バナナフィッシュにうってつけのおやつと、子どもの誕生日とトラウマとセクシュアリティの話
雑多なタイトルですが、そういう話です。
最近、「バナナフィッシュにうってつけのおやつ」というテーマで、よくおかしを作っています。
コンセプトと、今までに作ったもの(のうち、写メをとっていたもの)については、以下。
https://twitter.com/i/moments/1047470928630767616
夏からどハマりしている2クールアニメ『BANANAFISH』の主人公のアッシュくんは、ハロウィンのかぼちゃが怖い、という可愛らしいトラウマを持っておりまして
今月は、テーマに「ハロウィンぽいもの」というのを加えております。まぁ、かぼちゃですね。
で、先日100均で可愛らしいクッキーの型を見つけたので、今日はクッキーを焼きました。
左側だけでよかったんだけど、紫のやつは若様み(月龍っぽさ)があったので、一緒に買ってしまった。
すごくかわいい型なのに、私の不器用さとセンスのなさというフィルターを通すと、こういうものができあがります。
あまり可愛くできなかった。残念。手先の器用さとセンスが欲しい。
でもまぁ、おいしかったから、いいのです。腹に入れば一緒でしょ*^^*
で、ですね。
先日うちの子が5歳の誕生日を迎えました。
あー5歳かー。はやいなー。
など思いながらこのクッキーを作っていたのですが、ふと、気づいてしまったのですね。
5歳といえば、おそらく、私がはじめて性被害にあった年齢です。
幼稚園児で性被害にあうということ
そうか私の子ももうそんな年齢なのかと、ちょっと動揺してしまいました。おかげで包丁でザックリ指切りました。お風呂が痛そうで嫌だな。
「おそらく」なのは、年齢に関する記憶がそこまで鮮明ではないからです。
幼稚園児だったことは覚えていて、
で、幼稚園時代にはもう1件性被害を受けているのですが、それは年長の頃で
初めてのやつはそれよりもわりと前のことだったと思うので、たぶん年長クラスになる前のことだろうな。
みたいな。
私は4月生まれなので、年長さん=6歳です。
だからたぶん、5歳。
世間的に言えば、幼稚園児で性被害にあうというのは、どうやらとても「早い」と言われる部類に入るようです。
私は付きまとい事例とか声かけ事例とか、そういう
市の不審者情報もメールで飛んでくるような設定をしておりますので、日々情報が入るのですが
それを見る限りでは、そこまで早いってこともないとは思うんですけどね。
幼稚園当時の被害については
片方は、とても「異様だ」「おかしい」と感じたので怖かったですが、
もう片方については、怖いという意識はありませんでした。
ただ、身体に跡をつけられていたので、そう遅くない段階で事態が発覚しました。
私はただ遊んでもらっているだけの感覚だったので、
何を”されて”そうなったのかを親に話したとき、親の顔がとても怖くて、それがとても怖かった。という感じに記憶しています。
もう片方の、幼稚園児でも明らかに「異様だ」と感じられたこと同様、
自分がされていたのはどういうことだったのか、それをはっきりと理解したのは、小学校の高学年になってからでした。
コトが起きてから、6年か7年くらい経った頃です。
短くない年月が経ってから気づく、というのは、なかなかにショックなものですよ。
これは辛いです。
性教育は結婚するまで必要ないみたいな世迷いごとをきくと、この時の気持ちを思い出して沸騰しそうになったり、すごく落ち込んだりします。
性とはどんなもので、自分の受けたものがどういう侵害であったのかを自分で認識し、把握できないというのは
目隠しの上、自分の人生のコントロール権を奪われるようなものなのだと思います。
すごく不当なので、そういう状況は本当にどうにかされてほしい。
被害にあう、ということ事態がそもそも、どうしようもない不当ではあるんですけどね。
最初の被害における加害者は習い事の先生だったのですが、
ことが発覚してすぐにいなくなりました。
先生がチェンジして、別の先生になったんですね。
私は特に、その習い事をやめるということはありませんでした。
その先生がどうなったのかはわかりません。
警察沙汰にはなっていないので、これもきっと、性犯罪における「暗数」のひとつですね。
性被害にあった経験は、露出の人みたいなノータッチのものも含めれば
残念ながら3ケタはくだらないだろうな、というくらいにはありますが
警察に届けたことはないので、all暗数です。
申し訳ない。
申し訳ないなんて、別に思う必要はないんだけど。
「幼稚園児にもできる性教育」とは?
