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プロフィール ~遺書~

どん底から幸せまでの経験から得たものと失ったもの


初めまして、スリーピースです。

ここから綴る内容はすべて、実話である。


【好き😁】

家族友達音楽食べ物映画温泉自然健康睡眠ビジネススポーツ歴史名言ことわざ旅行コミュニケーション勇気度胸覚悟挑戦お酒学び子供

この【好き】言葉を使ってプロフィール紹介したいと思います。


【プロフィール日記】

在日韓国人3世としてこの世に生を授かった。

友達

幼稚園から登校拒否でした。両親は困った子が生まれてしまったのだと思った。韓国の文化で育った私は、当時日本の学校に通っていましたが小学校高学年になるまでなじめなかった。

しかし、小学校高学年から高校まで、様々なスポーツを経験し、そこからたくさんの事やモノを学びました。小学生までは野球とサッカーを主将として活動していました。(区大会:準優勝)この時期は練習の厳しさや上下関係の厳しさを体で学びました。中学(全国大会:準優勝、全国選抜大会:優勝)高校(全国大会:2回出場、国体出場)では、ハンドボールを主将として活動していました。日本代表にもなれず悔しい思い出。

小学校低学年までは、人見知りだったことがスポーツをすることで、人間関係のコミュニケーションを無意識の中で自然と構築していき、お互いの共有や助け合いといったことを体得できました。

友達は、お金では買えない。時間と共に喜怒哀楽を共有してきた同志なのである。結果を残したことも嬉しかったが、日々の苦しい練習に耐え抜いききった同志と長く最後まで試合を多くできたことの方が嬉しかった。

また、損得勘定ナシで何でも言える、無条件で癒されるのが本当の友達だ。


大人になりビジネスの世界へ飛び出した社会人1年目のあの頃、営業マンとして従事していた私は、右も左も分からない状態で朝から晩まで3年間、無我夢中で働いた。そして成果を出すことできなかった。社会の世界では努力しても結果が出なければ「無」の世界だと知った。リストラから無職へ。人間関係、仕事の奪い合い、騙し合い、数字の為なら何でもお構いなし、そんな厳しい現実を突き付けられたのが25歳、社会の厳しさを知り、さらに人間不信となる。(うつ病が発生)


そこで、世界感と視野と心のリセットをするために車で日本一周のに出る。何かに出会えるのではないか、何か閃くのではないか、その分からない何かを求めて・・・いざ出発🚙この時期に日本人へ帰化へ。


自然と触れ合い、狭い日本もこんなに広いのだと視界が広がりました。都市部は銭湯しかない、地方は温泉しかないと気付き、これがまた本当に郷の天然風呂は体と目が保養される🛀

*旅と旅行の違い

 =目的地が無く、過程を楽しむ
旅行=過程を一部楽しみ、目的地を楽しむ

お金が無く極貧節約の旅だったことで、自分の弱さをさらけ出し、各地方での、(1日3人と会話するというルールだけは設けていた。)人との触れ合いでは、その地域の食べ物を食べさせて頂いたり、お土産で🍙を頂いたりと、本当に感動し、生命を繋げることができました🙏

何か閃くこともなく、ただ全国そこに生きている方々も場所と環境は違えど必死に毎日を生きていることを知った。


家族&死にたい&生きる

旅が終わり、再度就職し、ひたすらに営業マンとして働いていた時、友人の飲み会で知り合った運命の人と出会い結婚します。ちなみに12/31の大晦日飲み会であった。そして月日が経ち、3人の子供にも恵まれ家族を持つ事に。家族を持った事で収入を増やさなければと感じ、いざ起業する。


起業してから9年間で、お客様、売上(5億/年まで伸ばす)、管理の多忙のエンドレスラットレースに入り、仕事に全ての時間を費やすこととなり、ストレスと接待での付き合いでお酒が好きなのに度を超えた量を飲んだり食べたりで、暴飲暴食する毎日・・・😵そんな悪習慣化した日々により、健康な体はどこかに行ってしまった・・・。

