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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(50)

〈前回のあらすじ〉
 諒はホテルを飛び出して見知らぬ街の見知らぬ駅まで辿り着いたが、すでに夜の11時になるころだった。そこから移動して次の街で宿を取ろうか、そのまま電車に乗らずに別のホテルに泊まろうか躊躇した。しかし、万が一翌朝に黒尾とかおりに鉢合わせるとバツが悪かったので、まことは駅員に教えてもらった小田原という街まで電車に乗った。そこまで行けば、清水につながるJR東海道線に乗り換えられるからだ。

50・間に合わなかったのね……

 翌朝、狭いホテルのロビーで、ブッフェスタイルの簡素な朝食を食べた。あたりを見回すと出張で来ていると思しきビジネスマンや外国人観光客でごった返していた。

 午前十時にチェックアウトをして、僕は駅前のコーヒーショップでカフェ・ラテを買った。それを片手に持って小田原駅に行き、券売機の上に掲示された路線図を見上げて、僕は西に向かう路線を探し出した。

 昨夜、小田急線の駅員が言っていた東海道線を見つけたが、その先に直が住んでいた港町の名前はなかった。そのオレンジのラインの末端に書かれていたのは、「熱海」という駅だった。

 まさか「熱海」の先に何もないわけではないので、僕は発券カウンターで清水までの切符を求めた。

「路線図には熱海までしか書いてないけど、東海道線は清水まで行きますか?」
「熱海を境にJR東日本とJR東海に分かれるんです。もちろん東海道線は熱海の先にも繋がってます」
「清水にも?」
「はい、清水にも」
「三保の松原の?」
「えぇ」

 駅員は、蛇口をひねると水が出てくる仕組みや髪の毛は伸びるのに眉毛が伸びないのはなぜかと立て続けに問いかけてくる子供に答えるように、丁寧に返答した。

 それから僕は、随分と暖房の効いた東海道線の下り列車に乗った。やがて列車が走り出すと、車窓から小さな湾が見渡せた。

 遠くで波がきらめく海原を眺めながら、僕は柳瀬結子ゆいこのことを考えた。

 柳瀬結子と会ったのは、彼女が水族館を訪ねてきた日が最後だった。

 あの日、僕はそれまで自分が大きな勘違いをしてきたことに気づき、その勘違いから随分と柳瀬結子に冷たく当たってきたことを悔やんだ。

 柳瀬結子が言ったように、確かに彼女は僕の父親の部下であった。それは、彼女から聴き取った話から信憑性を得ていた。だが、僕は柳瀬結子と父親との関係にこだわりすぎて、同じ会社に勤務していた直の存在をうっかり見落としていた。女性関係の乏しかった直だったから、僕の思考では直と柳瀬結子を結びつけることができなかったのだ。

 しかし、直と柳瀬結子を一本の線で繋ぐと、様々な謎が、積み上げたトランプのタワーが一気に崩れ落ちるように、氷解していった。

「もしかして、僕に水族館の本を送ってきたのは……?」

 僕が恐る恐る尋ねると、柳瀬結子が率直に頷いた。

不躾ぶしつけで、ごめんなさい」
「確かに戸惑いましたが、あの本がきっかけで、僕は今の仕事に就くことができました」
「直くんから、もらったの。でも、あなたに会ってから、あの本は私よりあなたが持っていたほうがいいんじゃないかと思って」

 誰からも煙たがられ、進学も就職もしなかった僕が、唯一柳瀬結子から認めてもらえたようで、なんだかくすぐったい気持ちになった。

「どうも、ありがとうございます。そうとわかっていれば、レストランやカフェテリアで、もっと前向きなお話ができたのに……」
「私も、あなたが困っているのだと感じていました。でも、私は捨てられた・・・・・から、それ以上は出しゃばれなくて」
捨てられた・・・・・?」

 柳瀬結子は、恋人だった直にあるとき突然、別れ話を持ち出されたという。

 父親の背中を追い、会社でも有望視されていた直は、自分が望まない原発の仕事の中で葛藤を続けているときに、スナックのママの横恋慕を知ってしまった。憧れていた父親がいたから、原発の仕事も続けてこられた。でも、その父親が相好を崩してママの好意を受け入れている姿を見てしまったとき、直は父親の中に野獣を見つけ、そしてまた自分自身も野獣の自覚を目覚めさせてしまった。

(すべてのことを、君に理解してもらえるように説明できるほど、僕は器用ではない。ただね、今悲しくても、きっと笑える日が来るさ。本当に身勝手だと思う。でも、こんな身勝手を頼めるのは、君しかいないんだ)

 直は、晴れ渡った秋の空のように快活に柳瀬結子に言い、それから二度と柳瀬結子の前には現れなかったそうだ。死期を知った野生動物が、静かに森の中に消えていくように。

「頑固な男でしたから、あなたがそばにいてもいなくても、きっと直は決めたことをやり遂げたと思いますよ」
「決めたこと……」
「えぇ、この世との決別です」

 感情を持たない僕の言葉を聞くと、柳瀬結子は血の気を引いて、ふらふらと僕の腕の中に倒れ込んだ、僕は彼女の身体を受け止め、そのまま売店の前の絨毯の上にしゃがみこんだ。

「間に合わなかったのね……」
「僕にしたら、追いつけなかったという気持ちが強いです」
「私には、何もできなかった」
「あなたがずっと行き場所を探していたのは、家や故郷ではなくて、直のところだったんですね」
「えぇ」

 そう言うと、柳瀬結子は嗚咽をこらえながら、静かに泣いた。

 僕はただ、彼女の頬をとめどなく伝う涙を手のひらで拭っては作業ズボンで拭き、また涙を拭ってはズボンで拭くことばかりを続けていた。

 あれから父親と直が眠る墓を何度か見舞ったが、柳瀬結子には会わなかった。墓石が洗われていなかったり、僕が供えた花がそのまま枯れている様子から、僕と鉢合わせるのを避けたとかではなく、もう柳瀬結子は墓苑にすら現れていないのだとわかった。

 僕は西に向かう乗客の少ない東海道線に揺られながら、すっかり冷めてしまったカフェ・ラテのカップを握りしめたまま、少しずつ胸に沸き立つ不安を持て余していた。

 果たして柳瀬結子はどこに消えてしまったのだろう。直の死を知って憔悴しきっている柳瀬結子を水族館から見送ったものの、彼女の連絡先も知らなければ、彼女の故郷も、僕は知らなかった。

 竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(51)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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