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pudding flavored lucid dream

夢を見た。
それが夢であると、私はちゃんと気づいていた。
明晰夢ってやつなのだろうけれど、私はその夢を思い通りに操縦しようとは思わなかった。ただ、夢にどっぷりと浸かることを望んだ。
まるで夢を、現実のできごとのように味わいたかったのだ。

私は、車の助手席に座っていた。
長い道を、車は軽快に駆けているところだった。アメリカとかにありそうな広大な土地を、まっすぐに走る道路だった。
乾いた土地ではあったが、ところどころに濃い緑が植わっている。空はごく青く、道の伸びる先にまるでそこが目的地みたいに、大きな大きな白い雲がもくもくとしていた。夏の入道雲だ。とはいえ馬鹿みたいな暑さは感じない。車が走って空気を裂いて生まれた風が、涼しく私の頬をかすめていく。

サイドの窓の開いたこの小さな車は、赤いクラシックなミニクーパーだと判った。シティーハンターかよ、と笑いたくなる。
その運転席にいたのは—忘れもしない、懐かしい人だった。
「ユウダイ、どこに行くの?」
私の声に、少し長い前髪が揺れた。わずかにこちらに視線を向けたユウダイは、遠い昔、同じ職場で時を過ごしたはずの存在だった。
もう、随分と長いこと会っていない、なんなら今どこにいるかすらわからない、そんな人が私を乗せて走っている。さすが夢、といったところだ。
「どこに行こうかな、」
そう、ユウダイはちょっと楽しそうに答えた。そういえばいつもこんな調子で、どこか本音の見えない人だった気がする。纏っている着古した感じのTシャツすら、あの当時のままな気がした。そもそも年齢もあの頃のそれだ、ああ、私ももしかすると、この夢の中で若返っているのだろうか。

街の、こじゃれた古着屋なんかで服を買うような人では無かった。
おしゃれに気を遣わないわけではないが、お金を掛けるつもりもない人だった。だからいつ買ったのかわからないようなTシャツを、いつまでも着ているのだ。
しかしそれでも彼について、野暮ったいとか、洗練されていないとか、そんなマイナスな印象は受けなかった。
その理由はきっと彼の容姿にあった。
売り出し中の俳優とかアイドルみたいなたぐいまれさではない。けれどもたとえば、中学校の一つ上の学年にいたら、後輩たちに持て囃されそうな雰囲気。そんな、いわば気負わない美を備えた人だったのだ、ユウダイは。

カーラジオから、とぎれとぎれになりつつ音楽が聴こえている。シティーポップなのかもしれない、でも確実にこれと断言できるほど滑らかには聴こえてこない。
とはいえ車体から伝わる振動すら、私にはきちんと感じられた。鮮明な夢だこと—私は人体の、主に脳の不思議を想った。
夢は、記憶の整理の為のものとか言われたりする。けれどもはっきりとした結論は出ていないらしい。
一説にはパラレルワールドを垣間見ているのだ、とも言われている。
ならば、この夢は—ユウダイと私が、離れてしまわなかった世界線を見せてくれているのだろうか。
「夢ならば覚めないで」なんていう可愛らしい台詞を吐けるほど、私は可愛らしくなくなっていた。酸いも甘いも、人並みには噛み分けてきたのだ。本来の肉体は中年太りに拍車がかかっていたし、けれども無理にダイエットをするほどの必要性も感じられない日々を、私は淡々と送っていたはずだった。
なのに今、隣りに、ユウダイがいる。ユウダイが、愛らしいミニクーパーで、私とどこかへ向かっているのだ。

時折、夾竹桃らしき鮮やかな花を咲かせた木が風に揺れていた。
割とどこにでもよく植わっている花なのに、あれには強い毒があるらしい。
遠目には八重桜みたいにも見えるピンク色はけして、ショッキングピンクほど毒々しくはない。
そういえば昔、夾竹桃を御守りにと取り寄せる女性の物語を、文庫本になった小説で読んだことがあった。
夾竹桃があれば、いざとなれば、その毒で—みたいなことが、悲痛に満ちた文章の中に書かれていた記憶がある。
そんな夾竹桃から離れようとするみたいに、ミニクーパーはぐん、と加速した。
ああ、そういえばあの小説を読んでいた頃はまだ、私の生活の中には、ユウダイの存在があったのだっけ—。
もうとっくに古本店に売りに出してしまったあの文庫本は、なんというタイトルだったっけな。

