Planet Guintoli and Earth
2040年代になると、人間たちは所謂「老い」から解放されていた。
不老不死の技術までには行きついていないものの、とりあえずは「老い」をどうにかする技術を得、見た目には実年齢がわからない人間ばかりとなり、おかげで出生率などもそこそこの水準を維持できていた。
その肉体が治療法のない病気に蝕まれたり、あまりにも深い傷を負ったりすることで、どうしても死からは逃れられずに在る人間たちだった。それでも「老い」から解放された人間たちは、想像以上の安堵を得たものだ。
だが、一時は落ち着いたはずのルッキズムも再び台頭したりと、世の中はやや混沌とした。美容整形の技術は当然、ものすごく発達したし、案外低価格で受けられる施術も増えたものだから、人における自然美といったたぐいは、まるで死語みたいな存在になった。
地球から離れて宇宙空間で暮らそうなんて考えは、きっと、環境汚染なんかでどうにもならなくなった際の逃げ道として発展するのだと、だいたいの人間が考えていたと思う。
しかし実際には、おおよそ2050年代に「もっと自然な生き物としての生活がしたい」という、昔のヒッピーの進化系みたいな人たちによって、宇宙開発が進められたのだ。
その歴史については、出自が「どんなに安価な整形手術すら受けられないほどの貧困」にあった、ジョナサン・V・ギュントーリという青年実業家のことから語らねばなるまい。
たゆまぬ努力によって、世界一とも呼ばれる資産を得たギュントーリは、むやみやたらに体を改造し、年老いることまでもを否定する人間たちに嫌悪感を抱いたのだ。
仮に劣等感を抱くような要素は、ギュントーリの容姿のどこにも見当たらなかったと誰もが答えた。沈没船をテーマにした映画の主演をしたという、大昔の俳優に似ているとも言われる青年だった。
そんなギュントーリから見える世の中は、手を加えたことで自らの求める美に行きついた—もしくは「まだ足りない」と足掻き続ける人間たちに溢れていた。
「どうせあなただって、お金を得てから顏に施術したんでしょう?」
ギュントーリが初めて愛した女性は、お酒に酔った夜、彼にそんな軽口を叩いたらしい。
その翌日だったと言われているのだ、ギュントーリが「宇宙移民計画」に本格的に取り組み始めたのは。
月よりも小さな人工の惑星を、人間たちはようやっと宇宙に浮かべて、そこに住環境を整えるほどのことを成し遂げてしまった。
その一歩はとても大きく、二歩目三歩目などは案外すぐに踏み出されたものだ。
第一の惑星は、もちろん彼にちなんで「ギュントーリ」と名付けられた。
「ギュントーリ」に住まう人々は、大昔の人間たちが当たり前に受け入れていた「老い」を、改めてその身に受容しようという考えの者「だけ」に限定された。
ギュントーリはもちろんのこと、彼と同じく「もっと自然な生き物としての生活がしたい」という欲求に正直になった人々が、多少の不便は覚悟の上で地球に別れを告げたのだ。
その頃にはギュントーリは、既に老人になっていた。
惑星「ギュントーリ」に移住してまもなく、人々の指導者ギュントーリは、老衰と判断して順当な死因でこの世を去った。
彼を支持し、中には共に宇宙開発に尽力した者もあった、惑星「ギュントーリ」の人々はもちろん悲しみに暮れたが—これもまた、命の儚い美しさであると、その尊さに皆、心を震わしたものだ。
2150年代に入ると、「ギュントーリ」だったりの人口惑星の人々と、地球の人々との往来はほとんどなくなっていた、
どうせわかりあえない関係性なのだ、と、地球と行き来できる空港窓口はとっくに閉鎖されていたし、どうしても出かけなければならない際には、いにしえのパスポートよりもずっとずっと取得が難しい、そういった旅券を得なくてはならなかったほどだった。
しかし、地球側の違法船が見受けられるようになり、人口惑星連盟の傘下の星々は、地球への抗議を目的とした本当に久しすぎる公式訪問を、地球を統治する政府組織に表明したのだ。
「ギュントーリ」からは、あのギュントーリ老人の血筋にあるレイが選ばれた。
