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ピノとお散歩シリーズ「保護犬ココ」

動物病院の待合室で出会った美しいシルバーのパピヨンは、意外にも保護犬だった。

「キャイン」とピノが鳴いたので、振り向くとピノが椅子の下に仰向けで落ちていた。ボクはあわててピノに近寄ると、足を震わせている。
「大丈夫かい?ピノ」どこを痛めているのかが分からない。とりえず投げ出されている足を順番に撫ででみるが、骨が折れているようには思えなかった。でもかなり痛そうで、息が荒く全身で震えている。すぐにでも動物病院に連れていきたかったが、夜も遅い時間だ。明日まで待つしかない。ボクはピノの全身を優しく撫でてあげることしかできなかった。
翌朝になっても、ピノはまだぐったりとしていて、全身を小刻みに震わせている。水を飲ませようとして、口元に水が入った小皿を寄せてもまったく飲もうとしない。動物病院は9時から診察開始だ。ボクは8時になると、動けないピノを天井が開くキャリーケースにそっと入れて、クルマで動物病院に向かった。

ボクの住む郊外の街は、子供の数よりペットの数の方がはるかに多い土地柄だ。必然的に小児科の医者は少ないが、動物病院なら歯医者よりたくさんある。ピノを飼い始めたころ、娘は家からほんの数分歩けばある古い動物病院ではなく、クルマでしか行けないような遠い動物病院を探し出してきた。評判がよいからという理由だった。もう14年も前の話だが、それ以来優しい顔をした先生のいる動物病院を利用している。幸いなことにピノはとても丈夫だったので、結局この動物病院にはトリミングか予防接種でしか、ほとんど行ったことがなかった。

ボクが病院に着いたのは、8時15分ごろだった。しかし5台しかない駐車場は、既に4台が埋まっている。危ないところだ。この評判の良い医者は、確かに丁寧で腕は確かなのだが、1頭にかける診察時間が長いためにいつも混んでいた。すでに病院の入り口が開いていたので、とりあえず受付のノートに名前を書き込むと、なんと8番目だった。診察開始までは、まだまだ時間があったが、空調の効いた待合室には柴犬と太めのおばさん、ミニチュアピンシャーを2匹抱えた小柄な女性、チワワを抱っこしているタンクトップの若い女性、猫が入っているキャリアケースに大柄な男性の4組。みな黙り込んでソファーに座っている。まだ長椅子が空いていたので、ボクは動けないピノをキャリーケースごと病院に運び込んだ。キャリーケースからそっと出したピノは、相変わらずブルブルと小刻みに震えていた。ボクは痛そうにしているピノを、いつまでもそっと撫でてあげていた。
ピノはこの病院が大好きで、普段ならシッポをビュンビュン振って、喜んで待合室に入っていく。他の犬に会えるのが楽しいからなのだろう。ピノは八方美人の性格なので、おとなしくご主人の膝の上で待っているミニチュアピンシャーに、ご挨拶しようとすり寄ったり、そのご主人にお愛想を振りまく方なのだ。しかし今日は長椅子に寝そべったまま、まったく動かない。柴犬がちょっかいを出してきても、チワワに吠えられてもニコリともしなかった。

しばらく待っていると、長いシルバーの毛をなびかせた美しいパピヨンが、レモン色のワンピースを着た女性に連れられて入ってきた。ボクの隣が空いていたので、パピヨンを抱えて女性はふんわりと座る。この病院で他のパピヨンに出会うことは珍しくはないのだが、それにしてもピノより耳の毛が長く輝いていた。
そのパピヨンは、おとなしく飼い主の膝に座っていたが、ボクが見つめると、人懐こそうに笑ってくれる。
「綺麗なパピヨンですね」ボクは思わず飼い主の女性に声をかけた。
「そちらのワンちゃんもパピヨンですね」
「ええ、そうなんです。今は調子が悪いのでご挨拶もできませんが。そちらはおいくつですか?」
「実は保護犬なので、はっきりしないのですが、たぶん4・5歳だと思います」
「え?このパピヨンが捨てられていたのですか?」
「いえ、ブリーダーに繁殖用の雌犬として飼われていました」

最近、悪質なブリーダーやペットショップを取り締まるために「改正動物愛護法」が施行された。犬や猫を売るための商品としてしか扱っていない悪徳ブリーダーは、国内に多数存在している。そんな業者は、子犬繁殖工場(パピーミル)と呼ばれる施設で、大量に子犬を「生産」しているのだ。金網でできた狭いゲージを大量に並べて積み重ね、1歳近くなった雌犬をそこに閉じ込め、年に2回産めるまで子犬を出産させるのだ。そんな雌犬たちは7・8歳になると体がボロボロになるので、ゲージの中で一生を終えてしまう。
かわいらしい子犬たちを購入する人々は、子犬の母親がそんなことになっていることも知らずに、ペットブームとなっているのだ。このあまりに悲惨な状況が長く続いていたので、動物保護法がやっと改正されることになる。犬や猫の繁殖業者は、飼育頭数や雌犬の生涯出産上限が規制されたために、大量の犬や猫が「放出」されることになった。犬や猫の殺処分数は、近年大幅に減っているが、それでも年間犬猫合わせて4万頭が殺処分されているのが現実だ。ちなみにアメリカのカリフォルニア州では、犬、猫、ウサギをペットショップで販売することが2019年から禁止されている。

ボクとピノは毎日のように散歩しているが、最近出会うワンちゃんたちの半分近くが保護犬になってきている。保護犬たちは最初みなおどおどして、飼い主以外の人間たちをひどく恐れている。しかし1年近く経つとやっと慣れてきて、人に会っても吠えたり逃げたりしなくなってきて、おとなしく頭をなでさせてくれるようになる。

「このパピヨンにはココと名付けました。1か月ほど前にブリーダーから助け出したばかりなんですが、ココは何頭の子犬を産ませられたのか分かりません。でも引き取ってからお家でシャンプーとブラッシングをしたら、これほど綺麗な犬だったんです。今日の予防接種が済んだら、他の子たちと一緒に住まわせて、生涯守り続けるつもりなんです」
「よかったね、素晴らしい飼い主さんに出会って」
ボクはココの頭をなでてあげながら、そっと言ってあげた。

「お待たせしました。ピノちゃんどうぞ」
やっと診察の順番がきた。ボクは、相変わらずぐったりしているピノを抱えて、診察室に入った。
先生に診察してもらった結果、レントゲンでは骨折や脱臼ではなく、いわば捻挫という診断だったので安心した。高齢犬なので、骨折していたら骨がくっつかなかったぞと脅されて、結局痛み止めをもらっただけだった。
4日間ほどは安静にし、少しずつ歩かせるようにすると、2週間ほど経ったらいつものピノに戻ってきた。

「良かったね、ピノ。まだまだ長生きしろよ」
ピノは笑顔で答えていた。

ピノとお散歩シリーズ



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