「ゆりこは、あのプリンがまだどこかに売られてるかどうか、知ってる?」

ふと、ユウダイがそんな質問を口にした。
プリン、と聞いてすぐにそれを思い出した私は「ああ、そういえばもう随分、スーパーでもどこでもぜんぜん見かけていない気がする」と、やや独り言ちがちに答えた。
「カップに入っててさ、底にはカラメルが溜まってて、上にはホイップクリームがちょこっと乗っかってた。ひとつ百円くらい?
よく、ゆりこの家に遊びに行くと買っておいてくれていたよね。」
ユウダイはほほ笑みながらそう言った。昔のままの姿をしたユウダイだけれど、話題にしているのは明らかなる過去のこと。ああ、やはりこれは夢なのだ—記憶を、私は夢の中で整理しているところなのか。

ユウダイが、私の借りていたマンションの部屋に遊びに来て何回目かのこと。
テーブルの上には空になったプリンのカップが、そのままになっていた。実家から持ってきた、ガチ昭和の遺物のレトロポップな花柄をした折り畳みテーブルは、そのノスタルジックさこそが、当時の私の心を射抜いたお気に入りだったのだ。
灰皿が無いからか遠慮してなのか、どうせ吸わないつもりであるはずの緑のマールボロが、銀色の折り畳み型の携帯電話と一緒に並べられて、プリンのカップの横に居場所を見出している。
そんな、どうでもいい風景を、何故だか今はやたらと鮮明に思い出せるのだ。
私はそこで、ユウダイとキスをした。
プリンの味、がしたかといえば、そんなことは無かった。
けれども私にとっては、ファーストキスはプリンの味なのだと記憶された。

ユウダイと離れることを決めてからは、買い物に行ってもプリン売り場だけは避けて生活していたのだっけ。

いつしか世の中は、もうちょっとお高い、なんなら硝子瓶にでも詰められた洒落たプリンなんかを求めるようになって、私の思い出の中のあのプリンも、きっと淘汰されてしまったのだろう。
そうして世界からあのプリンは消えてしまって、私の心の中も等しく、ユウダイを思い出しては痛んでいた傷が、だんだんと薄くなって瘡蓋も剥がれ、よく見ないとわからない痕になっていったのだ。

「もし、あのプリンがまだ売られていたら、食べたい?」
ユウダイが、まっすぐ前を向いて運転を続けながら、そう問いかける。
「…そうだね、今の私なら、たとえ思い出すと涙が出ようとも、それをちゃんと味わってみたいかもしれない。」
嘘ではなかった。
ただ、きっと口にするまでは躊躇いに近いどきどき感が止まらないだろうことを私は知っていて、それでも私は、ユウダイにそう答えたのだ。

不思議だ。ただ車に揺られているだけなのに、私は次々とそれは鮮やかに、あの頃の、ユウダイとの日々を思い出している。

当時はまだカルチャーの中心にあった、CDやDVDのレンタルをしている大型店のスタッフとして、私とユウダイは知り合った。
田舎である地元にいるのがどうしても窮屈で、高校を卒業したらいろんな理由をつけて都会に出てくる若者の中に、私もいた。
我儘を言って親に借りさせたマンションは、我儘代には相応しく、けしていいものでは無かった。オートロックなんて贅沢品はついていない。家具を置いてしまえばそのワンルームは、実家の自分の六畳間なんかよりよっぽど狭い代物だった。

