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痛々しくてクズでひたむきだった高校時代の話

先日中学校の部活の話を投稿したところ、多くの反響があった。
中学生だった当時、ツイッターに愚痴ったら顧問への批判とか擁護とか、私に対する批判とか擁護とか50以上のコメントをいただいて、かなり怯えた覚えがある。怯えるなら書くなよ という話だが「ブラック部活」という言葉が聞かれる現代だからこそ改めて書きたかった。

今回は高校での部活の話である。パワハラと戦った中学校三年間と打って変わってお花畑な内容になるが、需要があればお付き合いいただきたい。

私が進んだ高校は今ではちょっと強い高校のようだが、当時はいわゆる弱小校だったのだ。
何故散々パワハラを受けて「もう吹奏楽部は懲り懲り」になったのに結局吹奏楽部に入ったのかというと、弱小校だから気楽にやれると思ったからなのだ。
これが意外と悪くない選択だったというか、部活がなくなったら私の高校時代は暗黒でしかなくなってしまうのだ。

1 ライバル・友人Yのこと

私の高校時代を語るにあたって外せないのが友人Yだ。
友人Yと私はホルンに抜擢されたのだが、私は中学校の頃は全く違う楽器を担当していた。
入部当初のYはなんだか異質な雰囲気を漂わせていて正直仲良くなれないと思った。(結局仲は良かったものの薄い壁がふたりの間にはあった気がする)
ホルンパートは3年生の先輩ひとりと私たち1年生ふたりだったが、先輩が私に言うことは「Yのように上手に吹け」ばかりであった。
当時の私は結構へそまがりで、Yの中学校は私の中学校より大会で強くなかったし単純にYのことをうまいとは思えなかったため常に空返事であった。(吹奏楽ではあってはならないことだ)
結局1年生の何人かが幽霊と化したことによりYは違う楽器を持たされてしまい、先輩は引退した。ホルンは後輩が入ってくるまで私ひとりとなった。

Yとなんだかんだ仲良くなったころ、Yが自身の恋愛遍歴をいきなり語り出したことがあった。元カレがーとか、元々カレがーとか、元々モトカレがーとか…。
周り男子がいなくなった頃、「栗を触られると気持ちいい」と話が激化してきた。しかも神社でコトは行われたというのだ。なんと罰当たりな。
当時「私は一生処女なんだ」と何故か本気で思い込んでいた私にはあまりに刺激的な話であった。でも今思うと如何にも田舎のちょっと(?)アホの中高生って感じである。

その後私の鋼の処女は歳上の初彼氏に破られたのだが、噂好きがあまりに多いウチの高校では絶対に黙っておこうと心に決めていた。
しかしYがふと私のスマホを見たことで彼氏がいることがバレてしまった。
そして聞くことはひとつ「どこまでしたの?」である。女子高生なんてそんなもんである。
もう仕方ないと思い私は「最後まで」と答えた。
するとYは本気で泣き始めた。何故泣くのか聞くと「荒木が最後までやったとか言うから」としか答えない。だから何故それが泣けるのか。
答えは決まっている。Yと私は友達でもあるうえにライバルなのだ。恋愛では勝負してないつもりだったが、Yは違ったらしい。神社でも最後まではしなかったそうだ。
そしてYは何故か別の部屋に移動してみんなの前でまた泣き始めた。そして全てをバラした。本当に迷惑である。
幸い吹奏楽部には商業科の生徒が全然いなかったため、クラスでは卒業まで誰にも知られなかった。
それからYは自分の荒れた性活を自慢したあとに「でも荒木ほどではないから。」と最後に言うのが十八番になった。本当にやめてほしかった。

Yは熱くなると誰にも止められないところがあった。野球部の男子Rに惚れてしまったのだ。
野球部は私たち吹奏楽部より一時間長く練習をしていた。その間ひとりで待っていた。そしてふたりで並んで帰っているところをいろんな人に目撃された。

その話はクラスの野球部マネにも伝わり「Yという吹奏楽部の痛い女がRをストーキングしている」とのことであった。そして「Yもそんなわけだし、吹奏楽部はどうせ暇だから野球部の応援に演奏に来てくれ」と上から目線で頼んできた。本当に気に入らなかった。ちなみに野球部の試合の期間は私たちもコンクールに向けてバリバリ練習してるから暇と言われるのは心外だ。まあ野球部も弱小で毎年初戦で負けていたからどうでもいいが。
ちなみにYのことをクラスで痛い女だと言われていたとき、Yからは「付き合ってはないがRとキスした」と聞いていた。YがストーカーならRにも問題はある。ちなみに卒業旅行はふたりで行ったようだが、付き合わない状態でしっかりやることやって帰ってきている。誰が見ても私は「Yほどではない」。

