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【短編小説】タイムマシンの少年〈前編〉

 ある日の午後、社会の授業中。頭の禿げ上がった教師が1929年に起きた世界恐慌の影響について汗を流しながら説明しているが、クラスのみんなは暑さのあまり授業そっちのけで下敷きをうちわのように仰いでいた。まだ夏休みが終わって間もない9月の上旬、残暑の厳しい日が続いている時季で勉強なんかに身が入らないのも仕方ないだろう。
 窓際の席の私も授業の内容など全く頭に入らず、ジリジリと日が照らす校庭をぼんやりと眺めていた。
「ドン!!!」
 それは全く意識が追いつく間もないほど、唐突で一瞬の出来事だった。とんでもなく大きな音が鳴り響いたかと思うと、先ほどまで何もなかった校庭のド真ん中に、激しい煙が立ち込めていた。
「何の音?!」
「火事?すごい煙!」
 クラス中はあっという間にパニックになった。すごい勢いで上がっていた煙が弱まると、そこには一隻の宇宙船のような何かが居座っていた。大きさは軽自動車ほどなのだが、見慣れた車とは形状が全く違う。半球型の大きな丸い窓がついていて、例えるならアニメに出てくるUFOだ。呆気に取られていると突然その宇宙船のようなものの窓が開き、中から出てきたのは1人の少年だった。

 遠目からでもわかる、少年の姿はボロボロだった。全体的に黒ずんで汚れきったノースリーブの白いシャツを着ており、身体は傷だらけだった。ふらふらした足取りで少し歩き出したかと思うと、少年はその場に倒れ込んだ。クラスのみんなは窓にへばり付き、その少年の姿に目を奪われていた。

 私が通っているのは広島県E市の片田舎に位置する公立中学校。これといった刺激のない平穏な日々を過ごしていた。そんな中突然起きたビッグイベントに、思春期の中学生たちが大興奮に包まれたのは当然だった。社会教師の抑止など全く聞きもせず、私含めクラスの全員が教室を飛び出して大急ぎで校庭へと向かった。校庭にはすでに数人の教師たちが駆けつけていた。倒れ込んだ少年へ最初に声をかけたのは校長だった。
「君、すごい怪我じゃないか‥一体どうしたんだい?!」
 全身ボロボロでうなだれた少年は力のない声で言った。
「み‥水を‥」
 慌てて教頭が中庭の蛇口から容器に汲んできた水を渡すと、少年は水を少し飲み、再びその場に倒れ込んだ。

 少しして、少年は保健室のベッドで目を覚ました。ひどくお腹が空いているようだったので、本来は給食センターに返さなければいけない給食の残りを少し与えると、ちょっとだけ元気を取り戻したようだった。保健室のベッドを取り囲んだみんなはほっとしていた。はじめ、生徒たちは教室に戻るよう教頭たちに促されていたが、誰も少年から目を離すことなどできるはずがなく、全校生徒のうちほぼ全員の90人ほどが保健室に押しかけていた。ここで再び校長が切り出した。
「君は、一体何者なんだ?」
 少年は少し戸惑いながら答えた。
「何者って言われても‥ 僕はせいいち。」
 よく見ると、彼のズボンの後ろの左側のポケットに、タグのような物が貼り付けられていた。そこにはこう書かれている。
【なまえ:工藤正一  けつえきがた:Aがた たんじょう日:17年6月30日】
 幼稚園かどこかでもらった名札のタグだろうか。彼の名前は工藤正一くん、ということがそのタグのおかげでわかった。さらに血液型がA型、とも記載してある。生徒たちはみんな、彼がUFOのようなモノに乗ってきたため、もしかして宇宙人なのではないか?という若干の期待を抱いていたところもあったのだが、血液型がA型、ということはおそらく彼は私たちと変わらない地球人で、普通の人間なのだろう。実際、正一くんは身体こそ見るに堪えないくらいボロボロに怪我をしていたが、それを除けば自分たちと同じごく普通の人間の小さな男の子にしか見えなかった。しかし彼は一体どこから来たのか、そしてあの宇宙船のようなものは何なのか、それは引き続き大きな疑問だ。さらにおかしな点がもう一つ残っている。名札に記載がある誕生日だ。彼の誕生日は、“17年”と書いてある。現在は2023年、令和にすると5年だ。
 17年というのが、もし2017年を表しているのであれば、彼は6歳ということになる。しかし正一くんはどう見ても6歳よりも幼い姿だった。おそらく3歳くらいだろう。3歳と6歳だと三つしか違っていないが、子供の成長は早い。3歳と6歳では体の大きさや話し方なども全然違う。私にはついこの前6歳になった従兄弟がいるのだが、その子と比べて考えると到底彼が6歳には見えなかった。では17年生まれとはどういうことか。今は令和にすると5年だから、令和の17年、という意味であるということはあり得ない。では、平成17年生まれということか?いや、そんなはずはないということは一瞬でわかった。ことし2023年は平成35年だ。そうなると、彼は18歳ということになる。私たちよりも年上で、もう成人しているではないか。では一体、彼はいつ生まれたのだろう?