昔の言葉で表すなら「黄色人種」の容姿を持つ、肉体の性別は女性とされるレイだったけれど、その私生活はあまり見えてこなかった為、「ギュントーリ」の人々からは「彼」とも「彼女」とも呼ばれている存在だった。
そのレイの秘書として、やはり中性的な雰囲気を持つフックが同伴することとなった。フックのことも、あまり詳しい情報は知られていない。
ただ、二人が「ギュントーリ」の政治の為に尽力し、人々から敬愛されていることは確かなのだった。
「ギュントーリ」は、どこの人口惑星よりも「進んでいる」と評されていた。
太古の地球が得ようとしていた「多様性」という概念を、おそらくは「ギュントーリ」こそがどこよりもしっかりと根付かせ、きちんと繁栄させているのだと言われていた。
同性婚は当たり前に認められていたし、亭主関白なんて言葉はたとえば、放送禁止レベルの差別用語的な扱いにあった。
だからこそ—レイは、正直なところ、地球に降り立つのが「怖かった」のだ。
「ねえフック、地球ってどんな野蛮なところなんだろう。」
二人は、政府関係者のみの暮らす居住地区で同棲していた。
隠すことでもなかったが、恋愛関係にあることを敢えて公表する必要性もないとして、ひっそりとした交際を続けていたのだ。
「わからないけれど、良識のある会話はできないかも知れない。
違法船が来る理由だって、一説には『見世物小屋見たさの観光』とか言われているし。」
フックは、レイの中の美意識が百点満点を告げる存在だった。
きつく抱くとまるで桜貝みたいに、白い肌が淡く染まるところが、レイをとにかく虜にしていた。
そんなフックの容姿を、好きではないと評す者もいるに違いない。
それもまた良しとし、とはいえ敢えて「容姿の批判」に繋げない—というのが、この「ギュントーリ」の小学校で道徳の時間に習う事柄だった。
か細く、折れてしまいそうなフックの肢体を、レイはまるで幼児が不安に駆られてぬいぐるみを抱くみたいにした。フックはその仕草を可愛らしいとでも言いたげに、優しくほほ笑んで見せる。
「大丈夫、取って食われたりはしないよ。
今や地球の人口なんて、昔の大国一つ分ほどしかいないんだ。
僕らをせん滅させるほどの力も持ち合わせちゃいないよ。」
フックにそう返され、穏やかなキスを受けても、それでもレイは地球を恐れる心が加速するばかりだった。
—お願いだから、平和に暮らしている私たちを侵略しないで。
ただそれだけを、地球人に伝えたかったのだ。
86の人口惑星から、各惑星二人程度の代表者がそれぞれ集まり、「ギュントーリ」の用意した巨大船に乗って彼ら使節団は、長らく交流の途絶えていた地球に向かった。
地球の、大昔で言えばアメリカ政府のあった辺りに地球政府議会議事堂が存在する。
一番近くの空港に船は降り立ったが、空港の面積が着陸に足りないのではないかと不安視されるようなトラブルもあった。
ぎりぎりの面積に着陸した船の中、ただそれだけでもう、レイたち使節団は戦々恐々とさせられた。
それに—空港にいた職員たちを見るなり、使節団の面々の中には「ひっ」と短い悲鳴を上げた者もあったのだ。
「…ねえフック、私、あの人たちの顏、どこかで見た気がする。」
レイは誰にも聞こえぬよう、そっとフックに耳打ちした。
「…レイもそう思った?あれだよ、指導者ギュントーリの本にあった、グレイタイプっていう…。」
フックの返答に、レイははっとさせられた。
地球の人々は—大昔の地球の人々が「見た」と噂したとされる、当時の彼らの中にあった「宇宙人」の容貌に、なぜかよく似ていたのだ。
顎が小さく、目はやたらと大きく…そして皆が皆、同じ顔をしている。
「地球人は養殖でもしているの?」、使節団の誰かが皮肉を込めてそう言ったのが聞こえたとて、レイはそれを冗談と思う余裕すら持てなかった。
地球政府の大統領は、見た目で言えば15、6歳の少年に見えた。
「ギュントーリ」の暦のあり方は多少違ったが、地球の365日を一年とすることで換算すれば、25歳であったレイよりもずっとずっと、地球大統領は若く見える。
「これでも、もう100年は生きているんですよ。細かい年齢はナイショ。」
大統領はそう言って笑った。侍らせているのは、レトロなメイド服を着せた同じ年ごろ—に見える、異様なほど胸の大きな少女を数人。彼女らもまた、100歳を超えているのだろうか。