その後Rに都合よく遊ばれたうえで振られ続けたYは大学卒業後までかけて、後輩が恋していた男子Tを含めものすごい数の男を取っ替え引っ替えして、最終的に「やっぱりRが好きだ」と言って別れていた。今はRと同棲している。寄り道もしたがすごい執念だ。惚気が凄すぎて疲れてる時に見ると胃もたれする。結婚式は是非元カレ全員を招待して盛大にやってほしい。

2 鬱陶しいカップル・部長Sと副部長Mのこと

ふたりは私たちよりひとつ上の学年のカップルだ。入部する前にM(男子)が告白して付き合っていた。
Mは色白で華奢な感じだったので主に部員のお母さんにモテモテだった。ただしたまに鼻毛が出ていた。
Sはガタイのいい感じの理系女子でたまたま前髪が乱れまくっていたところを私のクラスメイトに目撃されて「前髪先輩」という不名誉なあだ名がついた。また「ブスだけどいい人そうやん。」とも言われていた。どのツラ下げて言ってんだ。

ふたりも長いこと付き合っていることを隠していたが、Yが確信してみんなにバラしたのをきっかけに堂々とし始めた。
私はYはなんて余計なことをしたんだと度々思うようになった。
ふたりの機嫌次第で部活全体の空気は振り回された。また先に書いたようにウチの部活は幽霊部員が多すぎて全然違う楽器同士がパート練習をすることも多かった。私が1年生のころはS先輩M先輩カップルと私という3名で練習をすることが多かったので、よく親子などと呼ばれていた。

しかし私たちが親子なら割と問題ありな家庭である。大体Mのほうだが「なんで昨日ライン返さなかったの?」というセリフを合図にいちゃつきが始まったのだ。
私はすぐに耐えられなくなり個人練習を始めるのだが、それをBGMにふたりは勝手に愛を深めていた。ある日帰っている途中で手首に違和感があり袖をまくると蕁麻疹が大量にできていた。それから私はイチャイチャアレルギー体質である。(ただし同性同士のそれは大丈夫らしい)

それからYのせいで私が不純キャラになったころ、SとMは付き合ってる期間の割にはあんまりそういうことをしてないことが発覚した。
Sは「してもいいけど大学生になってからだとMに言われている。」と言っていたのだが、Mが焦ったのかツイッターでやたら性癖語りをするようになった。しかしその内容は逆立ちでするとか触手だとか生理だとか結構な変態だったので、私たち後輩女子の中で株が急落した。それから徐々にSの口から進展が聞かれるようになった(別に聞いてない)のだが、とある事件をきっかけに私が一方的に絶交したので、結局どうなったかわからなくなった。
その事件というのは、私がSとふたりきりのときだけに内緒で話した極秘情報をMが知っていたことだ。しばらく人間不信っぽくなってふたりのことは拒絶してしまったのでそれからほぼ話していない。

つい昨年のことだが、私の母からふたりが結婚したという情報が入った。大変申し訳ないが、私はすぐさまYに連絡した。ふたりの意見は「うけるね」であった。
後日別の先輩のお母さんが私の母に送り、私のもとに結婚式の写真が届いたが、Mがハゲていた。こちらもYにすぐに転送し、「逆立ちしすぎだ」とかなんとか一週間くらい同じ話で盛り上がっていた。とりあえずYも私も先越されたのがきつかったのが本音だ。

3 音大生になった私

Yの下りでも書いたように私は「上手い中学校の出身だ」というプライドがやたらあった。なので万が一合奏中に笑い物にされようもんなら自宅でYouTubeの上手い演奏を聴いたりコツを調べたりして部活中には個人練習の鬼になった。Sの次に部長だったYも施錠する時間をずらしてくれた。
しかし他人の演奏となると急にどうでもよくなってしまうのが私の悪いところで、後輩の指導は一切しなかった。部活全体としては向上心は低いほうだったので、自分だけが上手くなればいいやと思っていたのである。というか後輩も中学校からホルンを持っていた子ばかりだったのでむしろ先生だと思っていた。いいところを盗むだけ盗んで甘やかして殺すと言う極悪人である。

楽器を持っていないときは最後にしたセックスのこと(遠距離恋愛だったので年に数回の大イベントだった)か周りの女子高生たちのパンツのことばかり考えていた私にとって楽器を持ってる時間は一番まともに自分と向き合っている時間で、気づいたら顧問も「荒木にみんな合わせるように」と言うようになった。それが適切だったかは微妙だが合奏の中で基準となれるのは名誉なことだ。
一方、商業科の授業ではエロいことを考えすぎるあまりノートの片隅の落書きがめちゃくちゃ過激(単純にエロいだけならまだしも内臓を引っ張り出す絵とかを書いていた)になり、学年の9割が受かる日商簿記も受からず、毎日「社会に出てから通用しない」と洗脳された結果「私は音楽しか取り柄がない」と考えるようになった。それも井の中の蛙なのだが、藁にもすがる思いだった。なおその教員も社会人になった今全く尊敬できる人格ではない。

