽培を教わり、機械も貸してもらいながら、野菜とお米を作りはじめました。

娘と一緒に種をまく
お米も人生ではじめて育てました!
玉ねぎも!

同時に、カフェの準備も開始。物件が少ない中で、町のお米屋さんの跡地が見つかり、神のような価格で譲っていただくことができ!ここをDIY改修することに。

壁がカビだらけだったこの店を磨き、塗装して

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改装前の状態。。カビだらけの壁

あまりお金がなかったので、大工さんにお願いする部分を最小限に、ほぼDIYで進めていって

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大工さんに教わりながら、DIYメインで改装していく
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枠は大工さんに。入り口に古い建具を入れる

遂にカフェ完成、そしてOPEN!!

畑をやりながらのカフェ改装は、1年半もかかり、、かなり心理的にも焦っていましたが、ようやく納得いく仕上がりに出来たのが2013年の春でした。

完成したのがコチラ!かなり頑張りました〜!!

完成!! sennro cafe
コーヒーをドリップする パフじろうの若い頃

メニューなどは、自分で育てた野菜やお米を使うというコンセプトで、今で言う「6次産業化」のようなことを始め、小さな農とカフェがスタートしました。

ここからは超スピードで、あれこれ雑誌などに載り、Instaでもいろんな方に投稿してもらえるなど徐々に認知が広まり、1年〜2年〜と時が過ぎ、カフェだけでは飽き足らず、4年目には近所に2号店となる文具店「SUBSTANCE」をOPENしたり、カツカツの財布を気にしながらも理想に向かって突き進んでいました。

輸入文具を中心に「書く」をコンセプトにしたお店

しかし、理想とは違って。。

ここまで、端から見ると順調そうに思えて、実際は田舎の難しさに直面していました。お客さんの波が激しく、多い時はドタ混みで、少ない時はひっそりという。。それでも、生まれたての子どもを背負いながら、毎日を慌ただしく過ごしていました。

下の子が生まれたばかりの頃 パフまりこ
考えをノートに書いていく パフじろう

そんな中で、ふつふつと違和感が。。
「お店を持つこと」の憧れが達成され、日々の作業がルーティンとなり、とても(とても!)忙しく、そしてあまり儲からず(汗)

自分たちが思い描いていた理想の暮らしとは程遠く
「自分たちは本当に何がしたかったんだろう?」という思いが生じ始めました。これは、どうやら「スモールビジネスの罠」に入ってしまったようだ。と

そして、ここから、また新しいことを考え始めるわけですが、それはまた次回(後編)へ

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