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美大生なのに美術そんなに好きではないかもしれない問題

(先に言っておきますが、このnoteでタイトルに書いてある問題は解決していません。)

・私は高校2年生の途中まで、落書きをしまくっていました。それなのに、何かあったのかわかりませんが、全く落書きをしなくなったのです。

・私は美術館に行って絵や彫刻を見るのがそこまで好きではありません。
美術館という「天井の高い息が吸いやすい建物」が好きなだけな気がしていますし、別にわざわざ高い交通費をかけて行きたいとは思えません。

・私は家で全く自主制作をしていません。本当に全くです。
部屋に置いてある絵を描く道具のせいで「何か作って大物にならなければ」という邪念たっぷりの意思が込み上げ、ほんの稀に何かやろうとしてやめます。

という上記のことは本当は思っていないのかもしれませんが、5ミリくらいはうっすらと毎日考えています。「さては私って、そんなに美術が好きではないな」と。

しかしここで、理屈に合わないこと(?)が発生します。

なぜ私はそこまで好きでもない(と仮定している)美術をこんなに熱心にずっとやっているのか?

いや、もしかしたら自分の気持ちを無視して言い切っているだけで本当は好きなのかもしれません。というか全部が嫌いというわけではないことくらいわかるのですが、正直短歌を詠む方が好きです。

一つ、これが美術を続けていた理由、いや原因なのではないかという心当たりがあります。
それは、私の持つクソデカ自己顕示欲です。

私は小さい頃からずっと絵を描くことで周りに認められ続けました。美術は他の子よりできている自覚があり、意図して賞を取ることができていました。

そのため、美術を使って意図的にチヤホヤされに行くことが可能なのです。キショすぎることを言っていますが。
独創性とかそういうのではなく、技術的に「これやったら選ばれるな」を実行し続けていました。

私は、美術ができるという「周りとちょっと違う私」が好きだった痛い女というだけでした。
「あ、これ私の人生だったわ。じゃあ美術やーめた」と昨日初めて思い、なんだか憑物が取れたような気持ちになりました。

私は、世界を知るために美術をやるべきだよなーと考えていたのですが、別にそれって美術じゃなくてもできることはぼんやりとわかっていたんです。自分の状況を直視せずズルズル来てしまったのだなとようやく気づきました。

現在は、それぞれの人がどの言葉をどう定義して使っているのかが気になっています。
一人一人の言語というツールの使い方を文学作品に触れることで知り、そこで初めて目が合う景色が増えていくのが楽しい、という日々です。

まあ大学を退学したりはおそらくしないと思います。彫刻を作るまでに思考を重ねる時間がものすごく好きなんです。

あーーーー今このnote書いてたらわかったのですが、多分現実と向き合って、戦って食べて千切って手に入れた思考の結果よくわからんものが生まれる>そしてそれをスムーズに作品に置き換えることができるのが楽しくて美術をやっているのかもしれません。すみません美術嫌い嫌い言っておいて。
ぐるぐる考えることが好きなんです。多分。
それについて講評されるのも議論されるのも好きです。もうまとまらないですが、そんな感じです。
「絵を描く、彫刻を彫る」「美術で周りに認められるために作る」は別に好きじゃないけど、「作品を作るというノルマ達成のために脳を動かす」ことが好きなのではないだろうか、そんな気がします。あああわからん。

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