その後、無事に進学しそれなりに鍛錬を積んだ私は定期演奏会にOG枠で呼ばれた。私が現役生だった頃は顧問が「OGの皆さんは軽い気持ちで舞台に乗らないように。」と突っぱねていたのだが、Yと私は割と軽い気持ちで舞台に乗ることになった。
しかし、久しぶりの母校は心がざわつくことの連続だったのだ。
まず、私たちが高校生だった頃には絶対になかった返事の練習が行われていた。さらに全く意味のないきついだけの呼吸練習(前屈みになりテンポに合わせて吸って吐くをひたすら繰り返す。まともにやるとフラついて最悪倒れる。)を真剣にやっていたのだ。音大生なのに私がきつそうにしていたので後輩たちは驚いていた。
どうやら隣町のちょっとした強豪校からやってきた新しい副顧問が余計なことを吹き込んだらしい。
そしてふたつ下の後輩がさらに下の後輩を迫害しまくっていた。しかも言っていることは全て的外れで根拠がない。彼女らは副顧問を神と崇めていた。前の記事にも書いたように教員を神と呼ぶ中高生を見ていると私は泡を吹いて倒れる。
他のパートはどうしようもなかったが、とりあえずホルンの後輩だけはまだ洗脳され切ってなかったため責任を持って使える知識を全て引き出して指導した。私は教える能力は絶望的だが、すぐ理解してくれたので出来のいい子ばかりである。

しかし音大生になって音楽室に入ると全員が羨望の眼差しで見てくる。でも多くの子は私の技術そのものよりも音大生の肩書きを見ている気がした。虚しい。顧問すらそうだったのも虚しい。
音大生は音出し(ウォーミングアップ)すらプロ級に上手いらしく音出しするたびに話しかけてくる子がいて歯痒い気持ちになった。お前プロの演奏聴いたことないだろ。
Yは「荒木を見る後輩たちと私を見る後輩たちでは態度が違いすぎる」と怒っていた。「特にあの女はうぜえ」と指さしたのは一番積極的に後輩をいびっていた子であった。気持ちはすごくわかるが現役時代はあんなに「〇〇ちゃん好き〜」と抱きついたりしてたのに「うぜえ」とはすごい気の変わりようだなと思った。

しばらくは「まあ卒業した身分だし方針に対して文句言うことはないか。」と思っていたのだが、ついに私がブチギレる日が来た。
私が副顧問を初めて見たのは本番の前日であった。背が小さくて色白で異常に細いマッチ棒みたいな男だった。

マッチ棒は今までの練習にほとんど顔を出さなかったくせに、何か月もかけて演出係が考えた照明や振り付けなどを大幅に変えるように指示した。
演出係の子は、全てに意図があることをわかりやすく説明して見せたが、神と崇められるマッチ棒にはその話は響かなかった。そして部員の多数決で演出は全カットになりかけた。
余計なことだったかもしれないが、後輩いびりにばかり精を出してたかがマッチ棒を目の前にすると意思のないロボットに成り果てる後輩たちが本当に嫌だった。
「ちょっといいですか」と手を挙げ、少しくらい演出係の気持ちを汲んでやってもいいのではないかと全員に抗議した。最終的には「マッチ棒先生が言うことしか正解じゃないの?」と言ってやった気がする。演出係の子は泣いていた。
再度多数決を行うと全員とまではいかなかったが4分の3は当初通りの演出をすることに同意したと思う。音大生が神を超えた瞬間である。というかみんなそれほどに肩書きが大好きなのだ。腐っている。

そのあと何故か顧問がキレ始めて「やる気のないやつは帰れ」と言ったのでYとふたりで帰った。ちなみに現役生の頃もその言葉が出たら一番に帰っていた。
Yは「本番前日にここまで嫌な気持ちになったのは初めてだ」と連呼した。
翌日、顧問がYと私にランチを奢ると言うので「本当に都合の良いやつだな」と言いながら普通に美味しくいただいた。
そして音大生らしく「宝島(T-SQUARE)」のハイD(ピアノの高いレの音でホルンだと割と負担がある)を現役生とYはがっつり外したが全て私が爆音で当てて見せた。音大生はプライドが高くて大変である。

そして副顧問を神と崇める女子たちに去り際に「どうしたらそんなに上手くなれるのか教えてください」「現役のときも上手かったのに上手くなりすぎです」と囲まれたが「いや結局大したことはしてないんだよねw」と答えて帰った。
まあ実際毎日12時間くらい楽器に触ってただけである。彼女たちとやってることは変わらない。
でも今言えるのは、地元でちょっと上手い人になるくらいなら「根性ではなく体の理屈にかなった練習」と「いい先生」が全てである。マッチ棒ではだめだ。へし折れ。


後日、支部大会に出るための交通費としていきなり万単位の寄付を依頼されたため、今は母校とは一切連絡を取り合っていない。

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