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ばら星雲といっかくじゅう座の秘密の物語

もうすぐ西暦3000年を迎えようとする、ある小さな青い星がありました。

その星ではやっと、宇宙空間をある程度の距離、行き来する技術が実用化したところでした。

素材は比べ物にならぬほど強固であるものの、まるでいにしえの零式艦上戦闘機とも似通った姿をした一人乗りの宇宙船で、目標の星々に移動する技術を得たのです。

ユアは飛行大学校で優秀な成績を得た若者でした。十九歳になった年、件の宇宙船の飛行士に選出されたユアは、その行き先を政府によって「ばら星雲」に決定され、単身、宇宙船に乗り込んだのでした。

宇宙の移動には、引き換えにするものが必要でした。それは「時間」です。宇宙船の中にいる分にはユアは十九歳のままだというのに、その移動距離や光の速さがどうとかそういった小難しい仕組みによって、ユアが故郷の星に帰還する頃にはきっと、ユアの周囲にいた人々は皆、寿命を迎えて亡くなっているはずでした。

それをユアは理解していたのです。だからこの別れは今生の別れ、ユアの両親は号泣しました。ユアがお付き合いをしていた、飛行大学校の同級生のリユも、最期の逢瀬の夜は泣きどおしで過ごしたのです。

「…あなたは、一角獣の守るものの正体を知りに行くのね。」

ベッドの上、シーツと枕はリユの涙でしっとりと濡れていました。これだけ泣いてくれる恋人を置いていく自分は残酷であると、ユアは自らを呪いつつ—それでも諦められない宇宙への夢によって、どうしても心は高鳴るのです。

「…一角獣?、ああ、ばら星雲はいっかくじゅう座の方向にあるものね。」

答えながらユアはぼんやりと、大統領から受けた言葉を反芻しました—君は、人類がまだ到達していない、未知の場所であるばら星雲へ足を踏み入れる、人類史上初の存在である。

そこに行ってどうなるか、もしも何も見つからなければどうするか—なんてことは考えるだけ野暮なのだ、とユアは割り切っていました。いつだって人間はロマンを抱えた生き物で、その為には時に犠牲だって厭わない—そうやって人類は発展してきたのだと、ユアは自らの宇宙への憧憬を、人間の勝手な都合にうまく加担させ、もうすぐ宇宙船に乗り込もうとしていたのです。

「一角獣は処女を好むのよ、」

涙に濡れ、いっそう艶やかになった瞳をユアに向け、リユは呟くように言いました。

「ばら星雲にはきっと、貞潔なお姫様が暮らしていて…あなたを誘惑しているのよ。今もう既に、あんなに遠くから…ものすごく強い力でもって、ね。」

零式艦上戦闘機に似た姿であることが理由なのか、宇宙船は人々から「ゼロ」の愛称で呼ばれていました。

ゼロに乗り込んでから、いったいどれくらいの時間が経過したのでしょう。

強制的な睡眠装置によってぐっすりと眠らされていたユアは、「まもなく到着いたします」という、直接脳にはたらきかけるシステムを使った声によって、深い眠りから目を醒ましたのです。

ゼロは自動運転で目的地までたどり着く代物、そう、つまりゼロは、人類の目的地であったばら星雲までたどり着いたのでした。

ユアは窓から外を見、驚きました。

ばら星雲は散光星雲という括りにあって、ガスや宇宙塵による天体、というのが人類の得ていた知識であるはずでした。が、ゼロがたどり着いたそこには、その「ばら星雲」の名のきっかけとなった、赤い花の様な姿の星雲の真ん中に、大きな神殿—そう、歴史の授業で習ったパルテノン神殿にも似た建造物が、ぼんやりと浮かんでいるではありませんか。

「…何だ?あれは。ホログラムか?」

その時、急にドォン!という振動がゼロ全体を包みました。咄嗟に脱出コックピットを起動させることができたユアは、さすが飛行大学校の成績優秀者、といったところでしょう。コックピットはまるで、歴史資料館に展示されていたミゼットを更に小型化した様な姿に展開すると、ゼロの形をあっさりと棄て、宇宙空間に勢いよく飛び出しました。

「…マジか、これで僕はいよいよ、国には帰れなくなりそうだな…。」

それもまた運命、とユアは諦めていました。両親や恋人を泣かせてまで出て来てしまった故郷に、帰れずとも当然だ—だからせめて自分はこの宇宙について、塵になるまで目一杯「知って」やるのだと、ユアは心に決めていたのです。

ゼロに突進してきたのは、あろうことか、一角獣でした。

宇宙空間に、その肢体は白く、角を金色に輝かせた一角獣が突如現れたのです。

「お前は、誰だ?」

まるでゼロの機能にも似た、脳に直接語りかけてくる声が、ユアの中に襲い掛かりました。全身を震わすようなその衝撃は、あまり長く会話を続けると精神を破綻させてしまいそうで、ユアは返す言葉のひとつひとつに注意深くなりながら、応えました。

「…僕は、とある星からばら星雲の調査に来た。侵略だとかそんなつもりは無い。ましてもうこんな状態だ、国には帰れなさそうだから、この星を見て、散るだけの命さ。」

一角獣は、確かに地を蹴る様にしながら宇宙空間を渡ってきます。そしてユアの脱出コックピットのすぐ傍まで来ると、まるでアメジストの様な深い紫色をした瞳を向け、じっとユアを見つめました。

