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ジャン=ピエール・リモザン監督『TOKYO EYES』

1,イントロダクション

 昔の映画を見ていると、時々「懐かしいなあ」と思ったり、「あの建物や当時流行ったツールがあったけれど、今はどうしているのだろうか」と考えたりすることがある。映画は時々、時代を映す鏡のようなものじゃないか、と気づく。ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』なんか、マシュー南(藤井隆に似た人)が出てきたり、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の『バベル』では、藤井隆の曲「OH MY JULIET!」が流れ、今は無限大ドームになっている渋谷のJ-POPカフェが映し出されている。当時の流行、ファッションや文化が反映されていると興味深く思えてしまう。

 今回、紹介する映画は、ジャン=ピエール・リモザン監督の『TOKYO EYES』です。
 約20年以上前に公開された映画です。当時の東京が映し出される貴重な作品です。1998年のカンヌ映画祭の「ある視点部門」に出品され話題になりました。

 提供したのがユーロスペースと日活で、撮影と監督以外は、ほぼ日本人のスタッフで製作された映画です。97年頃に撮影し、ノストラダムスの大予言で世界の崩壊が起こるといわれていた前の年、つまり1998年に公開された映画です。この年は、日本が初めてサッカーのワールドカップに出場、フランスが初優勝した年だったなあ、と思います。

 監督は、予告編でこのような言葉を残しています。

 ’97年 TOKYO――
 私はそこで"視線についてのおとぎ話"を撮った

監督 ジャン=ピエール・リモザン

 どんな世界が待ち受けているのでしょうか。自分は35mmフィルムでこの映画を見たことに快楽を覚えました(北千住のシネマブルースタジオにて、2週間前くらいに、もう何度か見たかった)。少しぼんやりしているとはいえ、それが逆に良かったり、色彩もフィルムが色あせるとデジタル化してものでは表現できない、独特の色合いを見せてくれるので、見てよかったなあ、と思います。
 それでは語りたいと思います。

2,スタッフ・キャスト

 提供:日活+ユーロスペース
 製作国:フランス、日本 製作年:1998年
 言語:日本語 時間:98分
 監督・脚本:ジャン=ピエール・リモザン
 脚本:フィリップ・マドラル、サンティアゴ・アミゴレーナ
 脚本・日本語台詞:坂元裕二
 撮影:ジャン=マルク・ファーブル
 録音:菊池信之
 製作:堀越謙三、ヘヌガメ・パナヒ
 音楽:グザヴィエ・ジャモー
 音楽監修:エリック・ミション
 編集:デニエル・アヌダン
 出演:武田真治、吉川ひなの、杉本哲太、水島かおり、大杉漣、油井昌由樹、モロ師岡、ビートたけし

3,あらすじ

 都内で起こる謎の発砲事件。その犯人は「やぶにらみ」として、指名手配されていた。その一方で、美容師のHINANOは、謎の青年・Kに会い、交流し、惹かれていく。東京を舞台にした、凶暴で、繊細なボーイ・ミーツ・ガールが展開される。

4,感想・考察(ネタバレ含む)

 外から見たら、色々欠点や首をかしげるところはあれど、個人的に好きな映画で、DVDもあったら手元にとっておきたい映画の一つだなあ、と思いました(高値がついていてなかなか手に入らない)。当時の浮遊した都市・東京やフランス映画みたいな、おしゃれでフワフワした雰囲気と会話などが楽しめる感じで良かった。また、主人公・Hinano(吉川ひなの)と銃を発砲する謎の青年・K(武田真治)の互いに惹かれあっていく不思議な感じ、刑事である兄のRoy(杉本哲太)を持つジレンマなど、今思えばジャン=リュック・ゴダールやレオス・カラックスが題材に扱いそうな感じがして、面白かったです。

 Kの下手でダサいダンスの動き、洗練されてない、或いは、演技がそこまで上手いのか下手なのかわからないHinanoの言い回し、下手なセルジュ・ゲンズブールの歌を口ずさむ二人(歌っているのは「可哀想なローラ」という歌らしい)。何処を切り取っても何故か、それが愛おしく感じてたまらないです。でも、全体的に武田真治はカッコイイし、吉川ひなのも当時は不思議なキャラクターだったけれど、可愛かったなあ、と思いました。KがHinanoに接近して、目を舐めるシーンは少々グロテスクさを帯びていたけれど、他の場面は割と穏やかな感じだったので、あれが一番官能的なものだった気がします。

