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『笑いを学ぶべき人へ』

 今日の読売新聞に政治家の音声や顔を勝手に使った事件についての記事があった。そういった動画を作るアプリが無料で拡散されているという。その記事では、ディープフェイク動画が簡単に作れるアプリを開発した兵庫県在住25歳の言葉が載っていた。
「自分と同じように政治家らをバカにしたパロディーをつくる人が現れてほしいと思った」
という。


ひとこと言わせてほしい 

なんて馬鹿なんだ


 パロディーのパの字もわかってないやつがパロディーを堂々と語ってやがる。なんて恥ずかしいやつなんだろう。やっていいこととやってはいけないこと。その区別がついていないやつが堂々と、自信満々に、「自分が新しい笑いを作り出したんだ!」、と言わんばかりなこのコメント。ああ恥ずかしい。見てられない。
 そしてこのつまらん流れにまんまと考えもせず乗っかったやつも愚かすぎて目も当てられない。

コメディーを知らない者

 今回問題になった、度が過ぎたものをネタだコメディーだと言っていることがもう可笑しくて仕方がない、お前の愚かな行動こそコメディーだぞ。コメディーを舐めてもらっては困る。
 
 爆笑問題の太田さんの本『芸人人語』にこのようなことが書いてあったのを思い出した。


『・ハッキリとした頭で常識と非常識の境界を見つけなければならない。

・自分や世間の滑稽さを大衆が認める範囲でできる芸を探すことが重要である。

・すべての(認められるかどうかという)判断は、そのネタをする本人ではなく大衆が行う。』

 
※本に書いてあったままの表現ではありません 

 このことで言えばこいつ(ディープフェイク野郎)はやっていいことと悪いことも線引きできていないただの常識なしである。

モノマネとは全く異なる

  そんなに政治家をネタにしたいのなら、モノマネでもしてやればいいではないか。モノマネであれば、嘘だということは一目瞭然であり、ネタであるということがすぐわかる。
 しかし、今回のディープフェイクや音声を使ったものはネタであるとわからない人も事実だと信じ込んでしまう人を多く出すものである。モノマネというコメディーとは全く別物だ。

自由の逸脱

 
 そして、今回のような問題は、表現の自由を大きくはみ出している。岸田さんや故・安倍さんは国家の代表であっても一人の日本国民であることは自明である。このディープフェイクの問題は、一人の人間の、日本国民としての、人としての権利を侵害する大きな問題だ。どんな人間であっても人権を持っている。このことによって表現の自由も保たれているのである。権利には責任が伴うのだ。

勉強し直せっ!

 とにかく、この問題を引き起こした兵庫県の25歳!

 関西住みなんだろ?
 新喜劇を見に行って笑いというものを勉強し直せバカヤロー!

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