見出し画像

子供の音読の宿題でつらいこと

小学生の長男長女には、毎日音読の宿題がある。

大体10日~2週間くらい、ずっと同じ作品を読み続ける。従って、私もずっと同じ作品の音読を聞き続けることになる。

音読の宿題自体の是非はおいておいて、私はただ聞いているだけなのでラクではある。丸付けもないし、分からなところを教えるということもない。

ただ、音読する作品によってつらいときがある。

作品のテーマが戦争だったときだ。
今までだと「ちいちゃんのかげおくり」「一つの花」など。

もちろん、私自身は戦争を経験していないので、その辛さは想像でしかない。しかし、実際の体験には到底及ばない、その想像の世界でさえ、なさけないことに、私は辛く感じてしまう。

実のところ、戦争だけではなく、児童虐待や育児放棄やDVやモラハラ、いじめなどなど…、そういったつらい描写がある作品を見ることや読むことが辛くなってきている。なぜなら、感情移入しすぎてしまい、ドキドキして、心が苦しくなってしまうからだ。

若い頃はそんなことはなかった。映画が大好きで、どんなテーマの作品もむさぼるように見ていたし、図書館に通って本を読んだ。どんなジャンルでも、心が痛いということはなかった。どんなに作品の中の世界がひどくても、フィクションという現実とは離れた世界。たとえノンフィクションであっても、自分が生きている世界とは、遠く離れた場所のことだと思っていたから。

しかし、子供が産まれてから、だんだんと自分の心に変化が起きてきた。徐々に現在のような傾向が強くなり、今はもうハッピーエンドで終わるものか、実務的なものくらいしか手にとることができなくなってきたように思う。

つらい描写のある作品だと、どうしても家族に重ねてしまいしんどくなる。。老人が出ていると両親に、子供が出ていると自分の子供に。家族という大切なものができると、心は弱くなるのだろうか

深く感情をゆさぶるような作品を手に取りたいと思うけれど、一方で「これ、きっとつらいだろうな」と思う気持ちがストップをかける。これだけ不安に満ちた現実なのだから、せめてフィクションの世界では穏やかでいたいと思う気持ちもある。

こういう複雑な気持ちの私だが、ここ最近、容赦なく「一つの花」という作品を聞かされている。小4長女の国語の音読の宿題だ。ものがない戦争中、「一つだけ、一つだけ」と言ってせがむ女の子が主人公の話。小4の教科書なので、残酷な描写はないけれど、小さい女の子がお腹をすかせて「一つだけ、一つだけ」と繰り返す場面を想像するととても辛い。

「お腹がすいてつらいだろうな」「お腹いっぱい食べさせてあげられない両親もつらいだろうな」そう思うだけで心が苦しい。

もちろん、長女は単なる宿題なので、毎日淡々と読むだけだ。まだまだ経験していることが少なくて、とても自分事としては想像できないだろう。そういうものに対して、子供が痛みを感じるということは難しい。

でもそれが逆に「若さ」ということなんだろうな。まだ味わった経験が少ないからこそ、フレッシュで、打たれ強くて、どんどん吸収する力を持っていて、怖さを知らない長女の心。だからこそ、これからいろんなことにチャレンジできる。それが若者の特権だ。

私は応援し続けよう。「大丈夫かな」と心配する気持ちを抱えながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?