マンションからほんの少し歩く場所に、そのレンタル屋があった。
手っ取り早いからそこでアルバイトを始めただけの私に、教育係としてついたのがユウダイだった。
年齢を訊いて、正直少しひいた。見た目には私の数個上にしか見えない彼は、小学一年と六年の関係性よりも更に、私との年齢差のある人だった。
実際、歳より若く見えるユウダイのその雰囲気のせいか、例えば勤務歴の長い女性スタッフたちは—たとえ彼女らがユウダイより年下であっても、どこかユウダイを、よく言えば可愛がっているような、悪く言えば、ちょっと格下に見ているような…そんな節があった。

けして仕事ができない人ではなく、むしろ淡々と着実に平和的に仕事をこなしてしまえるユウダイはきっと、何をしてもいい意味で無難で、こういう店のスタッフとしては優秀者であったに違いない。

ああ、そうだ—ユウダイは自分が年上だからと言って、おごり高ぶるようなきらいもけっして無い人であった。
だからこそ、たかだかバイトとはいえ昇進みたいなシステムもあったとて、そういったものとはやや離れたところに置かれていて、本人もそれを良しとしていたくらいだった。
そういうところが、皆がなんとなく、ユウダイという人を正しく理解していなかった理由なのかもしれない。

私は、とても不器用だった。手先が、というより、仕事のさばき方が、だ。
だから何度も、仕事中に心が躓いた。私には向いてないな、辞めなきゃなもう、と幾度となく考えた。
それを毎回阻止してくれるのが、ユウダイの言う根拠のない「大丈夫だよ」という言葉だった。
「大丈夫、大したミスじゃないよ」とごく軽く励ましてくれるユウダイは、職場の皆がどこか小馬鹿にするユウダイのイメージとは、どうしてかかけ離れていたのだ。
彼には妹がいるとか言っていた覚えがあるから、それも理由のひとつなのだろうか。
少なくとも私にとっては、ユウダイはその職場でのロールモデルみたいな存在だった。
つまりは、憧れの人であったのだ。

「私はあの頃、ユウダイがどこへ向かおうとしているか、知っていた。」

心の中に留めておこうかと思った言葉たちは、あっけなく私の唇からこぼれていった。
ユウダイが、運転しながらちらりとこちらを見たのがわかった。まだ、車は走り続けている。長い長い道は途絶えず、けれども空は少しだけ、夕暮れに向かい色味を変えていっている気がする。
本当に遠く、空に、鳶らしき鳥が舞っているのが見えた。翼というものはいいな、あんな遠くまで行けるのか―なんて随分物悲しい考えが、私の心の中に一瞬、浮かんで消えた。

「私がユウダイに求めていた、でろんでろんに甘くって、私だけを見ていて欲しいなんていう愛情はきっと、ユウダイの生き方を邪魔するだけだった。
ユウダイは別に、仕事なんていつ辞めたっていい人だったし、自分ひとりちゃんと生かしていけるお金さえあれば、自由に暮らしていきたい人なんだって、私は、ちゃんとわかっていたよ。」

カーラジオが、ざあざあと鳴きながらも懐かしいラブソングを流し始める。
今でもCMなんかでしつこく使われ続ける、平成の大ヒットソングだ。
けれどもこれが売れた時代というのは、だいたい90何年とかの頃で、確か、社会を震撼させた事件も多く起きていたらしい。
にしては随分と希望を匂わせるラブソングで—そういえばこの曲、ユウダイも好きだって言っていた気がするな。

「だから私は、自分の気持ちの重さを憎悪した。
その内に具合が悪くなっていって、神経内科に行ったらメニエール病って言われて、それもなんか違う気がするなって精神科に行ってみたらビンゴだったから、もう、ユウダイから離れなくちゃって思ったんだ。」
それこそ本当に、夾竹桃を手に入れようかと花屋めぐりをしたこともあった。
手首にカッターナイフで薄くひいた傷は、私に「死ぬ気なんて無いくせに」と嘲笑する程度の、ふんわりとした出血を見せた。
敢えて逃げ場を無くそうと決意し、私は思い切ってユウダイに会って、言った—「死にたい」と。
そういう言葉をユウダイが何よりも嫌っていることを、私は知っていたからだ。