https://yamamamatips.com/category/seikyouiku_tisiki
↑このへんの記事で、本の紹介をしていたり、
子どもとのやり取りの中で考えたりしたことを書いていますので、よろしければご覧ください。
いくつかおすすめの本を紹介していますが、
それらは1冊もあますことなくおすすめなので、ぜひ読んでみてください。今のところは以下です。
https://yamamamatips.com/https-yamamamatips-com-seikyouiku_ehon_assounandaseitosei
https://yamamamatips.com/seikyouiku_ehon
https://yamamamatips.com/seikyouiku_ehon_sensyo
性被害後のケアのこと
性被害を受けたあと、特段のケアを受けた記憶はありません。一度も。自分から求めたこともなかったし、求める先を探したことも、探そうとかも、なんか思ったことないですね。
幼稚園時代のその2件もそうだし、
小学校に入ってからのいくつかの露出系のものもそうだし。
12歳のとき、私の人生史上最悪の性被害を受けているのですが
その時も一切のケアはありませんでした。
その頃もう私は、自分の親とは確執が深く(強毒親でした)
私の様子がいつもと違うと気づいた担任は「しっかりした**さんじゃなくなっちゃって幻滅しました」とかいう手紙をよこしてきたりした感じだったので、
大人にたよるとか、誰かに頼るという選択肢を思いつかなかったのだと思います。
祖父母は私を可愛がってくれていて、
祖父母の家は私にとってシェルターのようなものでしたが、
だからこそ言えない。みたいにも思っていたように記憶しています。
その性被害を受けた私は、自分のことをとても酷い異物と感じていて
なんというか、
あんな被害などを受ける人間だと知られたら死ぬよりも恥ずかしく耐えられない苦しみに襲われる。
みたいに感じていたんですね。
祖父母の、その家しかなかったので
その場所を失いたくなかったのだと思います。
総じて祖父母以外の大人を信用していなかったので、もちろん警察に言うというような選択肢はありませんでした。
頼ってもいいと思える大人がいて、その大人がエージェントみたいに警察対応もしてくれて、みたいな仕組みがあったら
私の持つ3桁の暗数は、暗数じゃなかったかもしれません。
でもなかったので、わかりません。警察が信用できるのかどうかもわからない。。
大学の入学時に健康診断みたいのがあって、それに心理カウンセラーとの面談みたいなやつもあったんですけど
「あなたは悩みがなさそうだから大丈夫ね」
のひとことでおわったこととかも覚えています。あれはもやは草wwwという感じでした。
当時は父親を殺すのと自分が死ぬのとどっちがマシかみたいなことをわりとリアルに検討していた時期だったので
なんだかなぁ。という感じですね。
どっちもしないですんだのは、実にラッキーでした。
運の良さだけで生き延びてきたみたいなとこ、あると思います。
性被害に限らないのかもしれないけど、心を打ちのめす系の被害とは不思議なもので
起こったこと事態を客観的に考えれば
この時の被害は、その後受けたいくつかのものに比べれば、本当に「たいしたことない」「どうってことのない」ものだったと思います。
でも、私の気持ちは、そのようには認識してないんですよ。
被害の大小とか、どれだけ酷かったか・酷くなかったかみたいなことって、
つくづく他者がジャッジできるものじゃねえなぁ。と思います。
性被害はセクシュアリティをつくるのか
セクシュアリティって言っていい話かどうなのかはわからない。
取り立てて言うほどの話でもないかもしれない。んだけど。
私は性欲のない人間で、恋愛感情は、なくはないけどごくごく薄い。
そういう状態のことは、ノンセクシュアルとか、広い意味でAセクとか、言ったりするようです。
私は身体女性で身体への違和がない人間なのですけれども
とても大好きな女性の友人たちが何人かいて、
そのうちの何人かに対して抱いていたのは、ひょっとしたら恋心だったのかもしれないな。
みたいなことは、
