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新潟県の直江津駅のホームのベンチにて

新潟県の直江津駅

新潟県に「直江津(なおえつ)」という駅がある。

特に目立った観光地でもない、ごく普通の駅だ。私は関西出身で、地元以外で住んだことがある場所は東京・神奈川だけなので、東日本の日本海側にある新潟はかなり縁遠い。

しかし、直江津駅は一度だけ行ったことがある。行ったと言っても、ほんとうに行っただけ。電車の乗り換えでホームに降りただけで、駅の外には出ていない。

しかし、折に触れて思い出す、私にとっては印象深い駅なのだ。

青春18きっぷで1人旅

大学生の夏休み、私は時々「青春18きっぷ」で1人旅をしていた。あるときは九州へ、あるときは東日本へ。

ある夏休み、具体的なこまかいルートは忘れてしまったが、「今回は東日本だ」と決めて出発した。気になる場所を巡りながら、岐阜・愛知・長野あたりを通り、お金のある限り行けるところまで、進んで見ることにした。

泊る所はユースホステル。安くて手軽だ。バックパックに荷物を詰めて、18きっぷと時刻表と全国ユースホステル協会の本を持って、気長にブラブラと電車に揺られた。

この18きっぷの1人旅で、私は「バスが1日に数本しかない地域があること」「電車が1日に数本しかない駅があること」を知って、かなり衝撃だった。自分の地元の西宮なら5分に1本は電車が来る。バスも1時間に4本は来る。どこもそんなものだと思っていたので、汗がダラダラ流れるうだるような暑さの中、バスの時刻表を見て愕然としたことも少なくない。

バスをあきらめて歩いていたら、今では考えられないかもしれないが、知らない人の車に乗せてもらったこともある。実家には車がなかったから、操作が全然わからずに、降りようとして窓を開けてしまい、笑われた。まだ20歳くらいでよく考えてなかったのだが、いい人じゃなかったらと思うと、今でも冷や汗をかきそうだ。

当時、私は幕末にはまっていたので、主に資料館や史跡などを訪ねていた。ある地方の資料館は、平日でガラガラ、人が全然おらず、ひまそうな館長さんといろいろ話をした。「どこから来たの?」「1人?大丈夫?」なんてことをいろいろ。

普通電車にゆらゆら揺られていると、地元の人の話し方がだんだんかわってくるのがおもしろい。九州を一周したときには、宮崎から鹿児島に入ったとたん、地元の人が何をしゃべっているか分からなくて驚いた。同じ九州弁でも、かなり違う。私は祖母が長崎なので、九州弁のリスニングにはかなり自信があったのだが、鹿児島はお手上げだった。

そうそう、直江津。

東日本の1人旅。このときのとりあえずの目的地は「小岩井農場」だった。なぜだか忘れてしまったけど。

しかし、途中でお金が足りなくなった。行けるところまでいくといっても、最後は自宅に戻らなければいけないから、復路のお金は残しておく必要がある。

あぁ、もうここまでか。お金がなくなったなぁ。

そうあきらめたのが、新潟県の直江津駅のホームのベンチだったのだ。

直江津駅のベンチにぼーっと座って、旅の終わりを感じていた。ぎりぎり自宅に戻る分のお金だから、復路はのんびりふらふら好きな場所に立ち寄りながらというわけにはいかない。気ままな旅は終わったのだ。そろそろ潮時。

若いときの1人旅

18きっぷは、何歳でも買えるわけだから、またやろうと思えば、気ままな1人旅ができなくもない。子供のこととか、家のこととか、もろもろなしにすれば。

けれど、20歳のときのフワフワした、あのちょっと熱にうかされたような1人旅での感覚は、もう二度と感じることはできないだろうな。

年齢というものは、とりわけ、若いということは、それだけで意味がある。若い頃の1年は、年老いてからの10年にも匹敵すると言われるが、実体験でもそう思う。あることに対する鋭利な感覚とか、受け止める深さとか、感情の触れ方とか、独特のものがあるし、そういうものを通した経験は、後の人生でかなりの影響力を持つだろう。

だから、子供達には自分で考えて、好きなことをして、たくさん失敗して、成功して、そこからたくさん感じてほしい。私は極力手を出さず、たくさん失敗する権利を行使するところを、そっと見守っていきたいと思う。

春が近づいて、18きっぷが発売される日が近づくと、なんとなくそんなことを思う。あぁ、でも18きっぷで1人旅、またやりたいなぁ。20歳とはちがう今、自分は何を感じるんだろうか。

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