仕事はいわゆるブッチをした。最低な私に相応しい辞め方だと思った。
最後に会った日、別れ際にユウダイは「ゆりこ、またね」とほほ笑んだ。
とても寂しい笑顔だった。
私が死ぬなんてことはきっと、信じていなかったに違いない。
彼はただ、目をかけて可愛がっていた少女が、こんなに醜く壊れていったことを嘆いていたのだろうと思う。
私は携帯電話のアドレスを、ユウダイのものだけに限らずすべて消してしまった。実家だったりは番号を覚えてしまっているから、特段の不便は無かった。
親にマンションを引き払わせ、あっけなく実家に戻る。その虚しさといったらなかった。
どうせこのまま細々と生き延びて、また時が経てば恋をし、誰かとキスをし、脚を広げることを私は望むはずだ。
そんな自分の未来が見えていたからこそ、私はしばらくの間はやはり、情けない程度の傷を手首に創り続けた。
それも時と共に、大して見えない傷痕となって、私を、まるで何事もなかったみたいにして、いたって普通の日々の中に帰していったのだ。

「でもさ、ゆりこ。」

空が、いい加減に夕焼けの橙に染まったなと実感した頃。
ユウダイはおもむろに車を停めた。エンジンはかかったまま、その場に停車させたのだ。
カーラジオからはまだ、件のあのラブソングが流れていた。車が停まっているせいだろうか、雑音もさして無く、随分ときれいな状態で曲が聴こえてくる。

「俺は、ゆりこに言ったはずだよ。またね、って。」

ユウダイがしっかりと、私の方にまなざしを向けた。
懐かしい、あの、直視するのが照れてしまうような、穏やかで優しい眼だ。
うざくなってきたら切る程度の黒髪と、頬に少しだけあるぼこぼこしたにきび痕。そして、日に焼けるとすぐ赤くなりそうな、意外と白い肌。
夜になると伸びてじょりじょりして可愛い髭、あまり気にせずたまに傷んでいる唇。
ああ、ユウダイだ。
ずっと、見ないようにして心の奥底に閉じ込めてきたユウダイがここにいる。

「約束、守る気があったんだね?」
こんな私なのに、と続けようとしたものの、私は、少しはかわいげを見せようと考え直し、そこだけ飲み込んでおくことにした。

「俺は、ゆりこは死んだりしないって信じていたから。」
「かまってちゃんみたいなことしか私、しなかったもんね?」
「ううん、そうじゃなくて—ゆりこはきっと、またいつか、俺に会いたいって思ってくれるに違いないって…俺は、信じていたから。」

ユウダイの手が、私の頬に触れる。
そこには確かにあたたかな感触があって、私は、これが夢だということを一瞬、完全に忘れてしまいそうになった。
…いいや、これは本当に、夢?記憶の整理?脳のはたらき…?
それとも、パラレルワールド?
にしてはどうしてユウダイも、「昔」と「今」の話をしているのだろうか…?

「…このまま車を走らせたら、プリンが売ってるお店、見つけられないかな?」
私の振り絞った声はかすれていて、私は、泣きたいような笑いたいようなくすぐったい感覚に置かれた自分を、どうしようもなく愛おしく感じた。
あの時だって私は、もっと素直になっても良かったのかもしれない。
無理に離れようなんて、しなくても良かったのかもしれない。

「じゃあ、このまま行ってみようか。」
ユウダイが、ふたたび前を向いてハンドルを握る。
ミニクーパーはそうして、二人を乗せたまま、更に果てなく続く長い道を走り出した。
この夢はいったい、いつになったら終焉を迎えるのだろう。
でも、今の私なら躊躇いなく言える。
「どうか、まだ覚めないで。」
せめてもう一度二人で、あの懐かしいプリンを口にするまでは。


おしまい


🍮

この曲を聴いていてふと降りてきた物語でした。

中学の頃に、歌詞の意味も深く考えずによく聴いていた曲です。

作中の「夾竹桃の小説」は実在していて、確かこの作品集に収録されていた物語のひとつだったような。

久しぶりに物語を書きたい気持ちになれたので、書き終えられて満足です。お付き合いいただきありがとうございました⛄



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忘れられない恋物語

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