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何者かであろうとした私

先日「途方もない渇き」という記事の中で、

今、私はいったい、何がしたいのだろう。
私は今、何者になりたいのだろう。
音楽が好きで、書き物も好きで、そういう事で食べていきたいに決まっている。それはわかっている。わかっているけれども私は、まだ、この淀んだ気持ちの本質をわかっていない様な気がするのだ。
本当に私が欲しかったものは、何だろう?

…なんてことを書きなぐった私に、キャリアコンサルタント/飲食店コンサルタントのタルイタケシさんが、こんな記事を授けてくださった。

コンサルタントのお仕事をされている方に、名指しで「捧げます」と仰って頂いた上、そのお知恵を授けて頂いてしまった…幸甚です、ありがとうございます。

さて、タルイさんに教えて頂いたことの中で、何よりも私の心に激震を与えたのが、

あなたは何者にならなくてもいいのです。

というお言葉だった。

…この言葉を目にした時、私の中の現場猫が「えっ?何者にならなくてもいいんですか?」って言ったね。あの電話してる絵の感じで。

正直私には、タルイさんのお言葉はつい、耳が痛くなってしまう部分もあった。ライクワーク(=その仕事が好きで働くこと)で生きていくのが世の中の各所で言われているよりも難易度が高いこととか、「置かれた場所で咲く」ことの重要性とか。

けれどもふと「私は何故そんなに耳が痛いと感じるのか?」と、疑問を持ったのだ。

そういう中でたまたまキナリ読書フェスというイベントがあり、私はくまの子ウーフというシリーズの中から、ポプラ社さんが無料公開していた「ウーフは おしっこでできてるか??」を読んで、読書感想文を書くことにした。

そして出来上がった感想文がこれ ↓ なんだけれど、

私はウーフの言葉から、私が私を受け入れられずにいることに気付かされたのだ。

わかっているはずだった。それでも私は、どこかでそういう自分を赦せなかった。ドロップアウトした、理想に沿えなかった―そのことが苦しかった。落ちこぼれて、取り立てて何も無い自分を、どうしても認めたくなかった。そんな自分を無かったことにして、朗らかに日々を過ごしてみせたかった。—「傷の痛みを、感じてごらん。」より

高校受験までは順調に来て、周囲から「これからも高学歴まっしぐら」を期待されていたはずだった私は、そうなれなかった自分をどう納得させていったらいいのか、わからなかったのだと思う。

だからこそ、たとえ高校時代の同級生に見つかってしまっても「ドロップアウトしたはずなのに、すごい」と思われそうなことを成し遂げたかったんじゃあないだろうか…私は。

つまるところ、自己肯定感が思っている以上に低かったようだ。

タルイさんは、ライクワーカー(=その仕事が好きで働いている人)としてでも、ライフワーカー(=その仕事を使命として働いている人)としてでも、ライスワーカー(=生活の為に割り切る形で働いている人)としてでも、三者に共通した「仕事での楽しみを感じるポイント」があるのだから、それを感じて充足した毎日を送ればいい―その様な意味合いで何者でなくてもいいと仰っていた。

でもそのことについてだけでなく、「何者でなくてもいい」という言葉は、私にかなりグサっと刺さったのだ―ウーフを読んでからは、尚更。

ところで、そもそも私は何故、生活の為にしている今の仕事(=ライスワーク)を「したくない」のだろうか。

人から「すごい」と思われることをしたいから、は勿論だ。ただ、理由はそれだけでは無い。

私は一度、自分で自分をコントロールできないほどの病気を患った。メンタルの病気というのは本当におっかない。通常ならば絶対に陥らない様な思考にがんがん行きつく。

寛解という言葉があって、

寛解(remission)とは、一般に、病気の症状が一時的あるいは継続的に軽減、または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態をいう。ほぼ「治癒」に近い状態であるが、精神神経疾患の中には慢性疾患の要素を持つものもあり、症状消失後も一定期間の予防的な内服や経過観察を行うことがあるため、治癒とは言わず「寛解」と呼ぶことが多い。—Wikipediaより

更に、読んで字のごとく「完全寛解」という言葉もあるのだけれど、実際のところ、薬物療法による鬱病への完全寛解率は約50%とされているそうだ。つまり、劇的にしっかり良くなっていつ何時ももう安心☆…なんてことは、メンタルの病気に関してはすごーく言い難いことなんだと思う。(参考資料・うつ病は治りにくくなっている)