  同じような疑問を、名札に気づいていた数人は感じているようだった。そして校長がまたまた少年に尋ねた。
「正一くん、君は今何歳かわかるかな?」
「ぼく、3歳だよ。この前3歳になったんだ」
「3歳?!」
 いち早く大きな反応をしたのは、先ほどまでうちのクラスで授業をしていたあの社会の教師だった。
「まさか、君‥、“17年生まれ”というのは、昭和のことか?!」
 禿げた頭を光らせながら、普段の授業では聞いたこともないような大きな声でまくし立てた。一方の正一くんはその言葉に圧倒され少し困った顔をしていた。
「しょうわ‥?って、何?僕よくわかんないよ‥」
 正一くんはまだ3歳、ようやく言葉を少しずつ覚え始めるくらいの年頃なのだから、元号など難しいことがわからないのは無理もないだろう。
 するとそこで、ひとりの生徒が口を開いた。
「先生、『まさか昭和のことか』って、どういうこと?」
 先ほどにも増して興奮した口調で答えた。
「3歳ということは、もし彼が昭和17年に生まれたのであれば、彼は昭和20年を生きていたということになるだろう?!」
「そうですけど、それがどうしたんですか?」
「どうしたんですかって、昭和20年、つまり1945年から来たということになるだろう!!」
どういうことか、私にはピンと来ていなかったが、他の教員たちや一部の生徒たちは何かに気づいたようだった。
「それって、原爆の年‥?」
 一人の生徒がボソッとつぶやいた。
 その瞬間、保健室の中にいた全員の背筋が凍った。1945年。ボロボロに怪我をした痩せこけた少年。本当に昭和17年に生まれたのだとしたら、まさか正一くんは、原爆が落とされた時代から来たということ‥?
 校長を含む教師数人や、私を含めて活発な生徒たちは、何かヒントがあるかもしれないと、再び校庭の、彼が乗ってきた宇宙船のようなもののところへ向かった。宇宙船は一部が校庭の地面へめり込み、ボロボロになっていた。突然爆破でもしないか、という心配をみんな抱いていたと思うが、40代の男性体育教師が率先してそれに近づき、よじ登ると正一くんが出てきた扉から顔を突っ込み、中を確認した。
 その体育教師の話によると、中にはたくさんのボタンやレバーがあったが、何がなんなのか、さっぱりわからなかったという。また、大きなモニターというか、液晶のような画面があったそうだが、ヒビが入って真っ黒、それが何に使われているものなのかも全くわからなかったという。しかし体育教師はこんなことを言った。「モニターの右下に小さなデジタル表示の画面があった。」
 デジタル画面には、アルファベットと記号、それから数字でこのように表示されていたという。
“S.20→R.5”
 それが何を意味しているのかは誰の頭にも明らかだった。
“昭和20年から令和5年へ”
 きっとこの宇宙船のようなものはタイムマシン。そしてあの少年、正一くんは、原爆が投下された時代から、これに乗ってタイムスリップしてこの時代、この場所に辿り着いたのだろうーー。


続く

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