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「披露宴ご挨拶」

「玉の輿に乗りたい」と、以前から娘は言っておりました。大学生のころだったと思います。まあ世間知らずの若い女性なら誰でも言うセリフかもしれません。私としては自立・自活できる女性になってもらいたいというのが希望だったのですが、特に意見はしませんでした。

やがて娘が勤めていた会社を辞めてカナダに留学と称して遊びに行っているとき、カナダの人と結婚すると言いだしたのには驚きました。その時は、玉の輿を狙っていたはずの娘が、いったいどんな外国人と結婚するのかだけが心配でした。しかし娘から話を聞いてみると、老舗のシティバンク社員でしかも日本に駐在するという話。国際結婚なら外国に住むことになるのが一般的ですが、アニメ好きで日本語検定1級の彼氏は日本に住みたいとのこと。これは願ってもないことでした。これがシド君です。

このシド君のお父様はアメリカに住んでおり、お母様はインドにいるそうです。ご家族が3か国に分かれて住んでいるのでは、滅多に会えません。しかし今はSkypeやZoomのようなオンラインツールがあるので、毎週定期的にパソコンでおしゃべりしてるとのことです。便利な世の中になったものです。

そんな日本好きのシド君の希望もあって、この東京大神宮での結婚式となったわけです。お手元にあるメニュー兼マスク入れですが、これは娘のアイデアなのですが、デザインは私がしています。和風のデザインにしてくれというのが娘の要望だったのですが、ハタと困りました。「和風」とは何ぞやということにです。フォントを古風な明朝体にして、桜や富士山のイラストを入れるだけなら簡単ですが安易すぎます。しかし色使いだけで和風を表現することはなかなか難しいものです。そこで私の家の家紋である「左三つ巴」を図案化することで、何とか和風に仕上げることができました。

私は別にデザイナーというわけではなく、本を何冊か出版しているのですが、私の本を家族は誰も読んでくれません。唯一シドくんだけが読んでくれています。そんな優秀でハンサムなシドくんという玉の輿から転げ落ちないように、これからも娘を見守っていきたいと思っております。

今、世界は新型コロナCOVID-19が蔓延しています。アフターコロナが来るかどうかも分かりません。そんな大変な時期にも関わらず、皆様方には娘夫婦の結婚式と披露宴にご参加していただき、まことにありがとうございました。最後になりますが、二人に次の言葉を贈ります。「家族の幸せは願うものではありません。幸せにするものなのです。」これで私のご挨拶とさせていただきます。

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こんな文章を、だいぶ前に亡くなった祖父のPCデータから発掘してしまった。おそらく両親の結婚式の際に、祖父がスピーチした原稿なのだろう。以前、両親の結婚式のビデオを見たことがあるのだが、最後にスピーチをしていた祖父の話の内容とはかなり違っていたと思う。古い日本の時代劇でしか見たことがない古めかしい羽織袴でスピーチしていた祖父は、なんだが長たらしいスピーチでよくわからない話をしていたような気がする。

両親の結婚式は、日本の古い神社で行われたようで、参加者も少なくこじんまりと執り行われていた。昔の結婚式は、大勢の人たちが物理的に会場に集まり飲食をしていたと聞いているのだが、ちょうどこの時期からパンデミックが始まっていたのだろう。両親が結婚した、いわゆる2020年のパンデミック元年は、COVIT-19が世界的に大流行した年のはずだ。もう30年以上も前の話になるが、最初のパンデミックはワクチン投与でいったん収まったはずだ。しかしその後、次第にRNAタイプであるコロナウイルスの変異速度が速まっていき、数年おきに新たなパンデミックとして世界中を襲っていく。

僕が子供のころには、まだ各地域に学校があった。しかし僕が大学生になるころには、授業はすべてオンラインとなり、実際に教授やほかの学生たちと物理的に会う機会はなくなってしまう。逆に世界中の大学の講座を受講できるようになったために、授業内容のレベルは格段に向上していったようだ。日本に住んでいると、アメリカやヨーロッパの大学の授業をリアルタイムで受講しようとしても時差が大きいが、その時代には既にリアルタイムで受講できるような講座はなくなっていた。24時間VR配信されている授業に、ゴーグルを付けて入り込めば、様々な国の学生とともに受講ができる。AIによるリアルタイム翻訳機能があるので、母国語で質問も自由にできるし他の生徒とのおしゃべりや議論もできた。VRグローブを装着すれば実験だってできる。そのころからほとんどの学生は自宅から1歩も出なくても、卒業することが可能になっていた。

