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食いつないだ青春の日々
私は30代なかばに入るまで、体重が32kgでした。
好きでこの体重だったわけではありません。
実家はあまり裕福ではなかったんですけれど、とにかく食べ物がありませんでした。
服飾品はたくさんあったし、母はしょっちゅうお高いピアスやらを購入していましたが、食べ物がなかった。
食費、驚きの、5人家族で月15000円だったそうです。これは未だに母が私に言ってくることで、うちは5人で15000円でやっていたのだから、お前の家は今相方と2人なのだから10000円に抑えるべきだ、と2時間位電話してきます。
そんなだったので、頼みの綱は給食でした。
女子はあまりおかわりをしない中、あまりがあれば真っ先に挙手し、休みの人のデザートの勝負じゃんけんには必ず参加していました。
とにかくお腹が空いていました。
中学校になって、パパ活を始めて。
友達と肉まんをはんぶんこしたり、缶コーヒーを買ってみたり。この頃タバコも吸い始めました。
家のご飯がどんな感じだったかというと。
サバの半身の半分が1人分の割当。具の少ない味噌汁。少ない白米。ほうれん草がほんのちょっと。
唐揚げは特別メニューでしたが、1人1個だったり2個だったり。
誕生日だけはケーキが出てきたのですが、1番小さいホールケーキを5人で分けるのですが、もったいないからと2日にわけて提供されたり。
小学校の頃はこうしたことも含めて、虐待じゃないかと疑うようになり、授業をサボっては無料児童相談室に電話しまくったり。
高校になって、バイトとパパ活を本格的に始めて、初めてマクドナルドを腹いっぱい食べました。
その数、バーガー5個。
バーガー5個と、セットを数点頼んだりしていたので、大人数で食べるのだとマックのお姉さんに広い席を案内されることもありました。
とにかく食いつながねばと必死でした。
32kgしかなかったので、友達と一緒に行った献血では私だけ体重が不足で献血できませんでした。
大人になって、初めて心療内科を訪れた際、先生は最初摂食障害の相談かと勘違いしたようです。
体重が32kgを下回ったら入院だから、毎日体重を測るように、と言われました。
私はそんな実家を早く出たくて早く結婚したのですが、出産を経ても体重が増えることはなかなかありませんでした。
ちなみに、小さい頃から何度も脚気で通院したことがあります。
そのたびに、おかずが増えるのではなく、ご飯が麦飯になりました。
もちろん先生は「ちゃんと食べさせているか」と聞くわけですが、母はメニューを言うんですよね。すると先生は、「うーん。ちゃんと食べているね」と。
小学校の頃そのやり取りに気づいた時は先生に「ご飯が少なくてお腹が空いている」と言いたかったのですが、母が横にいるので言えませんでした。
今みたいに子ども食堂とかありませんでしたし、あったとしても食べて母に見つかったら大変なことになっていたでしょう。プライドがものすごく高い人なので。
こういう子供、今の世の中でもたくさんいると思う……
ちなみに母は一連の虐待を、虐待だと未だに思っていないので、子供の虐待のニュースを見ると可哀想に、とか言います。
いや、あなたの子供も充分可哀想だったよ。
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