二十歳を過ぎてから思ったことがあります。
私の恋愛感情は性欲をベースにしていないので、他者のそれとは違うかも。違わないかも。わからないです。
大学のときに学年一の美女に告白してもらったことがあって
私は彼女のことが、とてもとても大好きで、
憧れてもいて、
でもその当時私には彼氏がいて(いいやつだったけど超ダメなやつでした)
女の子を好きになるという選択肢を自分のものとして考えることもできなくて
とてももったいないことをしたな、みたいなこともありました。
私は女性にモテるタイプでは全然、全く、本当にないと思うので、かなりの奇跡だったように思います。
彼女は男にも女にもモテてたよ。
いま恋愛感情があるわけじゃないけど、彼女にはまた会いたいなと、いまも時々思います。
彼女も元気にしているといいな。
でも自認としては、女性を好きになる人間、とは自分を思ってはいないかなぁ。
で、本題なのですが
私のこの「性欲がない」というものを
おそらく、私の性被害を知る人がきいたら、「幼い頃から幾度となく受けてきた性被害のトラウマで」性的なものが怖いんだ、みたいな
そういう判断がくだされたりもするんだろうなと、しばしば思うのです。
そうかもしれないです。
でも、そうじゃないかもしれないです。
もうこれ、私自身にもわからないんですよね。
前述した通り、私がはじめて性被害にあったのは幼稚園児のころで
性欲みたいなものの存在を知る年齢よりも前でした。
そうなると、自分でも判断つかないんですよねー。そんなことないです?
自分のこれが生まれつきなのか、後天的なものなのか、全然わっかんないです。
で、それで困ったこと、というのも特にないんですね。
大事なのは
・今の自分がどうであると自分が思っているか
・自分の思うそれが尊重された状態であるか
の2点だけであって、
生まれつきなのか後天的なものなのかは、関係がないです。
嫌悪はないんですよねー。
だからパートナーと致して、子どももいます。
ただ、めちゃくちゃめんどくさくて、したいと思ったことはないので
結婚するまでの3年のうちの2年と、子ども作ろうと決めるまでの結婚してからの3年はレスでした。
夫は大変で、とても悩んでいたことと思います。
夫が悩んでいるのは私も辛かったです。
でも、億劫なもんは億劫なのですよ……。
「それが嫌悪だよ」って言われたら、それは否定もしきれないんですけど
4人のセフレそれぞれと2週に1度会って、毎月「新規さん」を1〜2人迎える、メンバーは定期的に入れ替える、
みたいなことしていた時期もあったので、やっぱり違うような気はします。
これも、いわゆる「熱心な人」みたいな人が見たら
「幼い頃から幾度となく受けてきた性被害のトラウマで」活発になってるんだ、みたいな判断が下されたりもするんだろうなー。とか、思ったりもします。
そういうケースがたぶんにある、ということは私も知ってはいるのですが
自分に当てはまるかどうかと言われると、ちょっとどうなのかな。
わからないです。
なおこの、真面目なレベルでの積極期については、夫には内緒です。
レスで苦しめた夫にこの話をするのは、あまりにも忍びない。
話が脱線しました。
ともかく
「生まれつきなのか」「後天的なものなのか」で
誰かの・社会の反応やら受けられる対応やらがわかってくるとなると私はちょっと困ってしまうし
不便だし
普通に不当なこととも思うので
そういう切り取り方がなくなるといいなー。と思っています。
そういう切り取り方が必要な人がいたり、必要な時期があった(ある)、ということは知っています。
その人たちの邪魔をするつもりはないです。
結論として、子どもに思うこと。
性被害にあう、ということのない人生をおくってほしいなと、やはり思います。
私は「傷ついたぶんだけ人はやさしくなれる」というのを信じていないし(https://note.mu/tiharu/n/n743d0a96990b)
被害なんて、受けなくていいものです。
いらない苦労はいらないんですよ。
でも、それって私たち保護者や子ども本人がどれだけ気をつけていても防げるものではないので
もしなにかあってしまったときには(考えるだけで、考えたくないですが)
フォローなりケアなり、なにかしらできる、
