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雨を美しいと感じる日本人の感性

先日こちらの方のnoteを読んで、初めて「二十四節気」なるものを知った。
4月19日は「穀雨」だったそう。
そんな美しい言葉があるだなんて知らなかった。

日本人は雨を美しいと感じる感性がある。
日本人であることのどこを誇るかと聞かれたら「雨を美しいと感じられるところ」と答えるかもしれない。
それくらい日本の、この感性に陶酔している。

穀雨は「雨生百穀」から来ているそう。
雨が百の穀物を生む。
春のこの時期、穀物は最も雨を必要とすることから来てるんだって。
そんなことも昔の人は知ってたんか…すげえな…

雨に多数の名前が付いているのは日本くらいじゃないのか。
五月雨だったり梅雨だったり。
緑雨、白雨、黒雨。
雨に色味を感じる感性も美しい。
甘雨なんて、味をも感じているのか。
でも春の雨って甘い気がする。
美しい。

雨を題材とした作品は国内外問わず数多くある。
多くは雨が登場人物の心情を表している。
憂鬱さだったり悲哀であったり。
登場人物の気持ちが晴れると同時に頭に虹が咲いたりする。

雨はネガティブな印象を与える舞台装置として働くことが多い。
その一方で、それを逆手に取ることもある。
本来忌避したい雨の中、カップルがはしゃぐ。
周りが雨だとしても、二人の関係性は晴れやかであることを示している。

完全な主観ではあるものの、西洋作品は飽くまでも舞台装置としての雨であって、雨自体を美しく描写しているわけではない。
悲哀の美しさを表現したいから雨を使うのであって、雨に悲哀の美しさを感じることはない。
雨に穏やかな寂し気な美しさを感じることも。

何故だかわからないけれど日本の作品には雨に物憂げな美しさも、鬱屈とした美しさも、色艶やかな美しさも感じる。
五感全てで雨を享受する。
雨の降る湿った空気の匂いも、春の雨の甘さも、屋根や傘に当たる雨音も、雨に濡れた路面も、肌に触れる雨粒も。
全身で雨を楽しむ文化が日本にはある。

そう考えると雨だけじゃない気がする。
焚火だって森の鼓動だってなんでも。
音や情景や匂い、味も手触りも全部。
自然を崇拝する神道の国だからこそなのかな。

余裕がないとき、自分のことで手いっぱいになっているとき、自然と向き合うことを忘れている気がする。
パソコンだとかスマホだとかに五感を持ってかれて、自然を五感で楽しめてない。
日本人としてこういった感性を忘れちゃいけないんだろうな。

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