僕たちの親の世代では、大学はサークルに入って多くの人と出会い、友情を育てる場だったと聞いている。しかし直接不特定多数の人と会って触れ合うことなど、今ではリスクが高すぎて想像すらできない。安心できるのは家族だけだった。その時代、人と触れ合う必要があるエッセンシャルワーカーの人々は、ワクチン接種はもちろん毎日ウェアラブルデバイスでウイルス検査をすることが義務付けられていた。

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僕と妻との出会いは、こんな時代でも大学のVRキャンパスだった。VRでの授業だと他の学生はアバター表示となってしまう。もちろん全身を3Dスキャンしているので本人の容姿を確認できるのだが、本物である保証はどこにもなかった。実際には大半のアバターは様々なイフェクトがされているはずだが、現実に出会うことがほとんどないので確認のしようがないのだ。それでもアバターが身に着けている洋服のセンスで、なんとなく相手の性格が分かってしまう。妻のリサが身にまとっている洋服のセンスは、僕の好みだったのだ。
僕たちはVRで何度もデートをしたのだが、それでも実際に会うのにはかなり勇気が必要だった。良識ある大人なら定期的なワクチン接種や非感染証明書の提示は当然なのだが、家族以外の人と直接出会った経験が少なかったからだ。まあそれはリサも同じだろう。

僕はリサとデートをするようになってからは、この日が来ることを予想して、自分の体をアバターの体形にできるだけ近づこうと奮闘していた。結婚してから聞いた話では、リサも同じことをしていたそうだ。もっとも結婚してからは、お互いにアバターの体形とは次第に乖離してきたのだが。
人口減少に歯止めがかからない日本では、出産や育児が奨励されていたが、それは祖父の時代から同じだ。パンデミックによって未来が見通せない時代になると、一層少子化が進んでしまった。すでに人工子宮が実用化されているのだが、利用料が高額なこともあり不妊治療ためでしか利用されていない。家事の大半をロボットがやってくれる時代なので、リサもバリバリのキャリアウーマンだ。しかし出産することは女性の「権利」だという考えの人で、子育ても楽しみにしていた。幸いにも無事に妊娠することができ、後は出産を待つばかりとなっている。

そんなリサと違い、僕はいまだに父親となる覚悟ができていなかった。いったいこんな未来が見えない時代に、子供を産み育てても良かったのだろうか。僕たちの子供たちは、いったい幸せになれるのだろうか。やがて子供たちが大きく育ってから、僕たち親のことを恨んだりしないだろうか。
今では何でもオンラインで済ませる時代になっている。VR技術を利用すれば、世界のどこにでも、それどころか宇宙にでさえも簡単にいくことができる。しかしそれは実体験ではなく、「仮想」でしかない。僕の世代ならまだ多少なりとも実体験をしてきた。しかし子供たちの世代になると、このままでは家を一歩も出なくなってしまいそうだ。そのうち子育てまでロボットがするようになると、家族が一緒に住むこともなくなってしまうだろう。そんな時代に生まれてくる子供たちは、本当の幸せを感じることができるのだろうか・・・

覚悟のない僕は妻の出産を間近に控え、今までうだうだと考えてばかりいた。しかし祖父の書いた「披露宴ご挨拶」の最後の言葉「家族の幸せは、願うものではありません。幸せにするものなのです」を読んで、ハッとした。そうか、幸福とは受け身で待つものではなくて、つかみにいくものかと。
僕たち人類が太古の昔から連綿と命をつなげることができたのは、家族や仲間たちと一緒になって、人類の幸福を追求してきたからだ。幸福の中身は、その時代によって変わってきているだろうけど、その姿勢こそが貴いのだ。パンデミックだろうと地球温暖化だろうと、これから生まれてくる僕らの子供たちと共に、自ら工夫し助け合い幸せを獲得するよう努めればよいのだ。そうすることで次世代の子供たちが、いつかは僕らの夢をかなえてくれるだろう・・・

TickTackの物語

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