くまはん/思考の日記@ノルウェー

新しい思い出が増えていく一方で、色褪せていく思い出がある。 少しでも自分の思考を遺せて…

くまはん/思考の日記@ノルウェー

新しい思い出が増えていく一方で、色褪せていく思い出がある。 少しでも自分の思考を遺せていけるようにnoteに書き綴っていきます。 質問だったり、こういうの書いて、等も質問箱で受け付けてます。 https://marshmallow-qa.com/6ubfg1i0fubn3uh?

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審美眼

「あの女優はブスだ」 こういったツイートに十中八九、「お前の顔はどうなんだよ」 といったツイートがある。 実際他人の容姿を言う前に自分の容姿を見ろよ、といった諫言はよく見受けられる。 果たしてそれって意味あるのかなってのが今回のノートです。 結論から言うと意味ないんですよね。 彼らは“審査員”なんです。 権威やバックグラウンドのない審査員。 タチが悪いですよね。笑 でも容姿って難しいんです。 男女問わず俳優に色濃く表れます。 イケメン、美女がトップを張れる。 「演技派」な

    • 人は皆、排他的だ。

      日本人って排他的。 よく流布されている言説ですよね。 日本人は「血」を重んじる民族。 だからこそ「在日」といった単語だったり「ハーフ」といった単語があるんだろう。 血は日本じゃないけれど、日本に住んでいる人。 そもそも日本以外の血も流れている人。 これだけ聞くと確かに日本って差別的だなって思う。 まだ鎖国してる国と言われても仕方がない気もする。 だけど案外それって周りの国も変わらんやんって思ったことがあった。 皆さんアメリカ合衆国の黒人大統領って聞いたら誰を思い浮かべ

      • 自分の調子って分かりづらい

        自分の調子って分かりづらいよね。 ドラクエの呪いとかポケモンのマヒとか。 そういう風に頭の上のステータスが表示されたりしない。 身体的にしんどいのはわかりやすい。 筋肉痛だとか、腰痛だとか。 ”痛み”として明確に表れてくれるから。 自分が精神的に不調なのかどうか、はわからん。 宿屋とかポケセンとかで休んで初めてあ自分って不調だったんだって知る。 もしくは毒状態でHPがギリギリまで削られてから知る。 今自分の調子って限りなくマイナスに振れてる。 まあこの一ヶ月くらいしんど

        • 「学生の本分は勉学」と言う大人が嫌い

          学生の本分は勉学。 そう言う大人が嫌いです。 多分これってきっと自分が勉強をしなかった後悔を押し付けてるだけ。 もしくは過去の自分を美化して勉強した気になってるんだと思うな。 高校の恩師が卒業時に仰っていた言葉を思い出す。 「大学生とはふと思い立った時に海に行ける最後の身分だ」と。 バイトでお金を稼げるようになり、免許も持っている大学生は行動範囲が広がる。 単位も就活も全て自己責任。 高校までとは打って変わって、周りが何かしてくれることはない。 自由でいて、責任は自分の周り

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        • 好評だった集
          14本
        • スキ10以上集
          57本
        • 欧州電車旅
          9本
        • 質問返し
          3本

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          幸せの抽象化。

          「人生において、貴方が重要だと思うものを一つ選べ」と言われたら何と答えますか。 どういった答えにせよ、この問いにその人となりが表れる気がします。 読者の皆様にも一旦ここでこの問いについて考えてみてほしいです。 僕はこれに、「他人」と答えます。 人間の悩みのすべては人間関係、という言葉もありますが、それと同時に人間の幸せは人間関係に生まれるものですから。 感情はどこに生まれるか。 それは頭でも胸でもない。 感情は人と人との間に生まれるものだと思っています。 喜びも悲しみも

          雨を美しいと感じる日本人の感性

          先日こちらの方のnoteを読んで、初めて「二十四節気」なるものを知った。 4月19日は「穀雨」だったそう。 そんな美しい言葉があるだなんて知らなかった。 日本人は雨を美しいと感じる感性がある。 日本人であることのどこを誇るかと聞かれたら「雨を美しいと感じられるところ」と答えるかもしれない。 それくらい日本の、この感性に陶酔している。 穀雨は「雨生百穀」から来ているそう。 雨が百の穀物を生む。 春のこの時期、穀物は最も雨を必要とすることから来てるんだって。 そんなことも昔の

          雨を美しいと感じる日本人の感性

          趣味:怖い話

          僕は怖い話を聞くのが凄く好き。 人怖(ひとこわ)だったり心霊だったり。 両方ともすきだけれど、強いて言うなら心霊の話が好きだな。 自分も何個か心霊系の怖い経験はしたことがある。 明確に覚えているのは二つかな。 僕の姉が経験したことはもっとある。 うちの母親も親父も経験したことがそれなりにあるけれど、きっとうちの姉貴の経験がダントツかな。 気が向いたら、またここら辺の話を詳しくしようかと思う。 僕が好きなのはあくまでも怖い話を聞くこと。 幽霊も割と信じているし、それなりに