「侵略では無い、と言ったな?まあ確かに、こんな乗り物じゃあ助けも呼べまい。」

そう言うと、一角獣はその角でツン、とコックピットをつつきました。途端にコックピットは、あのばら星雲の神殿に向かって、吸い込まれる様に動き始めたのです。

「もう国へは帰れまい、とも言っていたな―ならばお前は、あの神殿の捧げものとなるといい。」

ああ、僕はどうなるのだ—一角獣の言葉に半ば絶望しつつ、それでもユアは、この神秘に満ちた宇宙で繰り広げられる「何か」に、胸を弾ませている自らにも気づいておりました。

いつだって人間はロマンを抱えた生き物で、その為には時に犠牲だって厭わない—それは、ユア自身が孕んだ真実でもあったのです。

気づくとユアは、着ていたはずの宇宙服をすっかり脱ぎ去り、さらさらとした白い布を一枚纏ったままの姿で、寝心地のいい寝台の上に転がっていました。

その体には何かが塗られていました。香油というものの存在を授業で習った記憶があったユアは、おそらくはそういったものを自身に塗られたあとなのだと、まだうすぼんやりとした意識の中で考えました。

「お気づきになられまして?」と、うつくしい声がしました。誰がどう聞いたって「うつくしい」としか判断のつかない、そんな声です。その声の持ち主は、ユアとさして年端の変わらなそうな娘でした。白とも銀ともつかない色をした長い髪を揺らし、その髪でもって裸の乳房を隠したその姿は、ユアを動転させるには充分でした。

「…君は、」

彼女から目をそらす様にしながら問いかけたユアに、「巫女です」という短い答えが返ってきました。「…巫女?」「この神殿の、巫女です。」「…ならば、この神殿の主は?」「残念ながら、あなた様の肉体で視ることの叶う次元にはいらっしゃられないのです。」

ユアはその言葉に、なんとなくの理解をしました。次元が違う、というのは何の差別的な意味も持ちません。言葉のまま「次元が違う」のでしょう。三次元に生きているユアたち人類と違って、おそらくこの神殿の主は、四次元や五次元などが認知できる生命体にしか、視られない存在なのだと—ユアは理解し、ますますここが宇宙のさなかであることを納得したのです。

「じゃあ君やこの神殿や—あの一角獣はなぜ、僕にも視えるんだ?」「私やこの神殿は、あなた様の脳の一部に特殊な影響を与えることで視えている、触れる錯覚です。この神殿の主様が発する影響に、あなた様が侵されているのです。そしてあの一角獣は、この神殿の為の守護動物。やはり主様が創造された生き物です。」

錯覚—この、なまめかしい娘が?、ユアは自身が妙な興奮をおぼえたことに気付き、頬を赤くしました。しかし次第に、一角獣から告げられた、あの—「ならばお前は、あの神殿の捧げものとなるといい」という言葉を思い出し、恐怖に近い寒気を覚え、ついさっきの興奮を一気に冷ましました。

「僕は…この神殿の、いけにえになるのか?」

巫女は一瞬、おそらく何か塗っているのであろう、真っ赤な唇を少しだけ、なんともいえぬ形にゆがめました。それはもしかすると苦悩とか、憐れみの意味だったのかも知れません。

「正しくは『もう、なった』です。」

二人の声しか響かぬ部屋は、まるで石膏でできただだっ広い一室で、窓もなく、灯かりも無いのにやたらと明るく、まるで部屋そのものが発光している様でした。その中央に置かれた寝台に今は腰掛けているユアと、その傍に佇む巫女だけが、まるで世界にたった二人だけになってしまったみたいに、取り残されていたのです。

「…もう、なった?」

「人間は、肉体をもって交接をすることで子孫を残しますね?しかし、この神殿の主様においては、そういったものを必要とされません。

人の女体には、破瓜と呼ばれる時があります。処女で無くなることを、そう指したりもしますね。それはあくまで、肉体を持つ生き物であるから起こりうる変化です。主様のあられる世界には、肉体というものが存在しないのです。」

そう言うと、巫女はその背中を抱くように、ユアの肌に自らを添わせました。

「主様がお求めのものは、主様のお知りにならない世界が持つ、瑞々しさとか、鮮やかさといった—平たく言えば、あなたがた肉体を持つ生き物が命に宿した『経験』です。

肉体の無い世界には、命にも明確な終わりがありません。だから主様の世界は、いつだって残酷なほどの平穏しか無いのです。」

「…要するに、永遠のヒマ、ってことか?」

ふふふ、と巫女が笑います。その髪の揺れるくすぐったさは、こんな状況であってもどうしても、ユアの中にある情欲をかきたてるものでありました。

巫女はその気配をわかっているはずですが、なおも話を続けます。

「先程、あなた様が眠っておられる間に、主様は、あなた様の『経験』を—堪能なさいました。人間の交接における快感と、きっとよく似た幸せを…主様も、めいっぱい感じられたことでしょう。」

ユアは話を聞きながらそっと、巫女の体を寝台の上に転がしました。そうされることが分かっていたであろう巫女は、ユアをそのまま優しく抱きしめ、囁きます。

「ご存じですか?あなたがた人類のいにしえの時代から、巫女の役割には、こうして…言うならば神の力を、人に分け与えるつとめがあったこと。」

ああ、聖娼というやつか、なるほどーそう呟こうとしたユアの唇を、巫女の真っ赤な唇が塞ぎます。

そのまま二人は絡み合い、溶け合う様にして、ばら星雲の宇宙塵の中に消えていったのでした。

これが、ばら星雲といっかくじゅう座の秘密の物語。

一角獣は今も昔も、肉体を持たぬゆえに永遠の時を貞潔のまま過ごすばら星雲の神殿の主を、そうしてずっと護っているのです。

おしまい



ばら星雲についてなど、考察なんかがめちゃくちゃ甘いと思うので…フィクションであることをどうかどうか念頭に置いて、大目に見てやってくださいませ。

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