「何故、違法船を容認するんです?我々と地球はずっと、余計な関わり合いを持たないことで、友好関係を維持してきたではありませんか。」
こういった核心は、「ギュントーリ」のレイが発言すべきだという空気があった。それを拒否しても良かったが、どうしても指導者ギュントーリの血が自らの中で疼くことを、レイ自身も否定できなかったのだ。
「私たちは、ただ放っておいて欲しいのです。」
使節団の中から「そうだ!」という声が上がる。その様子を、地球大統領は舐めるようないやらしい視線をもって見つめていた。
「…どうしてあなたがたは、結局、美しいんだろうね。」
ふと、地球大統領はそう口にした。
「たとえばあなた、」と、大統領が指さした先にはフックがいた。フックは一瞬、凍り付いたような表情を見せたものの、自分以上にその顔をこわばらせているレイに気づき、眉間にぐっと力を込めると、そのまま大統領を睨みつけた。
そのさまを大統領は、やけに真面目な雰囲気で、瞳の、狂気じみたほど大きな目をぐりぐりとさせ、見つめている。
「…ああ、美しい。
あなたはね、昔の地球人が求めた『美』のモデルと言ったっていい存在だ。
あなたみたいな人が、よく美形として崇められたものだよ。
…否、惑星『ギュントーリ』代表殿、あなただってそうだ。
アジアン・ビューティーなんて死語があってね、あなたはそんな感じの美人として、昔の地球では人気があったはずだ。」
大統領の思わぬ言葉に、レイとフックはあっけに取られた。
確かに二人は、互いの容姿に惹かれていたし、きれいだな、かわいいな―と愛でていた。
しかしどうして、この人工的な肉体で暮らす地球人に、今この場所で、その容姿を褒められるのだ…?
「もう、わかんなくなっちゃったんだよ、我々は。」
地球大統領は、そう言うと深くため息を吐いた。
「一時は、メタバースなんつって仮想世界をネット上に創って、そこでアバターを使って生活しようなんて考えもあったんだ。
けど、現実世界もそれに追いついちゃって、見た目を自由に変えられる時代が来ちゃったらさ、地球人は皆、美意識がバグってしまった。」
大統領の背後に広がっていた真っ白な壁に、いきなり幾つもの画像—「地球人」である人々だろう顔写真たちが投影される。
その画像はスライドショー化されていて、画像一つ一つに「20XX」などと、それぞれ西暦が表示されているのが判った。
「わかるかい?時を追うごとに、我々は—顎が小さくなって、でも目は大きくなって…顎はさ、食物が簡易化されて噛む力が弱まったからとか言われている。
目はさ、なぜだか大きい方がいいという神話が崩れなくってね、美容整形の医者が競うように切り開いていったら、遺伝子に組み込まれちゃったのかな…いつしか、異様に目の大きな赤ん坊ばかり生まれてくるようになった。」
「…それはわかりましたが、大統領、この画像を見ていると…所謂『大人』が全然いないじゃないですか?」
レイが、筆舌に尽くしがたい恐ろしさに心臓をばくばくさせながら投げかける。
大統領は「うん、」と頷くと、レイの隣に立っていた、よその惑星の老人を一瞬見—感慨深そうな表情を浮かべ、言った。
「惑星『ギュントーリ』代表、たとえばロリコンなんて言葉は知っているかい?」
「…え、ええ。」
とはいえそれは、けして表立ったところで露わにすべきではない性癖を指す言葉であったはずだ。
「まだ、あなたの先祖であるギュントーリ氏がご存命だった頃からの話だ。
地球の一部では、この『ロリコン』が異様に力を持つようになった。
人目を忍ぶ思いではなく、白昼堂々と公言してもいいだろう!みたいな輩が増えてしまったんだよ。
それを、恥ずべきことに我々地球人は、野放しにしてきてしまった。
その結果、我々は…永遠に青少年の姿を取ることでしか、市民権を得られなくなってしまったんだ。
だから僕は、君たちが羨ましかった。
どうしてかうまくやれている君たちの文化を、秘密裏に調査してくる様…違法船で調査団を飛ばしていた正体は、この僕なんだよ。」
「地球では小児性愛者が社会問題化し、幼児への誘拐や強姦だけにとどまらず、産院から乳児が盗まれることさえも多発しました。
