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夫婦の役割と価値観~塾なし中学受験~

価値観と目的の共有

中学受験をするにあたって、夫婦で「こうしよう」という価値観や目的を共有できている家庭は、どれくらいいるのだろうか?

中学受験の実情をリアルに描いているとされる人気漫画「二月の勝者」を読む限りでは、あまり多くないのかな、という印象は否めない。(島津くんち大丈夫か…)漫画だから、よりインパクトのある事柄にフォーカスしていると考えれば、実際は家族一丸となって進めているところのほうが多いのだろうか?

我が家に限っていえば、夫婦間でかなり話はしているほうだと思う。もちろん、育った環境が違う他人なので、なにもかもが完全に一致するわけではない。それでも、「こういう点についてはこう考えている。その理由は〇〇で…」と、異なる点についても意見交換はしているし、無理に合わせようということはない。

ただ、最終的に目指すところは一致していたほうがいいと思う。我が家の場合は「勉強にポジティブな気持ちをもって取り組める範囲での中学受験にすること」「本人が決めて、親はそれを尊重すること」である。そして、これは息子とも共有している。さらに、都度、状況によって変わる可能性があるので、ふとしたときに話をする。

我が家の役割分担

以前の記事で書いたが、我が家は教科ごとに夫と私でざっくり担当をわけている。一言でいえば、得意な人が得意な分野を教えている。しかし、知識の量は夫と私でけっこう差があると思う。

夫は算数と理科を担当しているが社会も得意なので、週末は夫が教えることもある。私の場合は、自分にあまり知識がないので、教えるというよりも「こうなんだねー」と一緒にテキストを読み合うような感じだが、夫の場合は中学受験を経験しているので、話すことがたくさんある。結果、量が膨大だし、けっこう厳しく、時間も長くかかる。

私の場合は、長くても30分くらいで1つの教科を終わるようにしているのだが、夫の場合は話が長く、1時間くらいになってしまうことがある。先日もそうなっていたので、「そろそろいったん休憩にしたら?ずっと頑張っているよ」と声をかけた。すると、頑張っていた糸が切れたのか、息子はぽろっと涙を見せた。夫は「ごめんね、たくさんやりすぎちゃったね。。」と息子に謝った。

私の場合は、息子の様子の気持ちや様子を察知することが、夫よりもできるので、それに合わせて勉強時間を柔軟に変えようというのが頭の片隅にある。たとえば、「この後、息子はゲームをやりたいだろうからその時間に30分、弟と遊びたいだろうからそれに1時間、夜ごはんの時間も考えると、この勉強は18:00には終わりたいと息子は思っているだろう。今日は理科はやめておこうかな。」という感じである。

もともととそういう性格なのか、普段息子と接する時間が多いからなのか、世の中の母親にそういう傾向があるのか、理由は分からないが、息子の様子を見ていると、大体察しがついてしまうのだ。

人によっては、週や月、あるいは模試などの大きな目標から逆算して、1日あたりの量を決め、それをこなしていかなければ…と考えるかもしれない。でも私の場合は、子供が勉強に対してポジティブでいられることが大前提なので、そのために息子の息抜きであるゲームの時間は毎日作ってあげたい。それを確保したうえで、他を勉強にあてたいなと思っている。

アクセルの夫とブレーキの私

話を戻すと、夫は普段の息子を見ていないし、自分の中学受験の経験上「ここまでは」という知識の深さがあるので、息子のためという想いで、ついつい「これもあれもそれも」と多くなってしまうのだ。それ自体は悪いことではないと思う。けれども、息子の気持ちもくんであげなければと思い、私は時々、口をはさむ。

これが、私たち夫婦の1つの役割分担でもあるのだろう。知っているが故に、ついついアクセルをふむ夫と、ブレーキをかける私。でも、どちらも「息子のため」という大きな目的は共有しているし、その「息子のため」は必ずしも勉強に限らず、息子がゲームを楽しむという項目も入っていることをお互いに了解している。

中学受験後半戦は

5年の前半も終了し、中学受験も折り返し。後半戦に入った。これからどんどん変化する状況と、迫ってくる受験日の中で、私たち夫婦の関係も変わっていくのだろう。時々はケンカをするだろうか。いや、毎週末?毎日?

でも常に前向きに話し合っていきたいし、お互いを尊重して仲良くしていたい。結局、親が子供のためにできる一番大切なことは、夫婦関係を良好に保つことではないだろうかとも思う。

中学受験は親の受験というのは、親自身も中学受験を通して、いろいろ考えさせられて成長していくからなのだろうなと実感する。この貴重な経験をくれた息子に感謝である。

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