『まことの光』
2024年6月30日
今日は時期外れですが、ルカによる福音書に沿ってキリストの誕生についてお話しさせていただきます。
一般にクリスマスは12月25日と広く認知されていますが実際にはキリストの誕生の日ははっきり記されておらずわかっていません。クリスマスツリーの起源も本来はキリストの誕生と関係なく、実は馬小屋で生まれたというのも確かなことではないのです。聖書には飼い葉おけに寝かされたと記されているのみで馬小屋に泊まったとは書かれてはいないのです。
■ルカ1:26~33
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
6か月目というのは先週、お話しさせていただいたバプテスマのヨハネの受胎告知からということです。ナザレの町はガリラヤ湖の西約20kmに位置していました。そこから南へ約120km(山道)でエルサレム、さらに約10km南下するとベツレヘムに至ります。
■ルカ2:1~7
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
生後、8日目に割礼を受けることが定められ、マリアは産後の清めの期間40日を経てエルサレムの神殿にのぼって初子を捧げた筈(ルカ2:1)なのでベツレヘムでの滞在期間は40日以上ということになります。その間に東方の博士の訪問があったのだろうと推測します。マタイによる福音書では博士たちが帰った直後、主の使いからヘロデ王の手を逃れるためにエジプトに逃れた(マタイ2:13~15)という感じを受けますが、ルカによる福音書ではエルサレム訪問の後、ナザレに戻ったと書かれています。ヘロデ王は誕生したユダヤ人の王を自分の王位を脅かす存在として捉え、ベツレヘム周辺で2歳以下の赤子を殺したとありますが、その時にヨセフとマリアの一家はナザレに戻っていたのだと思われます。それでもエジプトに逃れなければならない危険があったということなのでしょうか。
ローマを後ろ盾にしていたヘロデが生まれたばかりの赤子を恐れる必要がどこにあったのでしょうか。
【まとめ】
先週、キリスト時代のエルサレムの状況についてお話しさせていただきましたが、実はシリアのセレウコス朝の支配から神殿を解放した祭司マタティアの息子ユダ・マカバイはメシア(救世主)としてユダヤ人のなかに受け入れられていました。神殿を解放した日は光の祭(ハヌカ)として9月25日(ユダヤ歴)に今でも祝われています。太陽暦の12月25日のクリスマスと近いのですがまったく無関係です。(そもそもキリストが生まれたのは12月25日ではない)また、光の祭(ハヌカ)は聖書が守るよう命じた祭でもありません。
エドム人だったヘロデ王はそのユダ・マカバイから起こったユダヤ人王家のハスモン朝から王位を奪い、ハスモン朝の血筋を絶やしました。ですから東方の博士が口にした「ユダヤ人の王」という言葉に並々ならぬ脅威を感じたのです。しかも、その「ユダヤ人の王」はベツレヘムで生まれるということがわかったのです。
ベツレヘムは大きな町ではありませんでしたが、ダビデ王の出生地でした。エッサイの子ダビデは幼い頃、ベツレヘム周辺で羊飼いをしていましたが、サムエルはベツレヘムでサウルにかわってイスラエルの王となるべきダビデに油を注いだのです。
■ミカ5:1
エフラタのベツレヘムよお前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
ミカ書の預言は北イスラエル、南ユダの王国分裂時代に記されたものです。
これを聞いたときにヘロデ王は第二のユダ・マカバイが現れて、自分の王たる地位が奪われると考えたのではないかと思います。ダビデと同じベツレヘムから出る王はユダヤ人の希望となり、民衆の人気は一気に新しい王となる人物に傾くことを偽物のユダヤ人の王ヘロデは悟ったからです。
そしてヘロデ王朝とローマの支配、神殿をわがものにして腐敗するサドカイ派に我慢できないユダヤ人も第二のユダ・マカバイに期待していたのです。ちなみに福音書に出てくる熱心党はこのユダ・マカバイのようなメシアを待望して武力による開放も辞さないというグループでした。
多くの人間の思惑が錯綜するなかで、誰も想像し得なかったキリストが生まれたのです。
私はヨハネがキリストの生まれた日について知っていたのではないかと勝手に考えています。キリストの母であるマリアを引き取って多くの時間を過ごしているからです。ヨハネによる福音書にはそういう意味でマリアの視点も多くはいっているのではないかと思っています。当然、キリストが生まれた日のこともヨハネは尋ねただろうと思うのです。けれども、ヨハネによる福音書には生まれた時のことが記されていません。かわりにこう書いています。
■ヨハネ1:9~10(口語訳)
すべての人を照すまことの光があって、世にきた。彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。
ヨハネはキリストの神性を示すために人間が理想として思い描く光(ハヌカ)などではなく、「すべての人を照らすまことの光」と記したのではないかと思います。キリストの誕生は人によるものではなく、神が最初から備えられていた救いの計画が成就したことを知らせるためでした。
それは神殿で幼いキリストを見たシメオンが聖霊によって語ったように、イスラエルだけではなくすべての国の人におよぶ救いだったのです。
■ルカ2:31~32
これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。
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