『揺さぶられない証の道』
2024年9月22日
今日はルカによる福音書からバプテスマのヨハネについてお話しさせていただきます。バプテスマのヨハネについてはほとんど話が出てこないのですが、聖書の記事とユダヤ人歴史家、フラウィウス・ヨセフスが残した「ユダヤ戦記」などを合わせると、ヘロデ大王の死後、ユダヤ、ガリラヤ地方は3人の息子たちによって統治されます。福音書に出てくる王はそのうちのひとりであるヘロデ・アンティパスです。ヘロデ・アンティパスはガリラヤの西側一帯とヨルダン川東側のペレヤ一帯を統治していましたが、ローマ帝国支配のなかでユダヤの南方、シナイ半島とアラビア半島北部を統治していたナバテア王国と親交を結ぶためナバテア王の娘、ファサエリスを妻に迎えるのですが、兄の妻であるヘロディアに熱をあげてしまいファサエリスがナバテア王国へ逃げたことによってヘロディアを妻としてしまうのです。その略奪行為は律法に反していたためヨハネに責められたのです。
そのため、ヘロデ・アンティパスはヨハネがペレヤにやってきた時に捕らえて牢に入れてしまいます。ヘロデ自体は預言者として絶大な影響力のあるヨハネを恐れていましたので、恐らくまわりにそそのかされたのでしょう。
この福音書の記事はヨハネがすでに牢に捕らえられていた時の話となります。
■ルカ7:18~26
ヨハネの弟子たちが、これらすべてのことについてヨハネに知らせた。そこで、ヨハネは弟子の中から二人を呼んで、主のもとに送り、こう言わせた。「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」二人はイエスのもとに来て言った。「わたしたちは洗礼者ヨハネからの使いの者ですが、『来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか』とお尋ねするようにとのことです。」そのとき、イエスは病気や苦しみや悪霊に悩んでいる多くの人々をいやし、大勢の盲人を見えるようにしておられた。それで、二人にこうお答えになった。「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」ヨハネの使いが去ってから、イエスは群衆に向かってヨハネについて話し始められた。「あなたがたは何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。華やかな衣を着て、ぜいたくに暮らす人なら宮殿にいる。では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ、言っておく。預言者以上の者である。
ここの部分ですが、どうも個人的に疑問を感じます。
多くの人が解説しているように私も最初はキリスト・イエスに対して人間であるバプテスマのヨハネの確信が揺らいだのだと考えていましたが、聖書を読めば読むほど違和感を覚えます。マタイによる福音書ではキリストがヨハネを「エリヤ」と言い切っています。(マタイ11:14)そして「女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない」(ルカ7:28)とまで言っています。
その預言者であるバプテスマのヨハネの確信が揺らぐことなどあり得るのでしょうか。
皆さんはここの部分をどう考えるでしょうか。
【まとめ】
これは私の考えに過ぎませんが、キリストがバプテスマのヨハネによる洗礼を受けた時に「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天からの声をヨハネは聞いていますので、彼の確信が揺らいでいたということはないかと思います。
ヨハネによる福音書を見ると、投獄前にヨハネの弟子たちの間に起こった論争について記されています。
■ヨハネ3:25~26
ところがヨハネの弟子たちと、あるユダヤ人との間で、清めのことで論争が起こった。彼らはヨハネのもとに来て言った。「ラビ、ヨルダン川の向こう側であなたと一緒にいた人、あなたが証しされたあの人が、洗礼を授けています。みんながあの人の方へ行っています。」
問題はこのところで「あるユダヤ人」と表現されている人々です。その「あるユダヤ人」たちはキリストが洗礼を授けていて(実際には弟子たちが行っていたとあります)多くの人々がキリストに集まっていることを不満に思い、ヨハネの弟子たちと争ったのです。恐らく「あるユダヤ人」たちはバプテスマのヨハネの勢力の中でヨハネの真意を理解しない人たちを指していたのではないかと思います。
バプテスマのヨハネは腐敗だらけのユダヤ人社会のなかで神の前に悔い改めて、正しい信仰に立ち返るよう人々に訴えましたが、これには多くのユダヤ人が共感してファリサイ派や律法学者もヨハネのもとにやってきたのではないかと思います。ファリサイ派の名称はヘブライ語の「分けられた人」という意味の「ペルシーム」からきており、腐敗した人たちと一線を画して律法を守るという思想から生まれた本来は純粋な信仰者だったのです。ですからヨハネの洗礼による「清め」に対して敏感に反応して、ヨハネの真意とは関係なく洗礼を受けにやってきていてヨハネのグループのなかに含まれていたのではないかと思われます。(マタイ3:7)
ここでの「あるユダヤ人」はそういうグループのことを指していたのではないでしょうか。
バプテスマのヨハネを信奉する集団はヘロデが気をつかわなければならないほど大きな勢力であり、ヘロデ自身もヨハネを預言者と認識していました。しかし、ヨハネを恨んでいた妻ヘロディアにそそのかされてヨハネを殺してしまいます。
福音書や使途言行録によると、キリストを信じる者が爆発的に増えていった様子が書かれていますが、初代教会当時はキリストを信じる者よりもバプテスマのヨハネを信奉する集団の勢力の方が大きかったという説もあります。恐らくはキリストが十字架にかかったことによる一時的な失望やユダヤ人社会に対する不安などが影響した可能性があるのではないでしょうか。ヨハネはそのような状況になることを知っていたのではないでしょうか。ですから、キリストのもとに使者をつかわして弟子たちのために敢えてわかりきったことを問うたのだと私は考えます。だから、この部分はヨハネの信仰が揺らいだり不安によったものだとは思えません。
「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハネ3:30)と弟子たちに教え、その集団の行く末を託していたのだと思います。キリストのもとに弟子たちをすべて送らなかったのもそういう意図があってのことだったのではないでしょうか。
ヨハネの使いが去ってから、キリストは自分についてきている群衆に向かっても語っています。
■ルカ7:27
『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』と書いてあるのは、この人のことだ。
この預言者ヨハネが揺らいでいたユダヤ人に対して、揺さぶられない証の道を残した功績は初代教会の成長に大きく影響したのではないかと私は思うのです。
INFO:次週はバイブルクラスの時間に証しの時間を持つかもしれないので、お休みとさせていただきます。
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