ともかくは話してもらえる保護者でいたいなと思います。
ただ、これも
信頼しているかどうかとか、好きか嫌いかとかだけで決まるものではないから
私や夫でダメなときには、どうか話してもいい・大丈夫と思えて、本当に大丈夫な大人がいてくれますように。と思います。
ね。
だからこういうのって、
親だけがしっかりしてればいいってもんじゃないんですよ。
親と、学校と、その他のサードプレイス的なものが大事なのだと思います。
https://note.mu/tiharu/n/n74cf24281ba9
高校の時の話ですけど、当時は東京に住んでいたのですけれども
金曜の夜とかね、ときどき、家に帰りたくなくて
電車に乗って馴染みのターミナル駅まで行って、そこで朝まで過ごすようなことがありました。
親には友達と集まってるみたいなウソついて。
駅を出てすぐくらいのところに宝くじ売り場があって
いくつかの線の終電が終わってすぐくらいのとき、その宝くじ売り場の前に立って
今日はどうしようかなー、どうやって朝まで過ごすかなー、みたいなことを、ぼーっと考えたりしていました。
いろんな人がいるので、もちろん声をかけられて、やり過ごしたりなんだりの方法はやがて覚えたのですが
隣に、声をかけてくるでもなく
「あーぶっ殺してぇなぁー、誰かぶち殺してぇなぁー」
って
お酒の匂いもさせず、なにか目に見えて異様な様子を見せるでもなく、ただひたすら聞こえるように言ってくる。みたいな感じの大人の人に立たれたことがあって、
急に動いたら襲われそうな気がして逃げることもできず、
ずっと無視して、まるで自分がそれを言われている・ターゲットにされているなんて気づいてもいないみたいなフリをして
その人が飽きていなくなるまでやり過ごす……みたいなことをした日がありました。
いろんな日があったけど
それがあったあとの朝は、すごく惨めな心地になったなぁ、というようなことを
時々思い出すことがあります。
うちの子が、そういう夜を過ごすことがないといい。
当時はまだいろいろ厳しくなくて、
22時過ぎに高校生がいたらお店が罰される、みたいなことはなかったから
コンビニをハシゴして時間をつぶしたり、
お金があるときはファミレスにいったりとかもできたけど
今の人たちはそれができないから、大変だなと思います。
それを大変なことと認識して活動をしてくれている人たちも、いなくはないから
家に帰りたくない子どもたちが、安心して安全にいられる場所があまねく存在するようになってくれればいいな。とかも思います。
保護者の努力だけではどうにもならなくて、
でも保護者にかかってる部分はとても重く・大きくあるから、いろいろしっかりやっていきたいんだけど
(うちの夫は「子どもの権利」みたいなものに関してお母さんがプロで、夫もセミプロで私などよりもよっっっっっっっっぽどしっかりしているので、その点はとても頼もしく思っています)
私たちが失敗しない保障はないし、
そもそも私や夫が子どもが大人になるまで死なずにいられる保障もないので
やっぱり「社会」にも、もっとちゃんとしっかりして欲しいな、とか思います。
そうだ、
かぼちゃクッキーは、ちゃんとおいしかったです。
5歳も「おいしい!」って、親指立てて「GOOD!」って言ってほめてくれたけど
「このチョコの粒が美味しい!」って言ってチョコだけほじくっていたので、あまりウケは良くなかった感じです。残念。
うちの子は総じて、買ってきたお菓子の方が好きです。
ミルクティにめちゃくちゃあうので、一緒に食すのがおすすめです。いつか私とリアルで会うコトがあって、食べてみたいみたいなことがあったら、お声かけてみていただけると嬉しいです。
おしまい。
以上、全文無料でした。
※100円の支援をいただけると、「缶コーヒーの1杯くらいおごってやってもいいよ」と思っていただけたんだな、と感じて喜びます。
※1500円の支援をいただけると、この記事を作成する時間分、子どもを安全な環境に預けるのに必要な保育料程度のカンパになります。
※noteに登録していない方は……現物支給でも喜びます。欲しいものリストこちらです
↓
http://amzn.asia/9ixUUCz