          人生コント説

          僕らは”人生”というコントを生きている。 脚本も筋書きも、きっとない。 ただしかし、一つだけ存在するものがある。 それは役割だ。 この世の全ての人はそれぞれ何かしらの役割を演じている。 この”note”というコントでは、僕は「ノルウェーで留学をしている東大院生」という役割になる。 ”家族”というコントでは「24になってもまだ親のすねを齧り続ける愚息」という役割かもしれない。 ”ノルウェー”というコントでは「留学中の外国人」という役割だろう。 みな何かしらの役割を抱える。

          "お笑い"というアート

          エネルギーチャージということで、今日は一日家でネトフリDayをした。 「Jimmy ~アホみたいなホンマの話~」という、芸人であり画家の大西ジミーちゃんの話を観てた。 笑って泣けていいドラマだった。 僕がジミーちゃんを好きになったのは正月のガキ使だったと思う。 今はもうやっていない、「24時間笑ってはいけない」。 (また再開してくれないだろうか…) 毎年毎年、どこでジミーちゃんが出てくるか凄く楽しみだった。 腹がちぎれるくらい笑った記憶があるし、純朴そうなジミーちゃんの笑顔

          ああ、自由!

          文字通り「日に日に」、日が伸びています。 うう… これが意外としんどい。 そらそうですよね。 留学始まった1月の日照時間は9:00~15:00なのに、今や6:00~21:00なんですから… 6時間しかなかった日照時間が15時間ですよ?! 倍以上?!2.5倍かよ?! そらしんどいわ。 周りのノルウェー人は日の長さと共にアクティブになってきていて、色々なイベントがあるのも重なって、今留学中最大級にしんどいかもしれん。笑 さて、気づいたら修士二年になった自分。 留学生活もあと二

          砂金。ー古文漢文不要論についてー

          毎年受験シーズンになると流れてくる古文漢文不要論。 「古文や漢文は学習に時間と労力が必要な一方で、現代社会で使用する機会は少なく、目に見えた成果が少ないから。」 というのが不要論の大筋かな。 そもそも不要論を唱える人々は古文漢文を実社会で使用しなかった勢力で、必要論を唱える人々は使用した勢力。 つまり使ったから必要、使わなかったから要らない。 だからこそ、この議論は永遠に平行線で毎年こういった議論がなされているんでしょうね。 それでも敢えてこの不要論に対して批判をし、必要

          砂金。ー古文漢文不要論についてー

          真っ新なパレット

          今、なんだか全ての人間関係をリセットしたい。 そんな欲望に駆られている。 人生で生きてきてこんな望みを持ったことがなかったのに。今初めてそんな感情を抱いている。 僕は元来、誰かの連絡先を消すという行為が嫌いだった。 連絡先を消すということは、相手の人生と僕の人生を繋ぐ唯一の"線"を断ち切ることだ。 断ち切ってしまえばその直後にその方が亡くなろうが何しようが関係がなくなってしまう。 つまり僕の人生においてはその人はその時点で亡くなったも同然となる。 だから連絡先を消すという行

          女性解放運動。

          先日ゲーム「バイオショックインフィニット」の一部切り抜きがTwitterで流れてきた。 その中での一節。 このゲームをプレイしたことはないが、かなり差別社会などについて切り込んだ作品らしく、かなり興味を持った。 帰国後、買ってやってみよう。 というのは一旦置いておいて。 この内容を見て僕は自分が凄く恥ずかしくなった。 「女性は男性の庇護下にいればいいじゃないか。」 そう1㎜も思っていなかったというとウソになる。 けれどもそれは傲慢な白人の黒人に対する考えと全く同じだっ

          デカい看板は目立つが重い。

          ちゃんたさんの、逆学歴コンプレックスについてのnoteを見て居ても立っても居られなくなったので筆を執ります。 ちゃんたさんだけでなく、noteの東大不幸論者の多くはこういった逆高学歴コンプレックスを抱えた人だから、もしくはその人を見ているから、なんだろうな、と。 そんな人たちに向けたnoteを。 「デカい看板は目立つが重い。」 これは僕が開成を卒業する際に恩師に言われた言葉です。 開成というそこそこネームバリューのある高校出身者は、大抵東大や医学部とまたネームバリューのある

          デカい看板は目立つが重い。

          サクラを見て思い出す

          毎年どこかしらで桜を見れる。 鎌倉だったり上野だったり、今年はドイツのミュンヘンだった。 その度に思い出す、ある高校同期。 彼は「桜はあんなにも咲いているのに、見向きもされないことが美しい」と以前言っていた。 ああ、なんと美しい言葉だろう… 僕もいつかこんな言葉を紡いでみたい。 サクラを見るたびに彼を思い出す。 サクラを見て「諸行無常」や「盛者必衰」を思い出す自分。 これは桜の散りゆく様子や、春だけ注目を浴び、残りの季節はただの木となるところからのただの“連想”だ。 “連

          人生はアートだ

          人生は全てアートだ。 アートとは「文脈」・「空間」・「造形」によって成立している。 例えば絵画。 絵画自体にフォーカスを当てた際、その絵画の描かれた絵の内容という”文脈”がある。 宗教画なのか風景画なのか自画像なのか。 自分の好みや知識によってその絵画を美しいと思えるかどうかは変わってくる。 また、絵画鑑賞という行為に対しても、どうしてその絵画を観に行ったのか、というのも”文脈”に含まれる。 こうした”文脈”には自分のその時の感情も含まれる。 誰とどういう状況でその絵画を