何にもおびえずに「好き」だけで埋めつくしたい

この間、リサイクルショップでかわいいお洋服を見つけた。

PINK HOUSEというブランドのお洋服を着たいという欲が、この数年やたらと膨れ上がっていた。

(上記ツイートはロリータファッションモデルの青木美沙子さんの、PINK HOUSEをお召の際のご投稿。めちゃくちゃ同世代。)

なんというか 、PINK HOUSEって森茉莉的ファッションの系譜にある、と私は勝手に思っていて(あくまで私の個人的な考え)、ただし森茉莉はカーディガンにスカートというガーリーなファッションに下駄をつっかけていたそうなので、下駄は鼻緒で必ず怪我してしまう私には真似できないところもあるのだけれども。

どこかで読んだ記憶があるのだ、森茉莉はおばあさんになってもそのガーリーなファッションを貫いていたと。

たまに、森茉莉的おばあさんをお見かけする。花の刺繍なんかが施されているカーディガンに、チェックや花柄のスカートを合わせ、ブラウスの襟元にはレースが飾られていたりする、そんな小柄なおばあさん。私は街のところどころでそういうおばあさんをお見かけしては、ほう、っと憧れてしまう。

毒々しい色のお洋服をこれでもか!と売っている、マダムのブティックも愛おしいのだけれど、自分はやっぱり、今なら高円寺の古着屋でヴィンテージものとして売られていそうな、そんな上品なカーディガンをお召のおばあさんが理想なのだ。

そういうおばあさんってきっと、PINK HOUSEを見て「なんてかわいいの!」と目を輝かせてくれそうな気がする。

子どもの頃、うちの母はショッキングピンク以外のピンク色を嫌い、けして私に着せようとしなかった。けれどもゴシックロリータは良しとしている人で、つまるところ、彼女はきっと黒を愛していた。

私は、小学校の入学式という晴れ舞台ですら、真っ黒な別珍の上下で迎えた。ノースリーブのワンピースの上に、シンプルなボレロを羽織ったその姿は、デザインとしては洒落ていたとも思うし、何より仕立ててもらったものだからそれなりのお値段もしたろう。けれどもとにかく、小学校の入学式には地味でしか無かった。

本当はピンクのフリフリに憧れていた幼い私だったから、子どもの頃にメゾピアノなんて見つけてしまっていたらもう、虜になって仕方なかったに違いない。

(ゴシックロリータは私も好きだけどもね!)

大学に入ってやっと一人暮らしを始めて、古着屋に通って少しずつ、好きな服を集めた。そうして全身ピンクにしたりもした。実家にいたら絶対に「おかしい」とか「チンドン屋」とか蔑まれる格好だったと思う。けれどもとにかく幸せだったし、妙に安心して街を歩けた。

思い返せば、母にはとにかくいろいろ蔑まれた。褒めてくれたこともたくさんあったけれど、それ以上に「ママには考えられない!気持ち悪ーい!」なんて言って、私のしたことを批判されたこともだいぶあった。

そういうことを心に、まるで汚れた雪みたいに積もらしていって、それで心がまっとうにはたらくわけが無い。

私の心が未だに健やかとは言えないのは、そういう経緯があったのだから仕方がないことなのだ—そう割り切ってしまえば、自分との折り合いはそれなりにつく。

だからこそこれからは、自分の中に居座る母の影におびえずに、ちゃんと「好き」なものを集めたい。

今でもしょっちゅう、三日に一度くらいは母の夢を見る。

こないだ、不倫をした母を罵っている夢を見た。現実には、家庭のある人と泊りがけで出かけた先で、「ただ泊っただけ」と言い張りながらラブホを利用していた母を、あんなに厳しく罵ったことは無い。

夢の中、私はきっと、現実にはできなかった、けれども本当は母にぶつけたかった、そんな怒りを燃やしたのだ。

でもせめて現実においても、自分の「好き」なもので身の周りを埋めつくすことくらいは、自分自身のためにきちんと叶えてやりたい—そう思う。

今日はスーパーにしか行かなかったのだけれど、件のツーピースの中に、PINK HOUSEのブラウスを着て過ごした。

すべてが丁寧に裁縫された日本製のこのツーピースは、春を思わす花たちが、くすんだピンク色の上にプリントされていて、とてもかわいい。

自分の「好き」なものに囲まれて、自分の人生を歩みたい。

自分の幸せは自分の手で、猫にするみたいに優しく撫でていてあげたいのだ。

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