見出し画像

今日も行けなかったよー

僕の生活は全く綺麗なものではないのに、どうにか繕って見せたがる癖がある。言ってしまえば不登校の癖に自己愛が強いのだ。本当に自分が好きだ。弱くて情けない自分を隠し通して、穏便に済ませようという魂胆なのか。こんな不健康で病的な生活を送り哀切な状況に追い込まれてしまった自らをメタ的な視点で愛しているとはたいそうなことである。簡潔に例えると、もう1人の自分が演じる悲劇を後方腕組み面で鑑賞しているといったところか。

一方で厭世的な情がふつふつと沸き始め何がなんでもこの無様な肉体を切り離してやろうという、さも別人のような思いに駆り立てられる日もある。前述した自己愛とは一貫性に欠けた衝動に走るのだ。側近が殺人鬼に変わり果てる瞬間は幾度となく体験した。賛美の裏にはいつでも残虐性が影を潜めている。相反する感情に挟まれ、四面楚歌を見る。アンビバレンスに苦痛を感じる。
これは何かの病気なのだろうか。マジで気になるから普通に知りたい。有識者の方・・・!

今日も変わらず授業を休んで大切な単位が次々と零れ落ちていくのを横目に、こうして携帯を眺めているだけだ。学校に行けないという事実を眼前に受け止めて、自分でもどうしたらいいのかわからない。だからこそ曖昧な心的問題を文章に昇華させて多少ポエティックな稚拙極まりない有象無象の世迷言をできる限りの丁寧さで書き留めていくしかない。

思えば、中学の頃は作文を書くことに対する安定的な不安を抱えていた。その頃の自分が読むものなんてせいぜい学校の図書室に貸し出してある学研出版の教養漫画くらいだった。総合学習の時間に課された各種イベントの振り返りや卒業文集に掲載する作文まで、捻りのないですます張の貧弱な語彙で提出日直前まで粘っていたのは思い返すと馬鹿苦い経験だ。しかし今では自分の心を救済する術が言葉を綴ることになっている。

全ては朝起きたときの、「今日はなんとなく行けそう」と「どうしても行きたくない」そんな数ミリメートルの差で決まっているのだ。日が経つにつれて心が弾力を失っていくような気がする。

この記事が参加している募集

#スキしてみて

527,899件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?