お金があって時間がない、お金がなくなっては必死に資金を繋ぎ、家族があって一緒に過ごす時間を失い、体の状態は健康ではなくなってしまい、次第に動くのが遅くなり悪循環サイクルへと入る。次第に睡眠時間は3時間だけとなっていった。

唯一、癒されるのは移動中の音楽(前向きな歌詞)や現実逃避で睡眠時間を削り夜中に映画を鑑賞してしまうこと。睡眠不足と悪ラットレースのルーティンが限界に達したのです。

そして、悪循環も終焉を迎えることとなる。その代償で倒産、離婚へ。

手続きの間、とてつもない、自暴自棄に陥ります。

迷惑をかけた会社や取引先、さらに離ればなれとなってしまった家族。



懺悔と後悔のルーティン。



生きる意志より死にたい感情が上回る毎日。

死ぬと覚悟を決め屋上から何度も見たあの景色、そこに立つ度に元嫁と子供の顔が浮かび留まる。そして勝手に、涙がとめどなく溢れ出てくる。涙の止め方が分からない。

大人になって、こんなにも泣いたのは何十年ぶりだろうか。


しかし、これは全ては自分の蒔いた種である。

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そこで、歩いて寺周りをしようと思い立ち、動き出した数日後に、自分の感情の「死にたい」の反義語、「死んでたまるか」に出会う。

死にたい ≠ 生きる < 死んでたまるか

脳みそフリーズ。

理解と、この意志に1時間以上を要した。

生きいく上での、メンタル軸方程式が成り立ち、前に進んで行くことの少しの勇気度胸覚悟を教えてもらったのと、この会ったこともない御方に、お叱りを受けたをことが鮮明に蘇り、心の原点回帰として胸に刻むこととなる。

この歴史あるたった7文字、いや、されど7文字の言葉に出会わなければ、果たして命の灯は点いていただろうか。これが神秘の必然のということなのかと。

この時期は、ホームレスでした。


学び

生きる為に食べるのか、食べる為に生きるのか、どちらでも良い。生き抜いていくことこそが大切なのだ。

様々な分野の歴史上の人物の名言ことわざをアプリやサイトで読み、挑戦、経験、失敗、成功の順によるインプットとアウトプットの実戦と学びの繰り返しルーティンを行ってきたことも無駄ではないが、どんな名言よりも「死んでたまるか」が自分の魂まで刻まれる衝撃波となることと誰が予想しただろうか❗


スポーツから学んだ信頼できる人と手を取り合い目標を共有することの大切さ、決して過程がダメだとは思わないが、社会では結果が出たものが評価される世界であること、仕事と家族との大切な順序は人それぞれだが、私は今、全てを失って気づいた、家族こそ大切な存在であるということを。


新たな挑戦

現在、2020年より本格的にコロナウィルスが発生し、世の中の在り方や生活スタイル、仕事の働き方、アナログからデジタルへ、と2021年より5GやDX(デジタルインフォメーション)の革新により世界は秒単位の中、変革し移り変わっています。

時代の変化に合わせ、求められる事やモノが変化し、自分自身も変化しなければならないと思い、SNSという新たな分野に挑戦し発信し続けていくと決心しました。

と同時に、何度も心が折れそうになりながらも、生き抜いていくことへの執着を決して忘れてはならないこと。なぜなら…


P.S.

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

このnoteは自分が生きてた印であり日記となります。自ら経験したことやこれからの行動や結果を、一記事ごと丁寧かつ質の濃い内容を届けれるように綴っていきます。

離れ離れになってしまった子供(家族)へ向けたメッセージであり、生きた歴史の沿革となり、足跡となり、一方通行の文通みたいな想いと共に、最終的に遺書となれれば幸いです。

小さな幸せを取り戻せるまでのリアルストリートライフ。

そして、

いつかこのnoteが大事な人に届きますように✌✌✌スリーピース



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