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劇場での激務から自由なフランスへ留学した話

浜松町の劇場で宣伝の仕事をしていた頃。日本一有名な演出家に台本を投げられた。ガクブル…!!就職氷河期時代、勝ちとった内定先は劇場。飛びこみでチケットを売ったり、大手広告代理店とCMやポスター、交通広告の企画をしたり、広告に出演する俳優を手配したり、演出家に新しい広告をプレゼンしたり、で、1ヶ月休みなしはフツーだった。演出家に台本投げられるわ、大道具に怒鳴られるわ、俳優のわがままにつきあうわ、てんてこまいな日々。

早くも3年が経った24歳の時、「この仕事は若くないとできないな…」と体力とメンタルの限界を感じ「どっか行きたい病」にかかっていた。実家暮らし、激務で金使うヒマもなし、彼氏なし、昼もロクに食べず、趣味の大好きな演劇はタダで見られるし、気づけばたった3年で貯金が250万以上貯まっていた。

そうだ、フランスへ行こう🇫🇷

高校時代、初めての海外旅行がフランス、
大学時代、第2外国語にフランス語を選択、
横浜フランス映画祭には毎年通い、なぜか運よくパーティチケットをゲットしてフランス人俳優たちとパーティーナイト。
今はなき渋谷のミニシアターで毎月フランス映画ざんまい。

兄が料理修行でフランスに行き、なんだか華やかで楽しそうなフレンチネタを時々教えてくれるのでいつか住むぞ!とひそかにフランスへの情熱を燃やしていた。

新卒から3年経てば第2新卒の転職市場で戦える。劇場勤めは激務だから若いうちしかできないだろう。26過ぎると求められるスキルも変わってくる。今のうちに留学して帰国してなお25歳だからきっと就職できるはず。

決意した1週間後には語学学校に申し込んだ🇫🇷

フランスの学生になるには月20万くらいの予算だったら語学学校へ通っても贅沢しなければ1年暮らせるだろう。

決意した1週間後にはパリの語学学校アリアンスフランセーズとソルボンヌ大学文明講座の資料を取り寄せ、申込書に記入していた。
当時はまだオンライン申し込みができず…。

フランス大使館へ返送された申し込み証明書を携えて学生ビザを取得。
ビザの取得方法など諸制度が予告なくコッロコロ変わるので留学あるいは長期渡航予定の方は頻繁に大使館ホームページを見ることをおすすめ。実際、前々日に制度が変わり、私の前に並んでいた人はわざわざ東北から麻布まで来たというのに制度に見合わないから、と窓口で追い返されていたり…。所定の手続きを終え、無事にビザをゲットした。

それから、AIUの海外保険1年分に加入し、万が一の病気や盗難に備えた。シティバンクの口座を開設し、すぐに使うお金は手元に残し、残りの貯金を移した。区役所には税金、年金の支払い免除を申し入れた。

会社に退職を申し出た時は予告なし、予兆も見せなかったため、かなりびっくりされたが、ここまで手続きが進んでは引き止めようもなかった。会社の送別会を終え、毎日友人達とごはんを食べ、パッキンし、家族と最後の夕食。いよいよ出発の日を迎えた。出発当日は父が成田空港まで送ってくれた。

ハンパないアウェイ感と

とてつもない解放感


フランス・パリ郊外のシャルル・ドゴール空港へ着いた時の、孤独と不安と自由が混じった気持ち。今でも忘れられない。
1人も友達がいないフランスで、なんとか自分でやっていかなければならないプレッシャー。
道を聞くにも看板もフランス語。
ひろびろとした空港に降りそそぐ太陽の光。
たった1週間前まで激務だった日々がウソのようなとてつもない解放感。
ぽつんと立ち止まっていたらなにも始まらない、全ては自分次第。

気が引き締まる思いでパリ・オペラ座行きのバスに乗り込んだ。

気まぐれにつづく

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