その救済策として、生まれた途端に乳児を施設に入れたりもしたのです。
すると今度は、施設職員が性的虐待を犯す。
ならばいっそと、すべてを人工的に—受精から何もかも、母体の代わりには培養液を用意して、そうして子供を増やしたところで、今度はそこの研究員が、目を盗んで…。」
メイドの一人だと思われていた少女が、大統領の隣で悲惨な歴史を語り始める。
「その影響は勿論、大人にも派生しました。
子供を作らないのだから、妊娠目的の性行為だって必要ない—みたいな空気が生まれてしまったせいで、今度は大人の強姦被害が急増したのです。
性行為はもはや、好いた者同士が慈しみあってするものでは無くなりました。
恋愛という概念も廃れて—だって、子供は研究所で勝手に育まれるものだからと、結婚をする者も激減したんですもの。
欲がわけば手近な者を犯せばいい、みたいな崩れ方を皆がしていきました。」
このメイドが、恐らくは政府の要人であることをレイは察していた。
今こうして地球の歴史を語っている彼女でないメイド達も、何かしらの要職に就いている者なのだろう。
地球はそうして、崩壊に向かう一方だった。
そんな中でふいに、ギュントーリの著書をすべて読んだという者が政界に現れ、その知識をもって地球を救おうと立ち上がったのだ。
「その方こそが、現・地球大統領閣下です。」
メイドがうやうやしく大統領へ首を垂れる。
「とはいえ僕だって、滅びたくない地球人どもが『とりあえず』で奉ってみた存在に過ぎないさ。
その内、僕のやり方に意見して僕を暗殺しようなんて者も、出てきたっておかしくは無い。」
大統領は、手元のタブレットをすいすいと操作し、恍惚の表情でその画面を—恐らくは電子書籍の頁を見つめる。
「ギュントーリ氏は、なんといっても人間味があるのがいい。
彼の言動はけして、昔の言葉でいうところの、侮蔑的な意味合いでの『ポリコレ』なんちゃらってやつじゃあ無い。
自分ももしかしたら、多くの地球人と同じく、『老い』に抗う存在になったかもしれない—なんて正直に言ってしまえる、そういう人なんだよギュントーリは。
そういうところに僕は深く感銘を受けたんだ。」
ギュントーリ—私の、ルーツである人。
レイは、その名前の響きを噛みしめていた。そして、目の前のこの、どうにも得体の知れぬ地球大統領が、そのギュントーリを敬愛していることを、喜びたいような薄気味悪いような、奇妙な心地を抱いてぞわぞわしていた。
「僕は、自分の容姿に耐え切れないなら整形なんぞしたっていいと思っている。
それで自らの心を救えるのなら、それでいいじゃないか。
だから、幼少期にロリコンに犯され、ぺたんこだった胸にさんざんいろいろやられたっていうこの子たちが、その反動でここまでの豊胸手術にたどり着いたことも、そりゃそうだよねっていう気持ちしか無い。」
そう言って大統領は、メイド服の少女達に視線を向ける。
レイは—言葉を失っていた。
そうか、私は、何もかも「そのまま」であることが当たり前の世界にしか、生きてこなかったんだ—…。
愕然としているレイを、その隣りでフックが心配そうに見つめていたものの、レイのみならず恐らくはその場に居た使節団のすべての面々が、きっと今、大統領の言葉に衝撃を受けていたことだろう。
「結局さ、君たちはたまたまうまくいった。
でも、もしもどうしても自らの容姿を赦せない者が出てきたなら、君たちがいったいどうするのかというのも—僕はね、あの違法船を使って、調べてみたかったんだ。」
余談ではあるが、その後レイは惑星「ギュントーリ」の大統領となり、その右腕として—人生の最期の日まで、フックが寄り添い続けたのだった。
地球はといえば、あの大統領が要人であった女性たちと一夫多妻の関係にあった—なんてゴシップもばら撒かれていたものの、その何人かからは大統領の血を引く子供も生まれたとのことで、それがきっかけで地球に久方ぶりの「研究所を通さない」ベビーラッシュが来た、とも記録には残されている。
そんな、どこかの宇宙に伝わる歴史のお話でした。おしまい。
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