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日本らしさ

結局日本人は排他的だなと感じる。
多神教の国だからこそ懐が深く、他文化を受け入れているとよく言う。
実際受け入れているのだろう。
それでも自文化と他文化は明確に異なる

日本の文化はそう発展してきた。
自文化と他文化を明確に区別した上で、他文化を取り入れて自国で発展させる。
文化のコピーでは終わらない、日本らしさを感じる

最も顕著なのは普段私たちも用いる漢字だろう。
中国語を取り入れたのち、日本独自にそれを発展させる。
なんなら漢字から平仮名や片仮名を生み出す
この発展のさせ方には痺れる。
そして西洋圏の言語への対応。
ポルトガルやオランダとのみ貿易を行っていた鎖国時代に、カッパやジョウロといった外国語を、合羽や如雨露といった漢字へと変換していた時期もあるが、今や専ら片仮名でこれら外国語に対応する
片仮名を読める人間なら、誰でもその単語が外国由来なのか判別できる。
その上でパーソナルコンピューターやスマートフォンをパソコン、スマホと日本的に適応し直す。

言語だけに限らない。
建築においても同様だ。
平面図でリビングやキッチンと書かれることは最早一般的となってきた。
敷地面積も平米で表記される。
その中でも変わらないものもある。
部屋の面積は相変わらず畳(じょう)で数えるし、畳部屋がフローリングの廊下と繋がる。
畳部屋は確かに減少はしているが、どの家にも必ず玄関がある。
西洋的な住居スタイルの中に確かに日本の要素は残っている

日本の食文化はこの適応が本当に上手い。
ラーメンという中国の文化も日本の中で独自に発展しているし、インド文化のカレーなんかもそうだ。
シチュー(stew)やカツレツ(cutlet)、コロッケ(croquette)なんかもそう。
パスタだって和風パスタなんて言う適応がある。


もうずいぶんと前に現代文で読んだ文章だから出典も覚えていない。
それでも自分の中に残っている文章がある。

日本は始め中国に「倭国」と名付けられた。
倭とは「従順な人」という意味があるらしい。
そのようなある種の蔑称を捨て、調和や親和を意味する「和国」を名乗った。
「和」こそが日本の本質なのだ。

という趣旨の文章であった。

日本とは「和の国」である。
どの他文化も自国文化と調和させる。
クリスマスだってバレンタインだって日本文化に適用させ、日本独自の文化となる。
平和に温和に、違和感を緩和し調和させる。
日本の文化とは「和の文化」なのだと僕は思う。


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