 映し出されている東京の場所は、新宿(ゴールデン街やスバルビルの目のオブジェ)、下北沢、麻布のクラブ・ミッション、有楽町の銀座スカイラウンジなどが出てくる。終盤のHinanoが眺める風景は、何処からだろうと思いました。東京ドームなどが映し出されているし、Kが「一番高いところで待ち合わせしよう」と言っていたので、その当時だと東京タワーだったのかな、と思い調べてみたら、サンシャイン60の展望台であるらしく、ビックリしました。今は、東京スカイツリーが一番高い場所に当たるので、数年もしたら、やはり変貌、更新していくのかな、と一種のノスタルジアを感じました。

 有楽町の回転する交通会館の展望レストランで、東京の風景を眺めながら、KとHinanoが愛について語るシーンも印象的でした。あのレストラン、まだあるよなあ、と思ったら、昨年リニューアルオープンして、回転しなくなったみたいです……。回転している時に行ってみたかった……。

 Kの部屋で細工された銃についてもめたあと、バーチャルボーイらしきものの中を眺めながら、「見ること」について対話しているシーンも印象的でした。

H:随分いろいろみているのね。人の顔……。
 電車の前で抱き合ったり、別れたり……。
K:「見る」って辛いよね。
H:観客でいるのは、楽よ。
K:たくさんのことが目に入っちゃうんだ。
 でも目を閉じられない。
 なんか、この目には瞼がついてないみたいだ。
 誰かのこと撃ちたいと思ったことある?
H:うーん、数学の先生とか?でも実際には……。
K:僕もそう。実際に人に弾をあてるなんて絶対に出来ない。
 でもこの眼鏡かけると霞んで、よく見えなくなるから。
 見つめ合うと、なんでも許しあえちゃったりするもんね……。
H:……。やめてよ。

『TOKYO EYES』より

 台詞に注目してみると、やはりオシャレな感じがするのは、坂元裕二氏の何処となく捻くれた雰囲気が漂っているなあ、なんて思ってしまいました。もちろん良い意味で。そして、このやりとりより、視線についての話なんだなあ、と思いました。
 そして、恋をすること、危険なものに惹かれるのって、表裏一体なんだなあ、なんてしみじみと感じました。

 ちょっとしたことにも注目してみると、麻布のミッションの場面で、入口のボーイが、ゲームボーイを操作しているところがあったり、Kが発砲したビデオ店でオリヴィエ・アサイヤス監督の『イルマ・ヴェップ』のポスターが貼ってあったり、ウォン・カーウァイ監督の『恋する惑星』が置いてあったり、当時の文化を象徴しているような気がしていました。
 偽造テレホンカードや公衆電話、PHSなどもあり、スマートフォンが当たり前となった現代では、遠い昔のように思えてしまいました。今や、様々なライブチャット、TikTokやInstagram、LINEにより大量消費された現代ですが、90年代にこういうツールがなく、逆にあったらもっと違っていたのかな、とふと感じました。

 終盤に出てくる下っ端のヤクザを演じたビートたけしのユーモアと狂気が入り混じった雰囲気にはやられてました。童謡の「あめふり」を歌いながら、銃を振り回すシーンはやはり印象に残ります。あそこで、Kに銃弾があたったんじゃないか、と思いました。その後、ポケットに手を入れるふりして、もう後がないと思うと、なんだか切ない……。

 また終盤で、Kがこんな台詞を言っているのも、素敵でした。

K:ずっと待ってたんだ。こんな時が来るのを。
 僕が注文するたびに笑ってくれる。
H:何で?
K:存在することの楽しさを実感できるから。
H:何言ってんだか、全然わかんない……。
(二人とも笑う)

『TOKYO EYES』

 終盤で流れる路地(ゴールデン街を含めた飲み屋街など)で、Kがこんな風に語っています。

K:もう少し待たなきゃ。
H:待つって、何を待つの?
K:全てが変わらなきゃいけないから。
 色んな事が多すぎる。街の中にも。僕自身にも。
 僕らは今、選択を迫られているんだ。
H:じゃあ私は何を選択したらいい?
K:一番高いビルの上で会う約束をしよう。