ちなみに私はお医者様に寛解を言い渡されたことは無い。お金がなくて治療を続けられなくなり、勝手に断薬した結果、おそらく寛解に近いであろう状態に至っただけのだ。危ないので真似しないでくださいねマジで。

だもんで、常に自分で自分にセーブをかけている。無理をするとまた、ぶっ飛んだ私になってしまう―それがわかっているから、怖いのだ。

以前やっていた学童の仕事は、たぶんライフワークに値するものだった。やりがいはあったし、自分の得意分野(音楽とか工作とか)も持ち出して働けた。退職のきっかけは労働環境の悪化だったけれど、ちょっと特殊な仕事をしている夫とのライフスタイルがうまく合わず、そろそろ家庭を大事にしておこうか、と思ったのも理由のひとつだ。

そうして学童を退職後、夫と同じ職場(夫とは業務内容は違うけれど、)に受け入れてもらえたのは本当にありがたかった。

ただ、今の仕事の中の業務のひとつ「集金」が…きつい。

ご家庭を一軒一軒回って月額の使用料を頂く、その仕事がいかんせん、しんどい。

スキル的には不向きではないと思う。一時期は販売士の資格を取ってアパレルの仕事にも就いていたし、接客自体は好きだったはずなのだ。

けれども集金というのは、いかんせん「客層」が、やってみるまでわからない。…なんてことを言ったらお客様に失礼なのは重々承知だけれど。

だもんで極端な例だけ挙げておく。ご指定の日に伺ったはずなのに文句を言われるわ、ご自分が明らかな居留守を使ったことを忘れ?て「来るのが遅い」と怒鳴られるわ、雨が降ろうが嵐が吹こうが台風が直撃しようが「毎月必ずこの日」に伺わないと怒られるわ…。

けれども一番しんどかったのは、五十代くらいの男性が二か月連続でブリーフ姿で応対してきた時だった。しかも玄関の高さ的に、男性の股間がしゃがんだ私の顏のちょうど前に来るのだ。

怒鳴られようが怒られようが殆どの場合は我慢している私だけれど、さすがにこの男性の件については、上司に伝えて、もう伺わなくてもいい形にしてもらった。

若い頃と違って、イヤだからという理由では簡単に退職したりはしない。だからこそ、集金業務の期間は自分のメンタルがどんどん削られていくのを自覚しながら、どうにか崩れてしまわぬよう、自分で自分の機嫌をようやく取っている。

高校の頃からストレスが溜まると顔面けいれんが起きたり、耳鳴りに苦しめられる。それはもれなく集金業務の期間中もだ。

健康だけは死守したい。二度と、鬱の症状で人に迷惑を掛ける人生を送りたくは無い(いろいろありすぎたので…)。

だから私は、本当は、もっと自分の健康を維持することのできる仕事をしたいのだと思う。

さて、タルイさんの記事を参考にさせて頂いた上で私は今後、どのように仕事と向き合っていけばいいだろうか。

とりあえず自分なりに見えてきたことを上げていくと、

・私にとっては、音楽活動=ライクワーク執筆活動(+子ども支援についての取り組み)=ライフワーク、なのではないか。

ライクワークとライフワークについては、目先の結果を求めるよりもまず、腰を据えて取り組んでいくことに重きを置く

ライスワークについては、より良いものを見つける努力をする。→完全に仕事を切り替えるという意味合いでは無く、健康に支障をきたさない程度に無理なくできる仕事を見つけ、そこで収入を増やし、集金区域を減らしてもお金の心配をしなくてもいい環境に変えてゆくのが理想。

…こんな感じだろうか。

そして、仕事関係なしにまずは自己肯定感を上げる努力をするというか、それこそ何者でもない自分を受け入れる努力をしたい、そう思う。

最後にタルイさん、素敵な記事をご執筆頂き、本当にありがとうございました。タルイさんの仰りたいことを曲解していたり、間違った解釈をしていたら本当に申し訳ありません。その際は遠慮なくご指摘頂けましたらば幸甚です。

タルイさんのお陰で、自分の「仕事」に対しての思いを再確認しただけでなく、何者かであろうとした自分についても深く考えることができました。重ねて感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。



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