オワリはじまり31 「父経由で祖母にある物をプレゼント」
遡ること3日前の12月20日水曜日、僕は父経由で祖母にある物をプレゼントした。
そのプレゼントとは「想い出ファイル」である。
この想い出ファイルを渡すというアイデアは、数ヶ月前にMさんから提案されていた物である。このことについて、僕はすでにNoteで書いた気でいたのだが、過去の投稿のタイトルを確認したところ、どうやら書いていなかったようだ。
そこで今日の投稿では
・想い出ファイルとは?
・想い出ファイルの存在意義
・想い出ファイル製作に必要なモノ
・想い出ファイルの中身
・なぜ提案された後すぐに作らなかったのか?
について書いていこうと思う。
想い出ファイルとは?
前述の通り、想い出ファイルとはMさんから数ヶ月前に提案されたものである。
ちなみに「想い出ファイル」とは僕が勝手につけた"それらしき”名称であり、正式名は特にない。
想い出ファイルの存在意義
想い出ファイルの本来の存在意義(存在目的)は、施設内で祖母が落ち込んで自暴自棄になったり暴れたりした時、施設職員が元気だった頃に大好きだったモノが挟んであるファイルを見せることで祖母を落ちついてもらうために使うの物である。
ちなみにMさん曰く「これを用意すると、対応する職員は助かるのよ」とのことだった。
想い出ファイル製作に必要なモノ
バインダー 1個
上から開けるタイプのクリアファイル 複数枚
本人、家族、趣味に関する思い出の写真 複数枚
想い出ファイルはこれらから構成されている。
想い出ファイル(第1弾)の中身
認知症になるまで大好きだった韓国に関する写真
(例:民謡「アリラン」の歌詞が書いてあるA4紙)1同様に趣味の1つだった「生花」に関するモノ
(押し花があったので、それを硬めの紙に貼り付けた)青春を過ごした母校の高校に関するモノ
(60周年記念でもらった校歌付きの下敷きを入れた)愛する夫であった亡き祖父の写真とモノ
(若かれし頃の証明写真、祖母と山友達と映っている写真、仕事中の写真、祖父直筆の登山中に歌う山に関する歌の歌詞がまとめられたノート)僕と従姉妹(幼少期〜小学生)の写真とモノ
(残念ながら、祖母は現在の従姉妹の顔の写真を載せたところで認知できない。そこで昔年1回のペースで我が家に遊びにきていた頃の写真と幼少期に従姉妹が祖母と祖父に宛てて書いた2人の顔の絵を選んだ)5以外の家族や親戚の写真
(僕が生まれる前に亡くなった曽祖父の写真、認知症になる前にたくさん交流していた親戚たちとの写真など)若かれし頃の祖母の写真
(退職前に職場で取られた写真、趣味に勤しむ写真など)
※ちなみにMさんから最優先で探すように言われたのは、若かれし頃の祖母の写真だった。
なぜ提案された後すぐに作らなかったのか?
前述の通りMさんからこのファイルを作るよう言われたのは、祖母をまだ在宅で介護していた数ヶ月前のことである。僕はその提案を受けた日、Mさんの家を離れた後にすぐ言われた通りのモノを百均で購入したのだが、結局着手したのは12月17日だった。「作りたい」という気持ちがあったのにも関わらず、制作がここまで長引いたのには3つの理由がある。
父との生活サイクルの違い
今回ファイルに入れた写真たちの多くは、なぜか僕の部屋に鎮座している収納の引き出しの中にあった段ボールに無造作にぶち込まれていたモノたちだった。その写真たちの多くは親戚や山友達との写真だったのだが、僕にとって写真に映るほとんどの人の名前や顔、そして祖母との間にどれほどの関係性を持っていたのかがどうしてもわからなかった。
そこで父に協力を仰ぎ、写真を一緒に選ぶことを提案・了承を得たのだが、僕と父は仕事が休みの日が合わず時間が作れなかった。また、父は時間があれば外にすぐ遊びに出るタイプなので了承を得たとしても自ら作業を行うことがなく、ここまできてしまった。施設入所後、祖母は満喫した施設ライフを過ごしていたから
提案された当初、Mさんから言われていた「制作期限」は祖母が入所するまでだった。その理由は「〇〇さんは入所してから、すぐに家に帰りたいと言い出すわよ。そうなったら大変。私も経験あるけど、施設で「帰りたい」って暴れ始めたら手が止められないからね。」というものだった。
しかし入所して以来、祖母は「仏壇を拝みたい」などの理由をつけて家に上がることはあったが時間がくればスムーズに施設に戻る生活を過ごしていたので、今すぐに必要だと思っていなかった。
以上の理由もあり、僕は「年末年始は俺も父さんも休みだから、その時作って渡そう。」程度の制作意欲になっていた。
しかし、ケアマネから祖母が骨折して病院に入院することになったという連絡を受け、ファイルの必要性が急激に上がった。
祖母にとっての生きるためのモチベーションである『歩く』という行為が骨折によってできないという状況
それまで楽しんでいた施設での生活とは全く違う入院生活。これまで祖母のお世話をしていた介護職員がいなくなり、介護職員に変わり祖母にとって完璧に他人である看護師が介助するという状況
これらのことを頭の中で想像したタイミングで、僕は今の祖母が置かれている環境はMさんが恐れていたあの状況を引き起こす可能性があることを瞬時に理解した。
「とにかく今すぐに用意しないと!」という衝動に駆られた僕は遺品整理のアルバイト時代とは言えないものの、とりあえず用意して渡すという目標を立てて大量の写真を仕分けし、約2時間ほどでファイルを制作することができた。
最後に
祖母の足の手術は無事成功した。
手術は成功したが、退院は早くても数週間はできない。
ちなみ僕はファイルの見開きに看護・介護関係者にとあるメッセージを書いた。
そのメッセージで僕は、
・認知症の症状で祖母が暴れて困った時にこのファイルを見せて欲しい。
・今後も中身は更新する予定なので、その際は協力してほしい。
このファイルを父に託ける際、父にこのメッセージを看護師に読んで欲しいと伝えた。理由は祖母にただ渡してしまうと、このファイルは単なるアルバムとなってしまうからだ。入院手続き後、僕は祖母と1度も会っていないため祖母がどういう生活を過ごしているかわからないが、制作者である僕としては「このファイルを使わないことが一番の幸せ」だと思っている。
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