『TOKYO EYES』

 前の場面に通じて、世紀末、或いは世界の終末が漂う感じもしました。あと1~2年で世界が終わる。あるいは、90年代が終わり、2000年になる、そんな節目に世界が変わっていくのではないか、と思ってしまいます。
 OPの「新宿の目」で始まり、最後はHinanoの左目がクローズ・アップされて、エンドロールが流れる。まさに、目の「挟み撃ち」であり、見る事を意識した映画だったのだな、と感じました。

5,終わりに

 ジャン=ピエール・リモザン監督は、『TOKYO EYES』以外の作品を鑑賞した事がなく、他にも数作品、監督を担当しているが、なかなか日本で観る事ができない作品が多い。また、北野武監督と蓮實重彦氏が対談しているドキュメンタリー映画『北野武 神出鬼没』は、日本では未公開である(一部、番組であったり、動画サイトにアップロードされているらしい。蓮實重彦氏の本でも言及していた)。アッバス・キアロスタミのドキュメンタリー映画やジュリー・デルピーが出演している『天使の接吻』等も気になっているが、なかなか鑑賞できる機会がない。フランスではレトロスペクティブが開催されるらしいが、日本でも開催してくれないだろうか、アンスティチュ・フランセとか、国立映画アーカイブとか、アテネ・フランセ文化センターとかで、と思ってしまいます。

 調べてみたところ、交流のある前述の蓮實重彦氏がキオスクの店員として出ていたらしいが、カットされてしまったとのこと(Twitterを調べていたら出てきた)。なお、エンドロールには、特別協力として、蓮實重彦氏とその妻・シャンタルさん、子息の重臣氏の名前が記載されています。

 あと、よくよく考えてみたら、一部分ではあれど、外国人が東京で撮影した作品は、ドキュメンタリーであれ、フィクションであれ、意外と多い気がした。以下がその作品である(自身が鑑賞した作品のみ列挙)。

  • ヴィム・ヴェンダース『東京画』『夢の涯てまでも』

  • アッバス・キアロスタミ『ライク・サムワン・イン・ラヴ』

  • エドワード・ヤン『ヤンヤン 夏の想い出』

  • ソフィア・コッポラ『ロスト・イン・トランスレーション』

  • クエンティン・タランティーノ『キル・ビル vol.1』

  • アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ『バベル』

  • アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス』

 断片のみのものも含めたが、意外と多いなあ、と思った。ヴィム・ヴェンダースの『東京画』は、小津安二郎監督を敬愛し、名作『東京物語』の名残を探すために、その影を追ったドキュメンタリー映画である。ただ、その古き良き東京の姿は何処にもなく、俗っぽく猥雑なものに溢れかえっているのに気づいた。その後も、様々な文化が入り乱れている気がする。それが果たして良いことなのか、悪いことなのかわからない。

 武田真治さんは、「めちゃイケ」や「筋肉体操」等で、何故か面白キャラになってしまい、吉川ひなのさんは、現在アメリカにいるらしい。ただ、名優の大杉漣は死んでしまったし、ビートたけし氏も一時期の勢いはなくなってしまった。やはり時代の流れは、本当に速く過ぎ去ってしまう。

 東京タワーはまだあるけれど、当時なかった東京スカイツリーが現時点で、今一番高い東京の場所で、サンシャインの展望台を超えてしまったり、麻布のミッションはもう無いし、再開発しては取壊し、スクラップ&ビルドを繰り返していくんだな、と気づきました。つい最近、NHKでも、神宮外苑の再開発について特集番組が放映していたり、1998年にリニューアルオープンした「マルイシティ渋谷」は2015年に「渋谷モディ」となり、近くの「渋谷マルイ」も木造建築へと変貌する。そういえば、改装していた少し先の「PARCO」も2016年に一度閉鎖し、3年後の2019年に再びオープンした。こうやって、東京も形を変えていくんだな、と思いました。

 自分も変わらなきゃいけないなあ。ノスタルジアに浸っていたら、あっという間に時が過ぎていく。少しずつ成長しなきゃいけない。まさに、取捨選択を迫られている時期だな、と思う。

 また書きたいと思います。それでは。


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